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スポーツ・メディアリテラシー(1) スポーツ報道の落とし穴

武蔵野市内(武蔵野政治塾)で下村健一さんの講演を聞いた
 下村健一さんは元TBS報道局アナウンサー。フリーキャスターを経て、「内閣広報室」審議官等を2年半、その後は大学教授の傍らインターネットメディア協会を創設しメディアリテラシー部門を担当するなど、主に〈メディアリテラシー〉に関する啓蒙、普及、教育活動をなさっている。
 下村さんと僕は、かつてTBSラジオ土曜朝のワイド番組《土曜ニュースプラザ》のレギュラー出演者だった縁がある。その番組の仲間はMCの中村尚登さんの呼びかけでいまも年一度、忘年会で集まっている。その会で一緒に酒席を囲む仲間でもある。飲むたびに、下村さんはメディアリテラシーについて語っておられたが、酒席ゆえに系統だって聞く機会はなかった。それで今日は楽しみに会場に向かった。

なぜ危ないか、何が危ないか、どうすればいいのか
 下村さんの講演は、現在のメディアと私たちの関係性を前提に、〈メディアリテラシー〉という、普段は一部関係者だけが熱心に向き合うにすぎない(と僕は感じていた)言葉が、一人ひとりの人間が生きる上で欠かせない、衣食住と同じくらい重要な人間力であることに瞠目させられた。
 幼い頃から、知らずしらず日本語を覚え、ご飯の食べ方、手の洗い方、道路の歩き方、周りの人との接し方の基本を親や学校や周囲に教えられて成長する。だが、メディアとの付き合い方、新聞の読み方、テレビ情報の受け取り方は野放図で、「これをきちんと意識して教えられ、学ぶ機会を経験した人は少ない」というのが、下村さんの最初の指摘だった。
 しかも近年はインターネットという、便利だが、より私たちの内面にまで常に入り込んでくる、しかも作為的な情報操作が無意識のところで行われている環境によって、とても危険な状況の中に自分がいることをどれだけ自覚できているだろうか。自分では広く情報を集めているつもりでも、インターネットは検索の時点で自分の好みを把握しているから、思い込みがいっそう助長されるような情報ばかりが提供される。同じ言葉を検索しても、出てくるラインナップが人によって違うのだという事実を認識している人も、案外少ないのではないだろうか。

メディアが「真偽」を追求するのでなく「快か不快か」に走る時代
 下村さんは現代のメディアの危険な傾向をこう表現した。
「メディアが真偽を追求するのでなく、『快か不快か』を基準にする時代になってしまった」
 つまり、その情報が正しいか偽物かを判断するための情報を提供するのでなく、すでに思い込みに浸かってしまった受け手が「気持ちいい」と感じる情報を提供する方が喜ばれる。商売がうまく行く。そういう傾向が極まっている、すでに救えないくらい危険な状況に陥っていると警鐘を鳴らした。
 単純に理解すれば、正しい情報・こうあるべきだという問いかけを提供するより、視聴者が喜ぶ情報を流した方が〈視聴率が上がる〉〈売り上げが上がる〉という価値観に従えば、真偽などは二の次になってしまう。まさにいまのメディアの現実はそれだ。

スポーツメディアはその悪しき最先端を行く分野だ
 下村さんの講演を聞きながら、胸に手を当てて考えさせられることが多々あった。自分も情報発信を担う立場のひとりだから、過去の発信や言動にヒヤリとするものもあるし、自分なりに軌道修正して胸をなでおろす感じの経験もある。
 メディアリテラシーに関することは、下村さんがすでに複数の著書を出版しているから、ぜひご購読をお勧めする。
 僕はスポーツ分野の発信を担う者として、スポーツに特化したメディアリテラシーを読者とともに考えてみたい。
 スポーツをめぐる状況は、下村さんが警鐘を鳴らす政治や社会問題に関する〈思い込み〉〈囲い込み〉以上に深刻ではないだろうか。深刻というか、それがとてもわかりやすい構図で浮かび上がる分野といってもいいかもしれない。
 スポーツメディアとともに自分のスポーツ観を作り上げ、贔屓(ひいき)チームや推しの選手を礼賛するボルテージをぐんぐん上昇させるスポーツファンの姿が目に浮かぶ。彼らに〈スポーツメディアリテラシー〉はあるだろうか? 今日から何度かにわたって、一緒に考えてみませんか。

 下村健一オフィシャルサイト
  標題写真は下村健一さん。HPから引用させていただきました。


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