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大の里・能生育ち観戦記(3月場所14) 最後は盤石の3連勝 小林信也

二人が優勝を争う千秋楽は見ごたえがあった
高安が本割で阿炎を破り、大の里は大関・琴櫻を圧倒した。
二人とも見事だった。首位の二人が勝って優勝決定戦に持ち込まれたことで、大阪場所全体の充実感が高まった。「荒れる三月場所」と僕が子どものころから言われている大阪場所は三敗での優勝争い。「レベルが低い」と眉をひそめる好角家もいるが、千秋楽の相撲がそんな非難を吹き飛ばした、と僕は感じている。
新鋭・安青錦の台頭、ベテラン・高安の奮闘、大栄翔、美ノ海の活躍など見どころの多い場所だった。尊富士は十一日目に大の里に敗れて以後四連敗、これまでにない負け姿を見せた。しかし、それまで七連勝の勢いはやはり脅威を感じさせた。今後も手強い存在であるのは間違いない。

そんな中で、大の里が三度目の優勝を飾った
ファンや関係者は色んな批判をするだろう。「十二勝」では物足りないという声も聞こえる。そんなことはわかっている。だが、気持ちとしては一緒に闘っている僕からすれば、「勝負はそんな簡単なもんじゃない」「まだ入門してやっと二回り。二年前の大阪場所では土俵にさえ上がっていなかったんだ」。勉強することはたくさんある。「いい勉強をしたなあ」とつくづく感じる大阪場所だった。十三日目の王鵬戦など、本人が「雑な相撲があった」と表現したとおり、見ていて溜息しか出ない悪い癖も見せられた。でも、そこには必然性というか、機が熟していない、何か不足が大の里の中にあったのではないか。あの日の大の里には「何が何でも勝つ」という意欲は感じられなかった。「何が何でも勝てばいい」と思う人間でないから、愛すべき人なのだ。だが、勝つしかないのが大相撲の世界。その必然性、その正義感の微妙な一線を、最後の三日間で大の里は乗り越えたように感じる。十五日間戦い続けた最後の三日間で、「勝つことの意味」と「勝つこと」の使命感が大の里の中でみなぎったのではないだろうか。

星の数より、十五日間の波風に成長の糧があった
十五日間の波、心の起伏。雑な相撲もあったが、その雑こそが、次の領域に踏み込む布石にもなった……。そうやって大事な境地を掴んでいくのが人生だ。
十四日目に書いたとおり、大翔鵬戦に臨む大の里はもう前日と別人だった。千秋楽も毅然たる表情が揺るがなかった。琴櫻を寄せ付けず、高安にも隙を見せなかった。この二日間、三番の相撲が大の里を大きく変えた。大の里自身、その手応えを強く感じているのではないだろうか。だから、今回の優勝には意味がある。相撲人生の大きな礎となる成果があった。十二勝とか、星の数は関係ない。乗り越えた境地にこそ、明日への希望を感じる。

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