僕が書いた本の話17 板東英二の生き様を伝えたい クラファン挑戦中
週刊新潮の連載《アスリート列伝 覚醒の時》
連載は今日発売号で233回を数えた。開始から約5年。前後編で書いた方、二度書いた方がごく一部いるので、約230人のレジェンドと現役のトップアスリートを紹介させてもらった。その中で、単行本に収録して、ぜひ多くの読者に改めて紹介したいレジェンドのひとりが板東英二さんだ。
坂東さんは、多くの人にとっては、『世界ふしぎ発見!』の回答者として有名だろう。一世を風靡したドラマ『金曜日の妻たちへⅡ』で篠ひろ子の夫役を演じたことを懐かしく思い出す人もいるだろう。いずれにしても、タレントさん、役者さんだと認識している人がもう大半かもしれない。
僕は子どもの頃に知らされた〈坂東・村椿の投げ合い〉
古い野球ファンは、坂東さんがいまも破られていない高校野球の大記録の持ち主だと知っている。1958年夏、6試合62イニングを投げて83個の三振を奪った。この記録は66年が経ったいまも破られていない。さらに、この大会の準々決勝、『坂東・村椿の投げ合い』と謳われる伝説の一翼を担ったのが、坂東英二である。徳島商のエース坂東と魚津高(富山)の村椿は互いに譲らず、延長18回を零封し、翌日の再試合に持ち込まれた。この試合で坂東は25個もの三振を奪った。
再試合でも両投手が完投、3対1で徳島商が勝ち、坂東が27イニングにわたる投手戦に勝利した。
高校野球の伝説を彩った名投手・板東英二
実はそれまで、延長18回で打ち切り再試合という規定は夏の甲子園にはなかった。その年から適用された大会規定だが、それを急遽作る原因となったのも坂東だった。
坂東はその年の春季四国大会の準決勝・高知商戦で延長16回を投げ抜いた。1対1で延長に入った試合は、16回裏に徳島商が1点をあげ、サヨナラ勝ち。2日後の決勝・高松商戦はまた延長戦になった。お互いに0対0。ついに延長25回表に徳島商が2点を取り、その裏、坂東が高松商打線を無得点に抑えて優勝した。こうした出来事が日本高野連を動かし、18回打ち切りの規定が作られたのだ。
僕が語り継ぎたいのは《板東英二の先進》だ
高校を卒業後、坂東は中日ドラゴンズに入団し活躍する。高卒ルーキーながら1年目から4勝。2年目には10勝、3年目には12勝を稼いだ。こうした活躍も特筆に値するが、僕がみなさんにどうしても紹介したいのは、副業への熱烈な情熱だ。
1年目のオフには牛乳屋さんの権利を買い、経営者になった。さらに、名古屋市内に4階建てのビルを買い、サウナやナイトクラブをオープンさせた。予算が足りず、内装は自分も手伝っての突貫工事。そのため、甲子園での阪神戦を仮病でさぼり、なんとか開店に間に合わせた逸話がある。50年以上も前、そんな先進的な発想を持ち、試合をさぼる決断の出来るツワモノがいたことに仰天する。本人によれば、プロ野球をいつクビになるかわからない、早く次の準備をしておきたかった、というが、なかなかそこまでは出来ない。さらに、なぜ板東が、球団からの大目玉を覚悟してまで、副業に情熱を注いだか、幼い頃の体験を知るといっそう、言葉につまる。
命からがら逃げのびた、赤貧の少年時代を描いた小説《赤い糸》
タレントになってからテレビで見せてくれた奔放さ、明るさの陰に、筆舌に尽くせない日々があった。そのことは板東自身が、自伝的小説《赤い糸》に著している。
実は愉快なだけではなかった、板東英二の生き様を僕はどうしても多くの読者に届けたいと願っている。
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