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僕が書いた本の話14 第二章は「天才たちの発想」クラファン挑戦中

《覚醒の時》単行本化第二弾の第二章は
〈スポーツは芸術だ! 天才たちの発想」と題して、僕が感銘を受けた、衝撃を受けた、影響を受けた、触発されたアスリートを紹介している。
最初は荒川静香さん。金メダルを獲った時の〈イナバウアー〉は世界中を魅了した。あの瞬間に「金メダルは決まった」と多くの人が確信したのではないか、と思うが、実はあのイナバウアーはまったく採点にプラスされない技だった、というのは後に有名になった。それでもコーチがイナバウアーを組み込んでくれた、その背景や心情を荒川さんが話してくれている。

僕の進路に影響を与えた長嶋茂雄、そして江川卓
次は江川卓さん。高校3年秋の〈長嶋引退〉がなければ僕は慶応義塾大学に進学していなかった、という話は以前どこかで書いた気がする。その一方には江川卓がいた。その春、江川は甲子園に出場した他校の中心選手たちと相談して、みんなで慶應を受験した。しかし、ほとんどが合格できなかった。慶應には甲子園組が少ない、県立高出身の僕でも通用するのではないか、それも決断の大きな要因だった。でも僕は結局、すぐ野球部をやめるのだが、スポーツライターを志してからも、江川卓は目の前に立ちはだかる壁のような存在だった。まともに取材させてもらえない。苦い思い出がいくつかある。その江川さんと、40年近い日々を経て、会うことができた。あのホップする快速球の誕生秘話、江川さんの投球哲学、すべてが昂奮に満ちた新鮮な話ばかりだった。

スポーツ庁長官になって改革断行してほしかった
そして平尾誠二。平尾さんとは、二度会ったことがある。一度目は日本代表監督の時。菅平に訪ねてインタビューした。
「ラグビーは身体で感じるのが大事。例えば、膝で考えるとかね」
という言葉に触発された。スマートというより、バタくさいというのか、どこからどう見てもスターの雰囲気が充満していたし、教科書的な常識からはまったく飛び出した人だった。二度目に会ったのは、病気になられてから。厳しい体調を押し、共通の知人(出版プロデューサー)の求めに応じて長崎で行われたスポーツシンポジウムに来られた。僕は司会役だった。
実質的な意味で〈スポーツ庁長官〉に相応しいのは平尾さんのような方だ。そういう得難い人材の前途が奪われのは、日本スポーツ界の大きな損失だと本当に悔しく思う。

小林信也 週刊新潮連載《覚醒の時》クラウドファンディング

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