スポーツ・メディアリテラシー(3) 〈スポーツ基本法〉は吟味されたのか

東京2020を法的に正当化するため法律が作られた?
〈スポーツ基本法〉は、スポーツ分野にメディアリテラシーが欠如している現実を見事に表している、と僕は思う。
 メディアだけでなく、法律を作った議員たち、関与した官僚たちも同様にスポーツを「偏った方向からしか」捉えていない。もしくは、特定の目的のために作った法律だから、そうなっても仕方がない、と理解すべきだろう。
 それにしても、テーマがスポーツ、しかもオリンピックのような〈お祭り騒ぎ〉となると、国会ですら客観性を失い、批判精神をなくし、「踊る阿呆に見る阿呆……」、冷静な指摘は野暮だと言わんばかりの「ええじゃないか」的ベクトルが働くようだ。
 僕もすでにスポーツライターでありながら積極的に反対を唱えなかった。影響力もなく、無関心、無責任の片棒を担いだひとりだから、いまさらの批判で申し訳ないが、遅まきながら提言したい。

五輪招致を国を挙げて推進するために法的根拠が必要だった…
 スポーツ基本法は、東京2020(2020東京五輪&パラリンピック)の招致と実施のために法制化が急がれた。この法律の土台となった〈スポーツ振興法〉ができたのは昭和36年(1961年)、これは先の1964東京五輪に向けて制定された法律だ。つまりいずれも、国がオリンピック関連の事業を推進するための法的根拠の必要に迫られて作った。〈スポーツ振興法〉〈スポーツ基本法〉と言いながら、スポーツ全体を論じたものでなく、オリンピック開催と関連事業に必要な後ろ盾のために作られた法律だ。真にスポーツ文化の熟成、スポーツを総合的に吟味して定めたものでなく、目的の先には「オリンピック開催」があった。もっと言うなら、オリンピックに関連したインフラ整備や再開発にお墨付きを与えるためであって、「スポーツの健全な発展を促す指針を作る」という情熱は、これに関わった一部学識研究者にはあっただろうが、大勢ではなかった。
 平成23年6月9日の衆議院本会議、同6月17日の参議院本会議でいずれも「全会一致」で可決、〈スポーツ基本法〉は成立した。「全会一致」といういかにもお祭りに全員が乗っかるような結末もスポーツらしくて、ため息が出る。「こんな偏った法律に誰も反対しなかったのか」という意味である。

スポーツは「いいものだから推進する」という思い込みで書かれた条文
 前文から条文を読み進めて、何が規定されているかを要約すれば、「スポーツはいいものだから推進しましょう」と読み取れる。
 その前提がそもそも客観性を欠いているし、思い込みが前提になっている、と僕は途方に暮れる。
 スポーツは、やり方を間違えると心身にひどいダメージを与える。イジメやパワハラの温床にもなりえる。練習のし過ぎ、勝利を求めすぎ、といった過剰な努力に陥りがちな分野だけに、そうした弊害を認識し、人としてのバランスを重視する意識を促す必要もあると思うが、もっぱら「スポーツはいいものだ」が優先し、偏り過ぎの感が否めない。
 下村さんが指摘したメディアリテラシーの「思い込み」「囲い込み」をスポーツ基本法は自ら率先し誘導しているようにさえ感じられる。
 本来はこうした偏りをチェックし、社会的に問う機能と使命を持つメディアが、オリンピックになれば「一緒に儲けたい」という方向性で突っ走るから、プレーキのかからない暴走車みたいになっている。

下村健一オフィシャルサイト
小林信也スポーツライター塾 GW特別講座のご案内
小林信也 X 


いいなと思ったら応援しよう!