創作の裏側『神頼み【完全版】〜66歳の生き直し〜』
こんにちは、野村葉です。
1960年(昭和35年)生まれの、福岡県在住の男性です。
noteに投稿している小説の「創作の裏側」を紹介しています。
今回は『神頼み【完全版】〜66歳の生き直し〜』です。投稿したのは5月19日でした。
この記事は、「創作の裏側」の「神頼み」①〜③をまとめたものです。内容を三つに分けて紹介していきます。
第1部 イノシシとなって奈良時代を駆ける(1.日課〜5.待機)
この作品の舞台は、私のウォーキングコースです。いつもサロモンのトレランシューズを履いて出かけますが、これは本当に歩きやすくて、色違いを通勤にも使っています。最初はコースの描写が延々と続くので、退屈と思われた方もいらっしゃるでしょうね。
カメラとロープも実際にあります。ゴミの不法投棄防止のために地主さんが設置したのだと思います。それから、畑の作物が放置されているのも事実です。人手不足で収穫できないのでしょうか。
「原野」で野生動物に出会うことがあります。シカ、イタチ、アナグマ、タヌキ、ウサギ、キジ、ヘビといったところですかね。サルは見たことないですが、イノシシには三回遭遇しました。こちらに気づくとすぐ逃げていきましたが、蹄の音が馬みたいで、ものすごい迫力でした。
第1部のベースとなった作品はもともと別タイトルで書いたものでした。内容は、大根泥棒の罰が当たって主人公が「神様」によってイノシシにされ、一年後に自宅に帰ってくるというものです。
イノシシへの変身はおもしろいアイデアだと思ったのですが、ストーリーがイマイチです。もうちょっと捻りを加えたいと思って、出来上がったのがこれです。
いっそタイムトラベルしたらどうか。それなら和気清麻呂を三百頭のイノシシが守ったという伝説が九州にあるから、これを使ったらどうかと考えました。
変身シーンはけっこうグロいですが、永井豪の『デビルマン』を参考にしました。
時代考証については、吉川弘文館から出版されている、平野邦雄『和気清麻呂〔新装版〕』を取り寄せました。ただ、イノシシをめぐる伝承は内容がはっきりしません。ということで、想像で描いたところがけっこうあります。
主人公が清麻呂と会話するシーンも考えましたが、無しにしました。歴史の片鱗を目撃するところで止めておいた方がリアルだろうという判断です。
福岡県の宗像市と福津市にある、沖ノ島、宗像大社、新原・奴山古墳群が、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として2017年に世界文化遺産に登録されました。宗像氏をはじめとする豪族たちが大昔から居住していたことは間違いありません。イノシシたちの正体が地元の豪族だったというアイデアはここから得ました。
第2部 西南戦争で「祖父の祖父」を探す(6.神域へ〜9.帰還)
ここで「神の端末」が初めて登場します。この言葉はすでにあるんですね。「神端末」とか「神機」ともいうそうですが、私の場合はこんなイメージで使っています。
キリストを彷彿とさせる救世主が苦しんでいる人々を次々に救い、周囲からは「神様」と呼ばれるのですが、本人は「いいえ、私は『神の端末』にすぎません」と答えるのです。そのイメージというか映像だけは以前から自分の中にあったのですが、ストーリーが思い浮かばず、小説にすることができませんでした。
第2部は、主人公がいつものウォーキングの途中で雑木林に入っていき、その中に鎮座する巨石を目の当たりにするところから始まります。そしてそこには、第1部で出現したシロクマに似た「神様」が。しかし、それは元人間の八尋という名の「管理人」だったのです。
主人公は八尋に誘われて、再びタイムトラベルをします。
行き先は明治の初めです。主人公の祖父の祖父(高祖父)が西南戦争に薩摩側で従軍し亡くなったという設定ですが、これは私自身の実話(史実)です。叔父から聞いた高祖父の話をいつか書いてみたいと思っていましたが、今回ようやくかないました。
熊本県の八代での戦いは、原口泉監修『戦況図解 西南戦争』を参考にしました。原口先生は鹿児島大学の教授を長くつとめられた方で、私が子どもの頃は、地元のNHKの番組によく出演されてました。日本の近世史・近代史がご専門です。また薩軍の陣営でのやり取りは、鹿児島弁を思い出して書きました。
主人公と高祖父の絡みを入れようと思いましたが、戦況を遠くから見つめるだけにしました。そういう描き方がリアルかなと。これは第1部と同じ姿勢ですね。
第3部 初恋の女性に会いに行く(10.同窓会〜12.しばしの別れ)
この作品はけっきょく、作者である私・野村葉の人生の振り返りだったのだなと得心しています。自分史にとどまらず、土地の記憶や血脈も含んでいます。第1部で終わるつもりだったのですが、何かに引っ張られるように第3部まで続きました。
自分が小説を書いているつもりでしたが、自分が小説に書かれていたのです。脱稿してしばらくしてから気づきました。自分の人生の再出発に必要なことだったのでしょう。
大学生の時に子猫を保護したのは実話です。悲しい出来事だったのであまり思い出したくありませんが、やっぱり私は猫好きなんでしょうね。
『ハリーとトント』というアメリカ映画を劇場で鑑賞したんです。調べたら1974年製作になっているので、私が高校生の時だったんでしょうか。
50年前ですから、映画の細かい内容は覚えていません。たぶんお目当ての映画と併映で、たまたま観たんだと思います。昔はそういうのが普通だったんですよね。映画館に入ったら「何回でも好きなだけどうぞ」という時代でした。今は一本だけ上映されて、終わったら客を入れ替えますけど。
この映画は今でもBlu-rayで入手可能のようですが、観たいような観たくないような、複雑な気持ちです。
最後に「神の端末」は撤退してしまいます。理由はわかりません。とてつもなく巨大な存在の意思など人間にわかるはずがありません。
管理人の八尋が石に呑みこまれていくシーンは、諸星大二郎の作品にインスパイアされました。この人は、古代史や伝説を題材にしたおどろおどろしい、一度見たら忘れられない絵を描きます。人体が石と融合するイメージにピッタリなので、思い出しながら書きました。
本作品はビューがかなり多く、投稿から時間が経った現在も伸び続けています。感謝申し上げます。しかし、これは作者である私には意外でした。自分としてはそれほどおもしろいとは思えなかったのです。自己評価と他人による評価って違うものですね。
小説を書くのって、何だかダンスに似ています。時間と体力の許すかぎり自分なりに楽しめる。これからも踊り続けたいと思います。
(完結)
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