終戦前日『葛根廟事件』はなぜ起こり、なぜあまり伝えられないのか。
終戦の前日、8月14日に満州で起きた惨劇
『葛根廟事件』を、僕はつい数日前までまったく知らなかった。
ネットを検索すると『葛根廟事件』を伝える報道はいくらでもあった。だが僕は、その出来事にはまったく触れることなく69年近く生きてきた。それほど戦争と真っすぐ向き合わず、ぼんやり生きてきたと認めざるを得ない。学校の授業で習うことは耳にし目にしても、学校で教えない出来事や隠された真実までは学ぼうとしなかったのだろう。
改めて葛根廟事件を、僕同様に知らない人に紹介するには、2019年に上映されたドキュメンタリー映画『劇場版 葛根廟事件の証言』(田上龍一監督)の予告編が明快だ。
葛根廟事件を生き延びた体験者たちの生々しい証言
《満州の大地を血で染めた 葛根廟事件を知っていますか…》
というテロップで予告編は始まる。
《終戦前日の昭和20年8月14日 旧満州から引揚げ避難中の日本人の一団が
ラマ教寺院葛根廟付近で旧ソ連軍の襲撃にあい 1,000人以上が死亡した》
大陸の風景をバックに、証言者の声が流れる。
「大勢が犠牲になっていながら 誰にも振り返ってもらえない 日本人は見捨てられていると思いますよ」
別の女性の証言。
「たった親子3人なのに全部バラバラになっちゃって」
《あの日 満州で何があったのか―》
映画は問いかける。別の体験者が乾いた声で言う。
「うめき声や末期の声を耳にし目にしても それに対する憐憫の情が全然わかない 無感動だ 人間というのはおそろしいものだと思う それが戦争」
戦争は、襲撃する方も襲撃される方も「おそろしい生き物」に変える。それが戦争ーー。
ソ連が突如、日ソ中立条約を破棄して日本に宣戦布告した
ネット情報で得た概要をまとめよう。
昭和20年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告。10日未明、満州、朝鮮半島、樺太などに侵攻を始めた。そして14日、午前11時40分ころ、葛根廟事件は起きた。1,000人以上が犠牲となり、生存者は100数十名程度だったと伝えられる。
この情報に触れて、ひとつの記憶が僕の中から浮かび上がった。それは小学校の授業中、担任の先生が教えてくれた短い言葉だ。
小学校2年の授業で教えられた、指導要領にはない事実
「ソ連は、日本が戦争に負けるとわかってから、終戦直前に日本に戦争を宣言して、樺太を自分たちのものにしてしまった」
卑怯な国だとまで言ったかどうか覚えていないが、それを聞いた小林少年は当然のように義憤を覚え、ソ連は卑劣な国だという印象を刻み込まれた。
T先生の顔が一緒に浮かぶから、小学校2年くらいの出来事だろう。担任の先生の言葉は指導要領にはない番外編、先生個人の考えだったろう。それを言っていいのかという議論は別として、60年以上経った今も甦る、印象的な言葉だった。そういう歴史の核心につながる事実こそが、本来学ぶべきこと。そこから掘り下げて、もっと様々な側面や双方の事情なども見極める習性を身に着けることが勉強ではないか。日本の戦後教育は、隠すこと、核心に触れないことだった、その弊害が厳しく日本の劣化を招いてきた……、改めてそう感じる。
「戦争に反対する者はアカだ!」と決めつける、奇妙な偏見
僕たちは戦争をあまりにも知らない。戦後の外交、日本が置かれた立場、その中で為政者たちがどのような選択を採ってきたのか。最近はインターネットで様々な見方や事実が語られるようになった。困るのは、そのいずれが事実なのかが判断しにくいことだ。
いずれにせよ、右だ、左だ、ではない物の見方、感じ方を日本は取り戻さなければならない。政治を語り、平和を語り、戦争や軍備拡張への懸念を口にするだけで「思想的に偏っている」「危険だ」と決めつけられる不自由な社会から脱却しなければならない。
そう言えば、戦争被害の写真を撮り続け、平和を訴えるだけで、「アカだと決めつけられて、ずいぶん迫害を受けました」
大石さんの言った。正直、驚いた。でも、世の中のそんな偏見の中で、大石さんは信念を貫き、戦禍の記憶を撮り続け、問い続けてきた。その実像をまた次回から綴る。(続く)
大石芳野さんと小林信也の対談映像がご覧いただけます!
YouTube小林信也チャンネル「大石芳野・小林信也対談」
スポーツを通じて平和を発信! 大石芳野平和祈念写真展&小林信也トークライブ開催 - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)
