ドイツの新・実存主義哲学者マルクス・ガブリエル『倫理資本主義』についての研究会報告(2)
1.今回の内容について
マルクス・ガブリエル著『倫理資本主義の時代』は、以下のように構成されています。

今回は「第1部 哲学者、経済を考える」を中心に、ガブリエルの考えを理解します。具体的には、下記図❶~❹について理解します。

2.❶「倫理資本主義」とは何か?
いきなり質問です。
カブリエルは、倫理資本主義を以下図のように説明していますが、空欄aとbには何が入るでしょうか?

答えはこうです👇。

倫理資本主義とは、経済的利益は道徳的に優れた行為の結果として得られる、またそうあるべきだという考え方(p24)です。
ガブリエルは、オックスフォード大学サイード経営大学院名誉教授コリン・メイヤーの言説を用いて以下のように説明しています。

また、ご存じの方も多いかと思いますが、経済と道徳を関連付けた書籍は多いです。

しかも、ガブリエルは、こう言っています。
私たちが現在直面する複雑な社会的、経済的、政治的危機に対処するために、社会体制の変更や革命は必要ない。
ただ、
●共通の目標を達成する方策にかかわる新たなビジョン
●社会経済活動の指針となる「善」についての新たなビジョンは必要だ。
カブリエルは、資本主義をバージョンアップし、それは資本主義と倫理・道徳を接合することを主張します。
社会経済活動の指針となる「善」についての新たなビジョンこそ、「倫理資本主義」なのです。

では、次にカブリエルが「倫理資本主義」を唱える背景を観てみましょう。
3.❷「倫理資本主義」を唱える背景

ガブリエルが「倫理資本主義」を唱える背景を下図にまとめておきます。

ガブリエルは、直面する複雑な社会的、経済的、政治的危機=先例のない危機=入れ子構造㊟の危機に我々は置かれていると言います。
※㊟入れ子構造:社会的、経済的、政治的危機)それぞれが互いのなかに組み込まれて、今だかつて存在しなかった次元の社会経済的複雑性を生み出していること(p52)
具体的には、上記図にあるように、
・国際情勢の悪化
・経済・環境問題
・科学技術の進歩と影響
・社会の混乱と不安 です。
ここでこんな風潮が見られます。
「資本主義、自由民主主義は大丈夫なのか?」
この風潮に対して、ガブリエルはこう主張します。
私たちが身を置く危機の時代を乗り越えるためには、「新しい啓蒙㊟1」が必要なのだ...(p4)
…とはいえ、これを成し遂げるために全面的な革命や社会の体制変更は必要ない。ことに自由民主主義に関しては革命は事態を悪化させるだけだ...(p4)
必要なのは革命ではなく、...大胆な倫理的改革が必要だ...(p11)
…私たちに必要なのは、「善」に関するまったく新しいビジョンを掲げ、社会のあらゆる部門で大胆なイノベーションを起こしていくことだ...(p5)
この新たな「善」のビジョンは、現実的でありながら理想主義的で、実際の社会活動に即したものでありながらより良い未来を目指すものでなければならない。(p5)
------------《用語解説》-----------
●㊟1「啓蒙」…哲学的な意味としては「啓蒙」は単なる知識の普及ではなく、「自己の理性を用いて判断すること」の重要性を強調する概念です。
哲学者カントの言葉を借りれば、「他者の指示に従うのではなく、自ら考えること」こそが啓蒙の本質です。
では、次に、ガブリエルが説く「倫理資本主義」を理解するために、押さえるべき3つの基本的概念について共有しましょう。
4.❸「倫理資本主義」を理解するために、押さえるべき3つの基本的概念

「倫理資本主義」を理解するために、押さえるべき3つの基本的概念とは、上図にあるように、
●倫理
●資本主義
●社会 です。
a.「倫理」とは?
一般論となりますが、「倫理」という言葉は、堅苦しさや説教くささ、理想論的で非現実的な印象を与えがちであり、偽善的に見えることや、基準が曖昧で主観的だと感じられることが多いです。
僕も高校の時の「倫理」の授業の記憶が全くありません。
ここでは、カブリエルが「倫理」や「倫理学」についてどのように説明しているかを見て行きましょう。
ガブリエルはこう言います。
倫理学は「道徳的信念」や「道徳的事実」を研究対象とする哲学の一分野。
では、上の二つの言葉、「道徳的信念」や「道徳的事実」とは何でしょうか?
➤1.道徳的信念
ガブリエルは、"道徳的信念とは「価値観」のことである"と言っています。
道徳的信念、つまり、価値観には次の3つの特徴がある。
❶何かをしようとしている人(行為主体)に、普遍的に共有できるルールに
基づいて「何をすべきか」「何を避けるべきか」という問いへの答えを示す(p25)
❷道徳的信念には正誤があり、それは恣意的でも嗜好の問題でもない(p26)
❸道徳的信念は個人の社会的、民族的、宗教的アイデンティティ、政治的 選好、文化によって変わるものではなく、民主的意思決定の対象ですらない(p26)

ガブリエルは、道徳的信念についての「普遍的に共有できるルール」(p24)の例として、あなたの目の前で、幼い子どもが浅いプールで溺れていることへの対応を挙げています。“プールに駆け寄り、溺れる子どもを助けるのを拒む要因は何もない(p25)”としています。
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≪僕からの補足1≫
以下のような疑問を持つ方もいるのではないでしょうか?
「目の前で小さな子供が浅いプールで溺れていたら、我々はきっとその子を助ける。しかし、ガザ地区など戦闘地域で子供たちが殺されても、我々は何もできない。この違いは何か?」
これは倫理学でも深く議論される問いであり、倫理学者ピーター・シンガーが提起した「浅い池の子供」のたとえ話として有名です(ピーター・シンガー著『飢えと豊かさと道徳』1972年)。
この疑問は、人間の道徳的関心が「物理的・心理的な距離」によって大きく変わってしまうことへの違和感や矛盾を突いています。
比較視点から違いを整理すると以下の表のようになります。

「なぜ距離や匿名性が倫理的行動を鈍らせるのか?」について考えると以下のように整理できます。
1)進化心理学的背景
人間の道徳感情は、進化的に「小さな共同体」の中で育まれました。目の前の人の痛みには強く反応できるが、「遠くの見知らぬ人の苦しみ」には鈍感なのです。
2)統計的犠牲者効果
実験心理学では「顔が見える1人の被害者」には心が動かされるが、「数百人の死者」という数字には無感覚になる傾向が示されています。
3)代理的無力感
巨大な問題(戦争・難民・貧困)に対しては、「自分一人が何かしても意味がない」と感じやすく、行動が抑制されます。
ではどうすべきでしょうか?
シンガーならばこのように語るでしょう。
「あなたが浅い池の子供を助ける義務を認めるならば、ガザの子供を救うために100ドル寄付する義務もあるのでは?」
つまり「道徳的一貫性」を私たちは本当に持ちたいのか、それとも「共感の届く範囲」だけに限定したいのか、という選択です。
とても厳しい要請ですね.…
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さて、皆さんは、道徳的信念についての「普遍的に共有できるルール」の例として、他にどのようなもの・ことがあると思われますか?
残念にながら、カブリエル著『倫理資本主義の時代』の第1部では、「普遍的に共有できるルール」の例として、「浅いプールの子供」ぐらいしか示していません。第2部以降に期待したいですね…
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≪僕からの補足2≫
ところで、参考として、倫理学の観点から、人間が普遍的に共有できるルール(倫理的原則)を僕なりにまとめておきました。
人間が普遍的に共有できるルール(倫理的原則)には、文化や社会を超えて広く受け入れられているものがいくつかあります。以下に代表的なものを挙げます。

これらのルールは、倫理学の異なる流派(義務論、功利主義、徳倫理など)によって異なる視点から正当化されるものの、基本的には文化を超えて普遍的に受け入れられやすい倫理的原則と考えられます。
ここで、倫理学の異なる流派(義務論、功利主義、徳倫理など)について簡単ですが触れておきましょう。
倫理学にはさまざまな考え方(流派)がありますが、その中でも代表的なものは、 「義務論」「功利主義」「徳倫理」の3つです。
これを以下の表にまとめておきました。

「義務論」は、行動の正しさは結果ではなく、その行為自体の道徳性によって決まる、つまり、「何をするか(行為そのもの)」が大事!という考え方です。この考えの代表者はイマヌエル・カントです。たとえ結果が悪くても、「正しい行い」をすることが重要。ルールや義務を守ることが大事!(嘘をついてはいけない、約束を守るべき)人を手段として扱わず、目的として尊重すべき(人間の尊厳を重視)としています。
次は「功利主義」です。「功利主義」は、「結果がすべて!」(最大の幸福を目指す)で、行動の正しさは、その行為が生み出す結果(幸福・利益)によって決まるという考え方です。この考えの代表者はジェレミー・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミルです。できるだけ多くの人を幸せにする行動が「善」、つまり、最大多数の最大幸福です。行為自体の善悪は関係なく、良い結果を生むならOK。合理的で現実的な考え方と言えます。
倫理学の流派の三つめは「徳倫理」です。「徳倫理」は、正しい行動は、その人の美徳(良い性格や習慣)から生まれるという考え方で、「どんな人になるべきか?」と"人間の人格"を重視しています。この考えの代表者はアリストテレスです。行動ではなく、人間としての徳(良い性格・人格)を育てることが重要としています。「勇気・正義・誠実・思いやり」などの徳を持つ人は、自然と良い行動をする。具体的なルールよりも、「良い人間になること」を重視します。
上記表の右側👆に、「嘘をつくべきか」を例として、3つの流派の違いを示しておきましたので、ご確認くださいね。
3つの違いを簡単にまとめるとこうなります👇。

皆さんは、3つの流派、「義務論」「功利主義」「徳倫理」のどれが正しいと思いますか?
ルールを守る(義務論)は大事だけど、結果が悲惨なら問題。
最大の幸福(功利主義)が良いけど、少数の人が犠牲になることも。
良い人(徳倫理)になるのは理想だけど、基準が曖昧。
どの考え方も一理あり、現実では、これらをバランスよく考えることが重要であるとされています。例えば、医療倫理では「患者の権利(義務論)」「治療の利益(功利主義)」「良い医師であること(徳倫理)」がすべて考慮されています。
ガブリエルは、カントを中心とした「義務論」寄りなのではと、僕は感じます…。
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次に「道徳的事実」についてのガブリエルの見解を観て行きましょう。
➤2.道徳的事実
この「道徳的事実」を理解する前に、そもそもガブリエルが「事実」をどのように捉えているかを押さえておきましょう。

ガブリエルは、「事実」とは、意味のある質問に対する正しい答えとしています。
「事実」には
・数学的事実
・地理的事実
・物理的事実
・社会的事実
・文化的事実 などがあり、「道徳的事実」もその一つであるとしています。
では、この「道徳的事実」とは何か?
ガブリエルはこういいます。

ところで、ガブリエルは「より倫理的な人間になる、倫理的に成長する」ことは、「道徳的事実の存在を認めること」より難しいと述べています(p28)。
我々は人生において多種多様な経験を重ね、時として「道徳的に難しい状況(明白な解のない複雑な倫理的問題)」に置かれる(p28)。
明白な解のない複雑な倫理的問題として、ガブリエルは以下を例示しています(p28)。
◇パンデミック時の判断
・コロナに罹患すれば命にかかわる祖母に会う前に、友人たちとレストランで会ってもよいか?
・ワクチンに懐疑的な友人に接種を勧めるべきか?
・政策立案者は、国境、学校、レストランを閉鎖すべきか?
◇政情不安による移民に関する移民問題への判断
◇生態学的危機の中での消費行動への判断
◇ジェンダーに基づく役割分担への判断 など
さらに、ガブリエルはこう言います。
「より倫理的な人間になる、倫理的に成長する」とは、こうした問題に対して、他者と対話しながら対応しようと努力することである(p28)。
この時、つまり、明白な解のない複雑な倫理的問題について、対話をする場合、いくつかの「明白な道徳的事実」について参加者の合意があることが前提となる。(p28)
このことが、残忍なテロリスト、侵略者、人種差別主義者、女性蔑視主義者らとは倫理的交渉が成立しない一因がここにある(p29)。
(残念ながら)あらゆる規範的対立(価値観の対立)に倫理的な解があるわけではない。
人間が生まれ持った「善性」に頼らずに人々の行動を規制するために、
強力で独立した法の支配、軍隊その他の政治制度が必要となる(p29)。
➤3.道徳的進歩
ガブリエルは言います。
複雑な問題について人々が抱く道徳的信念(=価値観)にはバラツキがある(p31)。
(このバラツキに対して)自由な民主主義の下では国家や司法などの制度は(誰かを傷つけたり深刻な危害を及ぼしたり、差別の対象にするのではない限り)異なる道徳的信念の存在(=道徳意見の不一致)をある程度尊重するようにデザインされている(p31)。
このことにより、
・正しい倫理が存在する可能性
・複雑な道徳的問題や道徳的ジレンマに(対して)客観的に正しい答えが見つかる可能性
を否定するという過ちが起こりやすい。
自分の倫理的価値観(=道徳的信念)を他者に押しつけないことが民主主義的寛容さだという極論を支持する人も多いことも、過ちの一例。このような寛容さや尊重には限度がある。この限度があることは、道徳的事実についての共通認識である。
限度があることを、どう乗り越えたらよいか?
ガブリエルはこう言います。
・私たちは明白な道徳的事実についての共通認識を持つべきである。
・それまで部分的に隠されてきた道徳的事実を社会全体が認識することを
「道徳的進歩」と定義する。
・「道徳的進歩」には対話が必要! 誰もが自分とは違う道徳的信念を持つ人々に耳を傾けなければならない。壁を越えた対話や会話は、道徳的事実を発見するための重要な手段であり、「道徳的進歩」の推進力となる。
(p30~31)
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≪僕からの補足3≫
ここでの疑問は、「道徳的事実についての共通認識」とは何か? ということです。その認識を対話によって合意することの大切さをガブリエルは語っていますが、「道徳的事実についての共通認識」の内容そのものについてはこの第1部では触れていません。
先の、浅いプールの子供の例えの「普遍的に共有できるルール」と同様、第2部以降に期待したいですね…
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b.資本主義とは

ここまで、「倫理資本主義」を理解するために、押さえるべき3つの基本的概念の一つ、「倫理」を観てきました。
次は、「資本主義」です。
経済の入門書や「資本主義」の伝統的定義からは、資本主義の条件として以下の3つを、ガブリエルは示します。

さらに、自由市場で生産される「剰余価値」を以下のように定義します。

ここから、ガブリエルは「資本主義」を以下のように捉えます。

この定義を踏まえ、ガブリエルは以下のような「問い」を投げかけます。
自由市場の強みや、道徳ルールを守った競争から生まれる創造性を生かしつつ、「善行」から利益を得るにはどうしたらよいか?
※この「問い」に対するガブリエルの解答は、この書籍の「第2部 倫理資本主義」でなされます。
c.社会とは
ここまで、「倫理資本主義」を理解するために、押さえるべき3つの基本的概念の、「倫理」と「資本主義」を観てきました。
3つ目は「社会」です。

ガブリエルは「社会」についてこう語ります。
社会とは、相手の存在に合わせて態度を調整する二人以上の行為者による取引の集合体として最大のもの
この「社会」の特徴について、ガブリエルは以下を示しています。
1.社会全体の完全な理論や全体像を示すことはできない
2.単一の、包括的な人間社会などというものは存在しない
3.あらゆる社会的取引は他のすべての取引と結びついているわけではない
4.(デジタル時代の到来で結びつきは拡大したが)すべての人間が直接的に(間接的に)他の人間と結びついていることもない
5.経済的パラメーターが支配するのは、社会のほんの一部で...社会と経済
は重複するものの決して同一ではない
この見解は、ガブリエルの著『なぜ世界は存在しないのか?』と繋がります。

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≪僕からの補足4≫
社会現象を研究する学問に「社会学」がありますが、その中の社会システム理論のグル(権威)であるニクラス・ルーマンの、社会についての言説と、ガブリエルの考えとの比較をしたいと思います。
その共通点もありますが、本質的な違いも大きいのです。
まず、共通点を以下の表にまとめておきました。
社会を「関係性の構造」として捉えていることが共通点です。

上記のように、両者とも、「物理的な集団」や「国家」としての社会ではなく、意味・行為・応答性のネットワークとして社会を捉えているという点で一致しています。
では、違いは何でしょうか?
これも以下の表にまとめておきました。
「倫理性」と「機能的分化」という大きな違いがあります。

ガブリエルは人間の倫理的能力に賭けており、ルーマンは人間の外側にある「意味の構造」に注目しているとも言えるでしょう。
ざっくり言うと
◇共通点: 社会は「他者との関係性」によって成り立つという見方。
◆違い: ガブリエルは倫理的行為者としての人間を重視、ルーマンは自律的に機能する社会システムに焦点を当てている。
これは両者の思想的源流の違いが反映していると思います。
ガブリエルは、人間の自由と倫理的判断を重視する「実在論的新実在主義」や「カント/ヘーゲル的伝統」 を源流としています。
また、ルーマンは、社会を意味の流れとして捉える構造主義的観点を持つ「システム理論・ハイデガー的存在論」を源流としています。
それぞれの理論的背景が異なるため、比較することで現代社会理論の多様性と可能性が見えてきますね…
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5.❹再び、「倫理資本主義」とは何か?
ここまで、「倫理資本主義」を理解するために、押さえるべき3つの基本的概念の、「倫理」「資本主義」「社会」を観てきました。
この書籍の第1部のまとめとして、ガブリエルの説く「倫理資本主義」について整理しましょう、

「倫理資本主義」とは、経済的利益は道徳的に優れた行為の結果として得られる、またそうあるべきだという考え方。
これについて、ガブリエルは以下のように示しています。
・倫理と資本主義を融合させられる(p43)
・資本主義のプラットフォームは人間性を向上させるため、道徳的進歩を遂げるために活用できる(p43)
・道徳的に正しいことをして利益を得る(=倫理資本主義)のと、道徳的に正しいことをするために利益を得ることの両方が存在する。そして、両方を組み合わせ、道徳的に正しい行動によって得た利益を使い、道徳的に正しい行動をすることもできる(p44)
・資本主義も私たちの社会も、完璧ではない(p45)。...しかし、資本主義社会が根本的に不公平、搾取的、貪欲、破壊的であるという理由で体制変更や革命を求めるのは誤りであり、危険な考えだ(p44)。
・倫理資本主義は世間知らずのたわごとではない。邪悪なプレイヤーはこれまでもこれからも存在する。だから倫理的原則に基づく自己規制に加えて、国家主導の規制も常に必要だ(p46)
・市場には自己調整機能が働くため、...根強い新自由主義的(というより自由至上主義的)な資本主義の捉え方に与するつもりは毛頭ない。市場の自由とは、正確には規則の不在を意味するものではない。
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次回は、この書籍の「第2部 倫理資本主義」を中心に、 ガブリエルの「倫理資本主義」についての考えを深掘していきたいと思います。
※今夏に投稿する予定です。
(2025.5.19)
