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白か黒かではなく、何対何か

白黒で答えられないとき

「賛成ですか、反対ですか」

そう聞かれて、すぐに答えられないことがある。

反対ではない。
けれど、完全に賛成でもない。

方向性にはうなずける。
でも、進め方には少し不安がある。

言いたいことはわかる。
でも、その言い切り方には引っかかる。

相手の気持ちは理解できる。
けれど、別の立場の人の事情も簡単には切り捨てられない。

そんな曖昧な自分を、私は長いあいだ、優柔不断なのだと思っていた。

白か黒かを決められないこと。
賛成か反対かを言い切れないこと。

それは弱さなのだ、と。

けれど最近は、少し違うように感じている。

白黒つけられないのは、弱さではない。
現実を粗く切り分けないための、ひとつの誠実さなのかもしれない。

現実は、二つに分けきれない

人は、物事を単純に整理したくなる。

賛成か、反対か。
好きか、嫌いか。
正しいか、間違いか。

その方が、迷わずに済む。
答えが出れば、次へ進みやすい。

けれど、現実はそれほど単純ではない。

完全に賛成できることは、思っているほど多くない。

方向性には共感しても、不安は残る。
人の言葉に励まされても、どこかに違和感を覚えることがある。

反対するときも同じだ。

全体としては受け入れられなくても、その中に理解できる部分や、可能性を感じる部分が残っていることがある。

私たちの判断は、多くの場合、賛成と反対、期待と不安、その両方を含んでいる。

それは白か黒かではなく、グラデーションなのだと思う。

7対3を「賛成」と呼ぶとき

たとえば、ある提案に対して、自分の中では7割賛成で、3割反対だったとする。

方向性には納得している。
進める価値も感じている。

けれど同時に、不安もある。

準備不足ではないか。
誰かに負担が偏るのではないか。
急ぎすぎて、大切な確認を飛ばしてしまうのではないか。

そのとき、周囲からはこう聞かれる。

「つまり、賛成なんですね」

もちろん、最終的には賛成という立場を取るのかもしれない。

けれど、その瞬間に、3割の懸念が消えるわけではない。

言葉の外に置かれるだけだ。

その3割の中に、あとで向き合うべき課題や、見落としてはいけない条件が含まれていることもある。

反対の場合も同じだ。

8割は反対でも、2割の可能性が残っているかもしれない。

条件が変われば、違う結論になる余地があるかもしれない。

二分法は速い。
けれど、ときに粗くなる。

グラデーションを見ることは、時間がかかる。
でも、その分だけ、現実に近づけることもある。

曖昧さは、逃げではない

もちろん、最後には決めなければならない。

進むのか、止まるのか。
引き受けるのか、断るのか。

現実の行動は、いつまでもグラデーションのままではいられない。

だから、曖昧さを認めることは、決断を避けることではない。

むしろ、決める前に、自分が何を引き受け、何を手放すのかを丁寧に見ることなのだと思う。

7対3なら、3の懸念を抱えたまま進めばいい。

「賛成です。ただ、この不安は残っています」

そう言えればいい。

5対5なら、無理に結論を急がず、足りない情報を探せばいい。

曖昧さは、結論の敵ではない。

雑な結論の敵なのだと思う。

相手の中にも、グラデーションがある

自分の中にグラデーションがあるなら、相手の中にもある。

誰かが「賛成です」と言ったとしても、それが100対0とは限らない。

7対3かもしれない。
5.5対4.5かもしれない。

その違いは、小さくない。

賛成の中には懸念があり、反対の中には可能性がある。

だから、「賛成なんですね」「反対なんですね」で終わらせるのではなく、もう少しだけ聞いてみる。

「気になっていることはありますか」

「何が変われば、考えは変わりそうですか」

そんな問いを挟むだけで、対話は少し柔らかくなる。

立場をぶつけ合うのではなく、それぞれの中にある混ざり方を見つめられるようになる。

グラデーションを見ることは、相手を曖昧に扱うことではない。

むしろ、相手を粗く扱わないことなのだと思う。

白か黒かではなく、何対何か

これからも私は、賛成か反対かを問われるたび、少し戸惑うと思う。

すぐに答えた方が、話は早い。
はっきり言い切った方が、強く見えることもある。

それでも、自分の中の比率を見失わないでいたい。

これは、何対何なのだろう。

賛成の中に、どんな不安があるのか。
反対の中に、どんな可能性が残っているのか。

その問いは、結論を遅らせるためのものではない。

結論を粗くしないためのものだ。

白と黒のあいだには、無数の灰色がある。

灰色は、何でもない色ではない。
白と黒、その両方を含んでいる色だ。

私たちの判断も、きっと同じなのだと思う。

白か黒かではなく、何対何か。

その問いを持ち続けることで、少しだけ、現実に誠実でいられるのかもしれない。

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