『赤い空域』第2話を読んで気づいた。「怖さ」の正体は怪物ではなく、“世界とのズレ”だった。
ホラー小説というと、多くの人は、
怪物
呪い
殺人鬼
幽霊
のような「わかりやすい恐怖」を思い浮かべるかもしれない。
しかし、NoboruTakahashiさんの『赤い空域』第2話は、少し違う。
この作品が描いているのは、単なる怪奇現象ではない。
むしろ――
「世界が少しだけズレて見えてしまう人間の感覚」
そのものなのだと思った。
「見たはずなのに、自信が持てない」
この回で印象的なのは、澪の語る違和感だ。
赤い光を見た。
動画にも映っている。
なのに彼女自身は、
「そんなもの見てすらいないような感じなんです。まるで夢みたいに。」
と言う。
ここが非常に現代的なホラーだと思う。
昔ながらの怪談なら、
「確かに見た!」
「絶対にあれは怪物だった!」
となる。
しかし『赤い空域』では、現実感そのものが曖昧になる。
本当にあったのか
疲れていただけなのか
見間違いなのか
夢だったのか
その境界が崩れていく。
だから怖い。
怪物より先に、“現実への信頼”が壊れていくのである。
主人公が「普通の大人」なのも良い
この作品、主人公が超人ではない。
経費削減で歩き、同僚にからかわれ、少し皮肉っぽい。
しかも「専門家」と呼ばれても、自分ではそんな風に思っていない。
ここがすごく良い。
ホラー作品の主人公なのに、妙に生活感がある。
だからこそ読者は安心するし、その安心感が後の不気味さを強くする。
さらに彼は、相手をちゃんと見ようとする人間でもある。
それが象徴されているのが、このセリフだ。
「ディスプレイが相手と自分の間に入る気がして」
単なるアナログ派アピールではない。
この言葉には、
「情報よりも、人そのものと向き合いたい」
という感覚がある。
つまりこの作品は、怪異を描きながら同時に、
“人と人との距離”
を描いているのだと思う。
「街が聞こえる」という恐怖
そして、ラスト。
「私、街が聞こえるんです。」
この一言で、一気に空気が変わる。
この表現が絶妙なのは、
比喩にも聞こえる
本当の超常現象にも聞こえる
という点だ。
感受性が強い人は、
人混み
都市の空気
ノイズ
圧迫感
を、まるで“音”のように感じることがある。
しかし、この作品ではそれが文字通りかもしれない。
だから不気味なのだ。
しかも、その不気味さは派手ではない。
静かで、曖昧で、少し寂しい。
『赤い空域』は「孤独」を描いている
作者プロフィールには、
「孤独」や「世界との距離感」
が自身のテーマだと書かれていた。
第2話を読むと、その意味がよくわかる。
この回の本質は、
「怪異調査」
ではなく、
“世界に馴染みきれない人間同士が、少しだけ接続すること”
にある。
だからこの作品は、怖いだけでは終わらない。
どこか切なく、静かな余韻が残る。
『赤い空域』は、
「怪物が怖い話」
ではなく、
“現実が少しずつ信用できなくなる話”
なのだと思う。
