【ホラー小説】赤い空域 第1章|第3話
第3話 『いる』
『その案件、俺に回せ!』
電話口で、荒巻さんが吠えた。
耳がキンとなる。久しぶりの罵声だが、原因は、僕の仕事ぶりではなく、澪が現役の大学生だということ、この一点のみだろう。
「いやぁ、専門家案件なんで。」
と、僕はいった。専門家のところは特に強調して。
「ぐぬぬ」とマンガのようなうめきをあげて、それ以上何も言わなかった。
ただ、最後にーー
「くれぐれも、軽く、だぞ。」と念押しのように、言い足した。
「わかってますよ。」
と、言って電話を切る。
間もなく待ち合わせの時刻だった。
ネカフェで例の”雪男”の記事に取り組んでいたが、「航空障害灯の謎」が脳裏を牛耳り、さっきから、どうにもこうにも先に進んでいない。
荷物を急いでまとめ、席を立った。
* * *
倉橋澪は、駅前の街灯の下に立っていた。
昼間のリクルートスーツ姿ではなかった。
黒いパーカーに、ゆるいカーゴパンツ。キャップを目深にかぶっている。
一番目を引くのは、肩から下げた大きなバッグだ。防水加工が効いたハードケース。一目で精密な機材が入っていることがわかる。
「倉橋……さん?」
戸惑いがちに、声をかけた。
携えているものも含め、昼間とまるで別人だったからだ。
「こんばんは」
澪は答えて小さく笑った。その表情は柔らかく、とても自然だった。
「それ、どうしたの?」
僕は、肩にかけた荷物を指していった。
「ああ、これは……」
彼女は言いかけながら、ケースのジップを開ける
中にはコンデジ、ジンバル、アクションカメラ……など、動画撮影用の機材がズラリと収められていた。
「……どうしたの?これ。」
思わず口からこぼれる。
「すみません。言ってませんでしたね。私、よく動画を撮ってYouTubeにあげてるんです。」
「動画…どんな?」
僕は尋ねる。
「なんていうか……夜のお散歩動画?みたいな?」
「お散歩?」
「暗い街を歩く人の視点で、ひたすら動画回すんです。リアルタイムで。」
「……流行ってるんだ」
「そこそこ」
少しだけ肩をすくめた。
「荷物、持つ?」
そう尋ねた。
「大丈夫です……それより、行きましょう。」
こちらを先導するように歩き出した。
* * *
僕たちは駅前を離れ、線路沿いの道を歩いた。
澪はあまり喋らない。
ただ、時々立ち止まって、レコーダーの波形を確認したり、カメラを取り出しては、幾度かシャッターを切る……そんなことを繰り返していた。
その姿を見て、一つわかったことがある。
彼女があんな時間に投稿できた理由ーー
遊び歩くタイプならともかくとして、そんな感じでもない彼女が、なぜ深夜2時に街中を歩いていたのか。
こんな風にして”お散歩動画”を撮影していたのだ。
そんなことを考えると、あっというまに距離を離されてしまう。
慌てて、小走りで後を追った。
「倉橋さん」
話しかける。
もう一つ、聞きたいことがあった。
澪がカメラを構えた姿勢のまま、こちらを向いた。
「昼間”街が聞こえる”っていってたけど、あれってどういうことなの?」
「あ…」
澪は目を逸らし、また戻す
「ちょっと説明するのが難しいんです。本当に、”聞こえる”って感じが一番近くて、たとえば……」
黙り込む。
しばらくそのまま何かに集中しているようだったが、不意に、前方の交差点を指差して言った。
「そこの角、なんですが……」
低くこもるような声。
「今、赤色のプジョーがこちらに曲がってきます。」
思わず彼女が指さす先を見る。
ややあって、本当に”赤色のプジョー”がこちらに向かってゆっくりと姿を現した。
僕は言葉を失ってしまった。
車の接近だけなら、まだ分かる。
しかし、車種や色まで言い当てるとなると話は別だ。
「こんな感じです」
澪は淡々と続けた。
「例えば……ずっと聞いている音楽って、先の展開が読めますよね?テンポとかメロディとか……。
そこにただタイミングよく合わせてるみたいな……そんな感じなんです。」
「だから”聞こえる”と?」
僕は尋ねる。
「そうです……。これで、答えになっているかは、わかりませんが。」
「半分は。だけど正直なところ……」
その先は、うまく言えなかった。
「いいですよ。理解できなくて当然です。」
澪はそう言って目を伏せた。
「ーーただ、私は生まれた時からこうですし、病気や障がいの類も抱えていません。ただ、そこにある街の音を聞き続けてきたって、だけなんです。」
そこまで言うと口をつぐみ、また先を歩き出した。
“都市の音が聞こえる女”
言葉にすると、胡散臭い。オカルト雑誌の見出しどころか、出来の悪いポエムの一節くらいにしかならない。
けれど、先を歩く澪の様子を見ていると、笑えなかった。
彼女は、何かを本当に聞いている。
僕には聞こえないものをーー
そう考えかけ、首を振った。
らしくない考えだった。
「ここです」
不意に、澪が立ち止まった。
そこは、高架を抜けた先にある緩い坂道だった。
片側には小さな駐車場。反対側には雑居ビルが並んでいる。遠くには高層ビル群の明かりが見え、そのさらに上で、いくつもの航空障害灯が赤く点滅していた。
見覚えのある眺めだ。
「動画を撮ったのは、このあたり?」
念のため、僕は聞いた。
「はい」
澪はカメラを構えた。迷いのない動作だった。
「……やっぱり、ない」
ポツリと、こぼす
何が?
などと、聞くまでもなかった。
すぐにあの灯りのことだと気づく
カメラのディスプレイを覗き込んでみた。
あの動画の画角を再現していた。
そしてーー
その中画面上には、あるべき航空障害灯が、なかった。
「消えて、ますね……」
僕はいった。
答えはない。
彼女はカメラを構えたまま動かなかった。
そろりと顔を覗き込むと、目を閉じている。例の音を、聞いているのだ。
「……動いた。」
しばらくして、ボソリとこぼした。
「動いた?」
やはり返事はない。
代わりに動きがあった。
その場でゆっくり向きを変える
何かを、辿るように。
その方に視線を合わせる。
すると、坂から見下ろすように、高層ビル群のシルエットが目に飛び込んできた。
「あの辺り……」
澪はカメラを下ろし、そのビル群の方に指を突き出した。
いる
その言葉の瞬間、自分でもよく分からないままに鳥肌がたった。
「いるって……何が?」
絞り出すように、そう尋ねた。
「あそこだけ何かが狂っていて」
「深く、歪んでいます。」
その瞳は、遠くの景色の一点を強く見据えていた。
僕もその方をみる。
立ち並ぶ高層ビル。
それぞれの頂点で航空障害灯が、赤い光を投げかけている。
なんの変哲もない景色に見えた。
だが、隣にたつ彼女は、そこに何かの存在を見出しているようだった。
その時
「ーーーーっ」
声にならない悲鳴をあげ、彼女がその場に頽れた。
ケースが肩からはずれ、どさりと音をたてる。
帽子が、地面に転がった。
「大丈夫⁉︎」
反射的にその肩を支えた。
見たところ外傷はない。だが、その体が微かに、震えていた。
「……見られた」
澪が口走った。
「何に……」
言いかけた矢先
その感覚が、背筋を這い上がった。
“視線を感じる”
などというのは生易しい。
何かもっと巨大なものに、周りの空気ごと掴まれたような感覚だった。
澪が指差した方を、再びみた。
聳え立つ、影、影、影。
その数だけ灯りがあり、それぞれの間隔で明滅していた。
まるで都市そのものが、緩やかに瞬きを始めたみたいにーー。
▼次話▼
突然ですが、ご報告です。
この度、ありがたいことに、『赤い空域』をご紹介いただきました。
作品の空気や、“現実が少しずつズレていく感覚”を丁寧に汲み取っていただけて、とても嬉しかったです。
紹介記事はこちら。
