農業問題 素朴な疑問5 タネなし野菜と少子化対策の矛盾 小林信也
タネなし野菜で生殖能力を減退させて少子化対策を語る
農薬やタネに関する日本の「農業政策」と「少子化対策」、この二つをつなげて考えただけでも、日本政府、その中心となる政治家や官僚たちに「通底する哲学」「人としての理念や基礎知識」があるのか、疑問を覚える。
現在の農業政策は「日本人から生殖能力を減退させる方向に動いている」ように見える。意図的か無自覚なのかわからないが、そういう選択を採っている。前回紹介したF1種のタネ、中でも「雄性不稔」と呼ばれるタネなし品種が「人体にまったく影響なし」と断定できる証拠はあるのだろうか。それなのに平気で〈タネなし〉を国は推奨している。
一方で、深刻な顔で「少子化対策」を論じている。でも少子化の何が問題なのか? 真っ先に挙げられるのは〈経済的な破綻〉、それに伴う〈社会の貧困化〉〈国際競争力の低下〉などだが、ひとりひとりの幸福の源泉とは何か、根本的な人間的視点が欠けてはいないだろうか。
生殖能力を奪いながら、他方で少子化を議論する。矛盾としか思えない。
様々な課題に通底する〈根本的な核心〉を追求しない政治・政策
政治家やお役人たちは、わかっていながら、何らかの利権のためか、自分だけ一部特権階級の枠組みに入って生きるための取引なのか、およそ本質的と思えない対処的な政策を別々に打ち出すにとどまっている。
農業政策も少子化対策も、その部門だけでコップの中をかき回している印象で、およそ全体的な発想がない。それは「各省庁が縦割りでお互いの権益を守ることに終始している」と言われる弊害なのかもしれない。
僕が宇城憲治師範から学んだ武術では《統一体》が基本だ。人間は部分と部分を組み合わせてできる生き物ではない。スポーツの分野では「筋トレとメンタル・トレーニングを別々にやって、後で組み合わせれば素晴らしい選手になる」といった幻想がまかり通っている。それは絵空事だ。部分を組み合わせても人間にはならない。そんな当たり前のことさえ、欧米の影響で見えなくなっている。一部指導者や企業・代理店はメディアと共謀してそうした欧米的な方法論を喧伝、国民を半ば洗脳してスポーツ・ビジネスを構築している。そこには一時的な感動や興奮はあっても、人間科学の本質が深まる方向性は残念ながらない。
人間の身体と心は別々にできない
筋トレの何が問題か、メンタルトレーニングではなぜ根本的な解決にならないか、ここでは詳述しないが、身体と心を別々にはできない一例だけ挙げよう。あなたは、目をきょろきょろさせながら、何かに考え事に集中できるだろうか? 一昨日の夜、何を食べたか思い出すのに、目をきょろきょろさせて考える人がいるだろうか? 人が集中する時、目は自然と一定の場所にとどまる。凝視するでもなく、ぼんやりと視線を向けて考える。それは身体と心を別々にできない、わかりやすい実例だ。
部分と全体という考え方は、日本の武術だけの考えではない。私は、精神科医・心理学者として高名なユングが次のように言っているのを知って驚いた。まったく武術と同じ考え方(人間論)は当然のことだが、ヨーロッパでも古くから指摘されていたのだ。ユング派精神分析家の樋口和彦が著書『ユング心理学の世界』で次のように記している。
ユングも言っている。『全体化することを「健康」という』
《「病い」とは人間が部分化される、という意味である。例えば、癌なら癌に犯されると、その部分は全体からの統制を脱して、自己充足的に、部分化が起こる。そして、部分が全体とのバランスを失って自己増殖を異常につづけるから、全体は死に至ることになる。この全体との関係が切れて、部分になることを「病い」という。その反対に、「全体化すること」、「全体になること」、は反対概念の「健康」ということになる。ところが、現代の「健康」という概念はあまりにも物質界のみに限定した概念で、その深さを充分に表現していない。》
若者の生殖能力を健全に機能させ、自然な性欲が湧き立つ食生活、日常環境を整備すれば、少子化対策の根本は好転するだろう。生殖能力を削ぎ落とし、出生した場合の助成ばかりを考えたって、立つものが立たなければ、その気にならないのは当然だ。
頭でモノを考えても、本能には届かない。細胞を活性化させずして、根本解決はない。
小林信也の本
既刊《天才アスリート 覚醒の瞬間》(さくら舎)
新刊《武術に学ぶスポーツ進化論》~宇城憲治師直伝「調和」の身体論~
(どう出版)
