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「長岡大空襲の生存者に取材したい」

「B29の爆撃を受けた長岡の証言者に会って写真を撮りたい」

 大石芳野さんが、会話の中でふと言われた。
「B29が日本各地に焼夷弾を落とし、町全体が焼け、大勢の人が亡くなりました。すでに富山の写真は撮り始めました。次は長岡の生存者の方に会って話を伺い、写真を撮りたいんです」
 僕の目が丸くなったのは言うまでもない。思わず叫ぶように応えた。
「長岡は僕の生まれ故郷です。ぜひお手伝いさせてください!」
 大石さんも、にわかに信じられない表情でしばらく言葉がなかった。

運命の糸に導かれた、のかもしれない

 講演会で大石さんに出会い、身の程知らずにも面談を申し入れた。大石さんには唐突なことで、ご迷惑だったかもしれない。けれど、この瞬間に運命の糸がつながった。
 僕は、その方面につながりのありそうな故郷の友人に連絡し、大石さんの取材の手がかりを探った。長岡大空襲に遭い、戦火の中を生き延び、そして現在までご健在の方々を探す必要がある。昭和20年夏に小学校1年生だった方でもすでに80代半ばを過ぎておられる。
 幸い、「長岡で戦争の歴史に関しては誰よりも詳しい」と自他ともに認める星貴さんにたどり着くことができた。星さんは、僕が少年時代よく通った大阪屋書店の後継者。同時に、戦争の歴史を研究し語り継いでいた父親の遺志を継いで調査・研究を続けておられる筋金入りの専門家だ。

日本でも有数の〈第二次世界大戦を調査・考察する民間研究者〉

 長岡戦災資料館のアドバイザーでもある星さんをまずは〈戦災資料館〉にお訪ねすることからリサーチが始まった。
 星さんの話を聞き始めてすぐ、星さんは〈長岡の戦争を語る専門家〉にとどまらず、〈第二次世界大戦の被害や背景〉に関して、日本でも有数の博識を持つ民間の専門家だと敬服した。何を聞いても明快な答えが返ってきた。
「長岡が空襲の標的になったのは、山本五十六元帥の故郷だからと聞かされています。それは本当ですか?」
 星さんはきっぱり否定した。
「違います。それは関係ありません」、そう言って資料を机に載せた。「アメリカは、人口順で爆撃する市を選んだのです。新潟県なら本来は新潟市を選ぶはずですが、新潟は原爆を落とす予定地になっていたため、次に人口の多い長岡が選ばれたのです」
 なるほど、だから富山県は富山市だった。そして兵庫県は神戸市、神奈川県は横浜市……。

長岡の小中学校では「平和学習」が行なわれていた

 百人力を得た思いで大石さんに報告し、次は大石さんを伴なって長岡に降り立った。2024年の3月半ば。雪の少ない冬、長岡の街に雪はほとんどなかった。
 ちょうどその日、《平和学習》の一環で、市内の南中学の生徒たちが、戦争の歴史や出来事を自分たちが調べ、作りあげた《戦争と平和をテーマに演劇》を舞台で上演する日だった。場所は長岡市立劇場の大ホール。世界的なピアニスト・辻井伸之さんらのコンサートも開催される立派な劇場だ。
 その日、観客席には、長岡大空襲を体験し、いまも元気に暮らしておられる体験者・証言者の方々の姿もあった。大石芳野さんの長岡取材は中学生たちの演劇と、それを観に来ていた証言者たちとの出会いから始まった。

スポーツを通じて平和を発信! 大石芳野平和祈念写真展&小林信也トークライブ開催 - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)


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