ぼくの名前はラワン
2026年劇場鑑賞2作品目
他者とコミュニケーションをとるかどうか、どのような手段を用いるかは個人の自由に委ねられて良いことだと思う。けど、言語を使って意思疎通をする選択肢は誰しもが持っていた方がいい。
イラクに住んでいた頃のラワンは、選択肢を持つ権利を与えられていなかった、その前に障害者というだけで生きる権利さえ奪われかねない環境にあったということか。
ラワンの両親は息子の命を守るため、基本的人権を与えられる環境で生きていくため、危険を冒して国を脱出し難民キャンプに辿り着いた。
そしてその難民キャンプで出会った聾者のイギリス人男性と出会いイギリス手話を習得し、イギリスへの亡命、ろう学校への入学という大きな変化を体験していく。
私自身難民やろう者に関する知識がなく、映画鑑賞後に自分で調べて不明点を補完し整理する作業が必要だった。
ラワンの家族はクルド人という"国を持たない最大の民族"と言われる少数民族で、居住する色々な国で差別や弾圧を受けていること、日本も例外ではないこと。
日本では手話が公用語として認められていないこと(お隣の韓国では認められている)、ろう学校では手話教育が行われていないこと。また、手話が言語の一つとして認識されるようになったのは1990年代からという情報もあり、そんな最近なの?と驚いた。
そもそも"公用語"というワードを特に気にしたこともなく、自分の立場から見える世界がいかに限られたものなのかを認識した。
この映画は思ったよりもドキュメンタリーっぽくはないかもしれない。ラワンと家族の間に立ち弟の理解者として寄り添っていた兄の心情も知りたかったし、命の危険があることを承知の上で国を脱出することを決めた親の想いや、口話での会話をラワンに求めた理由も聞いてみたかった。
その辺りも加わると映画として面白くわかりやすくなるのではと思った。
でもすべてを映画の中で描くのではなく知るきっかけを作り、余白部分をそれぞれが自分で埋めていくというのがいいのかもしれない。出来上がった物語ではなく、現実にリアルタイムで起きていることが描かれているから。
私は母親と一緒に観に行ったので、鑑賞後に感想を交わしながら知らなかったこと、驚いたことや調べてわかったことを共有したのはなかなか良いコミュニケーションだった。(母は無自覚に差別的言動をするので気づいてほしいという意図もあり)
国内でせめて英語と同程度のレベルで最低限のコミュニケーションがとれる状況になればいいよなと思いつつ、身近にろう者がいないと具体的な行動に移せない自分…
まずは難民問題の方を自分自身がこれから知識を深めていくテーマにした。知ろうとする過程で自分自身の中にある差別意識にも焦点が当たるので、より難しさを感じるけど。
差別意識に関しては、こたけ正義感の『弁論』を心に携えておくと、身構えようとする緊張感が少し和らぐのでおすすめ。
