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農業問題 素朴な疑問3 新しい佐渡の方向性を作った人たち 小林信也

農薬を使わない、方針転換の礎となった七人の農家の取り組み
JA佐渡が「ネオニコチノイド系農薬を使わない」という決断をする前提に、自発的に無農薬・不耕気栽培(耕さない田んぼ)に興味を抱き、試行錯誤を重ねた7軒の農家の存在があった。僕は《おとなプラス》連載中に、その中のひとりに話を伺った。
周囲が懐疑的に見る中で、無農薬・不耕気栽培に挑戦し続け、収穫した米が通常米より高く売れることを証明した彼らがいなければ、JA佐渡の転換はなかっただろう。

冬も水を貯めている「ふゆみず田んぼ」
不耕気栽培の特徴のひとつは「ふゆみず田んぼ」だ。僕らが子どもの頃から見ている水田は稲刈りが終わると水がなくなり、土は乾いていた。ところが「ふゆみず田んぼ」は冬も田んぼに水を張ったままにする。そうすると水の中で暮らす生き物の生息地となり、生態系が豊かになる。それは佐渡にとって、トキのえさを冬の間も供給できる願ってもない環境の確保にもなる。
豊かな米作りとトキの生息環境の保持、一石二鳥の農法だとわかった。実際、トキを自然に戻すには農薬、化学肥料を使わない田んぼにすることが不可欠。ところが、従来の農法とは対極的なため、「農薬を使わずに米が作れるか」「トキなんか戻らなくていい」という反対の声も根強くあった。
そんな佐渡が一気に転換できた「大きなきっかけがあった」と教えてもらった。これはJA佐渡の担当者から聞いた話だ。

アクシデントが佐渡を襲った
2004年夏、フェーン現象による熱風が佐渡島を襲った。ちょうど籾(もみ)に水分が入る大切な時期に田んぼがカラカラに乾いてしまった。その影響でこの年、佐渡米はほぼ全滅した。
小売店の棚は、一度他の米に奪われると取り返すのが難しい。売る米がなかった2004年秋、佐渡米の棚は他の米に奪われ、翌年もその翌年も売る棚自体が少ないため、従来のように佐渡米は売れなかった。米価の下落も追い打ちをかけ、佐渡の農家は窮地に追い込まれた。
そんなどん底だったから、佐渡米のブランド・イメージを一新させるための取り組みは必然、新しい付加価値を持つ無農薬米への転換に反対する声は少数になった。そうやって生まれたのが佐渡米《朱鷺と暮らす郷》であり、当初の7人が育て続ける《トキひかり》とともに、佐渡米は美味しさと信頼のブランドになった。

小林信也の本
既刊《天才アスリート 覚醒の瞬間》(さくら舎)
新刊《武術に学ぶスポーツ進化論》~宇城憲治師直伝「調和」の身体論~
(どう出版)

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