【ホラー小説】赤い空域 第1章|第1話
|あらすじ|
オカルト雑誌『月刊アトラス』の記者・相良は、SNSで拡散する「航空障害灯」の奇妙な動画を追い始める。赤い点滅に同期して街の音が消え、投稿や記憶までも欠けていく怪異。動画投稿者の大学生・倉橋澪は、それを“音”として聞く特性を持っていた。二人は政府機関の真壁、怪異に魅入られた研究者・九条、編集長・荒巻を巻き込みながら、東京を侵食する赤い空域の正体へ近づいていくーー
※本作は全23話・完結済みです。
最後まで一気にお読みいただけます。
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第1話 『航空障害灯』
深夜二時の編集部には、だいたい三種類の匂いがある。
冷めたコンビニコーヒーの匂い。
誰かが食べ残したカップラーメンの匂い。
そして売れないまま返品された雑誌から滲む、古いインクの匂い。
僕は、その三つをまとめて吸い込みながら、PCのモニターの前で目を細めていた。
画面には、読者が投稿してきた雪男の画像が映っている。
――いや、正確には“雪男らしきもの”だ。
もっと正確に言うと、明らかに生成AIで作られ、雪男に見せかけた何かでしかなかった。
白い毛並みの質感は、まるで陶器。右足の指が六本あって変に絡まっている。
お粗末だなーー
これを本物としてしまえば、こちらの方がUMA扱いされてしまう。
「相良ぁ、それ、使えそう?」
編集長の荒巻さんが、デスクの向こうから声をかけてきた。
四十代半ば。派手な柄シャツにくたびれたジャケット。顔色は常に悪い。机の上には、未開封のエナジードリンクと、開封済みの胃薬と、“曰く付き”らしい小さな招き猫のぬいぐるみが並んでいる。
オカルト雑誌『月刊アトラス』の編集長としては、かなり正しい姿だった。
「……画像のトリミングとタイトルのつけ方次第ですかね?」
僕は答えた。
「どんなタイトルにするんだ?」
「“AIの力で甦る、現代の雪男”とか、“AIは知っていた⁈ 雪男の真の正体”とか?」
「いいじゃん。キッチュで、チープで煽情的。うち向きだ」
「褒め言葉です? それ?」
「もちろん。洗練しすぎると読者が逃げる」
荒巻さんはそう言いながら、台所に向かい、カップ焼きそばの湯切りをした。深夜二時に食うものとしては、ほとんど暴力に近い匂いが広がる。
流しの底が、ベコンと間抜けな音を鳴らした。
世の中、言葉に置き換えられないものは、ほとんど存在しない
それは、この仕事をするようになってから、思うようになったことだ。
心霊写真の隅に写った顔は、大体顔のように説明される。UFO動画の九割はドローンか鳥か、撮影者の捏造だと解説される。
もちろんーー
世界には、まだまだ言葉で説明できないものが沢山あるし、そう信じている人は多い。
僕もそのうちの1人であることは認める。
しかし、悲しいのは、それらを片端から言葉に置き換えることで、僕が生きている、ということだ。
あるいは、生きてしまっている、と言い換えることもできた。
「”怪異!文字を喰らい生きる男!!”」
適当なキャッチコピーを口にしてみた。
口にまで出たのは、深夜テンションだったからかも知れない。
「なんだって」と、どこかからで荒巻さんの声がした。
無視した。
* * *
“雪男”の件は一旦棚にあげ、僕は日課のSNS監視のため、スマホを開いた。
肌面積が妙に多い画像や、ルサンチマンに満ちた投稿をかき分けていく中で――
その奇妙なタグが、目をとらえた。
#航空障害灯
見慣れないキーワードだった。
即座に、その単語を検索する。
――航空障害灯。
高層ビルや鉄塔などに設置される赤い灯火。航空機に構造物の存在を知らせるためのもの。
それ自体は知っているし、都市では珍しくもない。東京の夜景なんて、その赤い点滅で本が読めるくらいだ。
けれど、流れてくる投稿の文面が、妙だった。
『この赤い光、さっきからずっとこっち見てる気がする』
『点滅の間隔おかしい』
『航空障害灯ってこんなに低く見える?』
『ってか動いてない?』
『場所どこ?』
その流れの中で、僕は一つの動画を開いた。
映っていたのは、夜のビル群だった。
遠くの高層ビル。その屋上付近で、赤い光が点滅している。それだけにみえた。
光が、点く。
消える。
また、点く。
映像は手持ちで、かなり揺れていた。撮影者の靴音が近い。車の気配が遠くを流れ、どこかで信号機が鳴っている。
特別なものは何も映っていない。
そう思った。
思ったのに、動画を止められなかった。
点く。
消える。
また点く。
赤い光は、遠くにあるはずだった。
それなのに、見ているうちに妙な感じがした。こちらの目の方が、少しずつ画面の奥へ引っ張られているような感じ。
ズームしている様子は、ない。
僕は眉をひそめた。
動画の下に表示された再生時間は、二十七秒。
けれど体感では、もっと長かった。
「荒巻さん」
「んー?」
「これ、見ました?」
荒巻さんは、いつのまにか自席にもどっていた。僕がノートパソコンを回すと、割り箸をくわえたままこちらの画面を覗き込んだ。
最初は皮肉っぽい笑みを浮かべていた。
たぶん僕と同じように、よくある“エモい”夜景動画の類だと思ったのだろう。
けれど、十秒ほどで、その笑い方が少し変わり、ゆっくりと真顔に近づいていく。
そして、最終的に「どこ」というつぶやきがこぼれた。
「都内ってだけ。詳しい場所は不明です」
僕は答えた。
「ふうん……」
荒巻さんは焼きそばを頬張ったまましばらく考えていたが、やがて箸を置き、「ちょっとこっちに回して」と言った。
“こっち”というのは彼が使うディスプレイのことだ。
やれやれと転送の操作をし、僕自身も彼の側に寄る。
その画面の中で――
赤い光が明滅した。
「動いてるよな? これ?」
「動いてる?撮影者の方から近づいているかと…」
「俺にはそう見えるし、音もずれてる」
確かに――。
よく見れば、画面の揺れと靴音のタイミングに違和感がある。
二人で、言葉を止めた。
珍しいことだった。
こういう時、大抵、どちらかが茶化す。幽霊でもUFOでも陰謀論者でも、まず一回笑いに変換する。そうでもしないと、この仕事は続かないからだ。
「動画のエンコードミスですかね」
僕は言った。自分でも驚くほど神妙な声色だった。
「スマホの録画で音声だけ遅れることはありますし。あと、望遠で撮ってるなら手ブレ補正の影響とか……」
「お前さ」
こちらの言葉を遮り、荒巻さんは言った。
「怖がってるよな?」
「……そうですか?」
「ああ。珍しい。」
「怖がってなんかいませんよ」
「いや。お前、怖い時ほど屁理屈こねるだろ?」
返事をしなかった。
モニターの中で、赤い光がまた点いた。
点灯の瞬間、動画の音が少しだけ歪んだ気がした。ノイズが低くなる。というより、周囲の音が、その赤い光に合わせて息を止めたような。
それに――
同じ動画のはずなのに、荒巻さんと僕とで、見え方が違うようにも思える。もちろん、解釈の違いなどではない。
気持ちが悪い。
それが、僕の捻り出した言葉だった。
「……とりあえず、ネタにはなりますね」
僕は言った。そう言うしかなかった。
「“都内各所で目撃された赤い点滅のミステリー”。動く航空障害灯の都市伝説化。SNS怪談としては悪くないです」
「軽い記事でいくか?」
「最初は」
「最初は……ね」
荒巻さんは、箸を手にとった。
焼きそばを一口啜る。だが、大して味わっている様子はない。
「いいか、軽く、だ」
念を押すように荒巻さんは言う。
「はいはい。」
「軽く。あと、先走るな。」
「はあ」
「ホラー映画じゃ、大抵最初に死ぬのは“ちょっと見てくる”って言うやつだ」
冗談のような言い方。
でも、それだけじゃないのはわかっている。
僕は動画を保存し、投稿者のアカウントを開いた。
過去の投稿は普通だった。昼に食べたパンケーキ。映画の感想。たまに猫。
オカルト系のアカウントではない。バズ狙いの気配も薄い。
それが逆に嫌だった。
あの雪男みたいに、作り物ならもっとそれらしい匂いがする。
嘘をつく人間には、嘘を見てほしいという匂いがある。信じてほしい、驚いてほしい、拡散してほしい。その匂いが文章に残る。
けれどこの投稿には、それのどれもが、なかった。
『これ、なんか変』
という、ごくごくありふれた人間の、所在なさだけが浮かんでいた。
僕は椅子にもたれた。
ふと窓の外を見る。遠くのビルの上に光る航空障害灯が、一瞬、何かの視線のように見えた。
疲れている。深夜二時に、AI雪男と航空障害灯を交互に見ていれば、誰だってそうなる。
「相良」
荒巻さんが言った。
「はい」
「現地行ってこい」
突然の指示出し。深夜のテンションなのだろう。思わず、その場に崩れそうになる。
「場所、わかんないっていいましたよね。」
「だから探すんだろ。ジャーナリストなんだから」
「ただのジャーナル書く人です。」
「屁理屈こねるな。さっさと動け。」
「洗練された言葉ですね。」
僕はそう言いながらも、投稿者へのDM文章の準備を始める
『
突然のご連絡失礼します。
私、「月刊アトラス」でライターを務めている
相良と申す者です。
この度は
』
手が、自動書記のように文字を打ち出し始める。
目の端で、スマホの画面に映された動画が再生を繰り返していた。
点滅する赤い光
油断するとそちらに目がいってしまう。
わかっていても、何度も何度も、視線を戻さなければならなかった。
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