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僕が書いた本3 長島茂雄語録「この本だけはうれしかった」 小林信也

ロック・ミュージシャンの語録集があった
たぶんこの本が僕の3冊目。ただしこれも著書ではない。「小林信也編」となっている。なぜなら、僕は本文を一行も書いていない。見出しもすべて長嶋茂雄の言葉。
クイックフォックス社を離れ、新たにパンプキンエディターズという編集プロダクションを仲間たちと立ちあげた刈部謙一さんから「長嶋語録を作ろうよ」と声をかけてもらったのは、僕がNumber編集部で仕事を始めて2年目、26歳になったばかりの頃だ。
「何とかさ、俺たちだけでも長嶋さんにエールを送りたいじゃないか」
それが刈部さんの長嶋語録を作る情熱だった。長嶋は巨人の監督を〈解任〉され、いわゆる浪人生活を送っていた。
見本として見せてくれたのは、シンコーミュージックから出版されていたアーチスト語録シリーズ。たしか『ミック・ジャガー語録』とか、有名なロック・アーティストの言葉を写真に添えて編集した本だ。
「このシリーズで、長嶋なら出来るだろ」
野球好きで、長嶋を信奉していた刈部さんが言った。僕は二つ返事で快諾した。でも正直、まだほとんど単行本を編集した経験がないに等しかったから、出来上がりのイメージも浮かばなかったし、どんな手順で、どんな段取りを踏めばいいのか、さっぱりビジョンを持っていなかった。
「とにかく、長嶋のコメントを片っ端から集めりゃいんだよ。新聞とか雑誌に、長嶋の言葉なんてイヤというほどあるだろ」
刈部さんは言った。なるほど、コメントを集めればいいのか。それで僕は、雑誌は大宅文庫、スポーツ新聞はたしか日刊スポーツの資料室? 新聞は公立図書館で縮刷版を、さらに野球体育博物館(現・野球殿堂博物館)の図書室など、長嶋茂雄の活躍を報じている雑誌、新聞をできるだけファイルした。いまならデ―タで保存し取捨選択が可能だが、当時は完全にアナログ手作業だった。

手に入る、古い新聞・雑誌を全部集めて読み込んだ
集めた資料を読み込んで、「力のある言葉」を集める。最初は格好いい言葉、勝負の緊張感を反映した胸に迫る言葉を探すつもりだった。ほんの少し、「長嶋ってよく変なこと言うよね。あれも面白いじゃん」という刈部さんの助言もあって、いわゆる迷言も見つかればストックする程度だった。
冷静に回顧すれば、「長嶋さんが奇妙な日本語を喋る」というのは、みんな何となく気づいていたし、ふと笑みをこぼして顔を見合わせる程度の認識はあった。けれど、いまほど〈長嶋語〉の飛びぬけた面白さは共通認識として持たれていなかった。ところが、長嶋のコメント集め、読めば読むほど、迷言の宝庫と気がついた。いや、その感覚的な言葉は、ただ素っ頓狂なだけでなく、核心を衝く言葉だったりすると僕は気がついた。
多くの人は長嶋語を嗤うけれど、編者として僕がそれを際立つようにまとめたのは、そこにこそ長嶋茂雄の偉大さ、天才性の片鱗が浮かび上がって見えると感じたからだ。だって長嶋の申し子、長嶋世代と呼ばれる僕たち(僕は昭和31年生まれ)は、長嶋を揶揄したり、茶化したりする気は毛頭ない。
「長嶋って、やっぱり凄いね」という気持ち100パーセントで、数々の迷言を世に送り出したのだ。

みんな長嶋さんが好きだった
長島語録を作ったころに意識を移すと、次から次へと楽しかった思い出が浮かんでくる。この本に関わってくれた人たちはみんな長嶋大好きの元野球少年ばかりだった。そういう時代があったんだなあ、といまは妙な感傷と共に思い出す。令和のいま、もし同じ本を作るとしても、デザイナーや編集者の一人くらいは、「あ、僕はサッカーなんで」とか、「バスケなら燃えますけど」とか言い出す人がいそうだ。あの頃はそうじゃなかった。基本みんなが野球少年で、その中にもちろん「サッカーも好きでした」とか、「野球は好きだけど下手くそだったので、中学から卓球部でした」みたいな人はいたけど、「野球、興味ない」「長嶋、知らない」とシレッという若者はまずいなかった。
そう言えば、「長嶋」か「長島」かで熱い議論も交わした。僕もデザイナーの坪内さんも、「そりゃ長嶋だよ」と主張した。刈部さんも気持ちは同じだったが、どうやらある時期、読売が「長島」で統一したらしい。この本を出す時期は、なぜか長嶋でなく長島だったため、本のタイトルは「長島茂雄語録」になった。

初対面でいただいた、家宝のような言葉
最後にひとつ、この本にまつわる最高の思い出を書いておこう。あれは本ができて少し経ったシーズンオフの午後。日本テレビの番組収録の合間に長嶋さんと会えることになり、刈部さんと本を持って麹町・日本テレビの楽屋を訪ねた。楽屋のドアをノックすると、少し前に別の取材で親しくさせてもらっていた日本テレビの後藤達彦さんが出てきた。後藤さんは伝説の天覧試合のディレクターを務めた人。後藤さんの後ろから長嶋さんが現われた。それが長嶋さんとの初めての遭遇だった。
長嶋さんは、刈部さんが差し出した《長島茂雄語録》に目をやると、真剣な眼差しで大きくうなずいた。「えー、その本、見ましたよ」と吹き出しが出るような表情だった。そして、本当に口を開いてこう言った。
「この本だけはうれしかった」
この本だけは……。その言葉に触れた瞬間、膨大な資料と格闘し、無数の語録の中から生きた言葉を選び出し、構成したあの日々の疲れが一気に吹っ飛んだ。

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注1 《長島茂雄語録》はその後、サンリオ文庫、河出書房新社から文庫本になり、小学館からも主にコンビニ用の軽装版が、東邦出版からは少し再編集・改題した書籍も出版された。さらに、松井秀喜とともに国民栄誉賞を授与された記念に、改めて河出書房新社から文庫本が増刷・出版された。
注2 長嶋さんはいわゆる浪人時代、ローマ法王に謁見し、フリオ・イグレシアスら世界の著名人と交流された。その際、名刺代わりに持参されたのがこの《長島茂雄語録》だったと後日教えられた……。





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