Germeを通して聞こえる世界



「Germeを通して聞こえる世界」展のご案内」
このたび、「Germeを通して聞こえる世界」展を開催いたします。
本展示会は、障害について、私たち一人ひとりが考えるきっかけをつくる場です。


Germeの詳細はこちらをご覧ください

今回の展示では、就労継続支援B型事業所「たのしいフルハウス」 の皆さんが、日々の中で感じること、考えることを花びらのアートとメッセージで表現いただけました。
Germe作品詳細はこちらをご覧ください
新作のGermeを9点+して展示予定です。
今回のGermeの循環は以下の通りです。

花びらアート

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ニュースペーパー


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メッセージ詳細

企業(小牧木材株式会社)様が支え、
団体(たのしいフルハウス)様が表現し、
社会(養老芸術祭2025)様の場で届ける——。
この流れが、「小さな声を聞く場」を生み出し、
新しい対話や気づきへとつながっていきます。
小牧木材株式会社様
https://komakimokuzai.co.jp
たのしいフルハウス様
https://aguripia.jimdofree.com
養老芸術祭2025様
https://yoroart2023.jimdosite.com


開催概要
「Germeを通して聞こえる世界」展
障害とは何か。
誰のためにある言葉なのか。
どうすれば「違い」は、壁ではなく、つながりに変わるのか。
開催期間
2025年5月15日(木)〜6月15日(日)
10:00〜17:00 ※毎週火曜日は養老公園休園
会場
岐阜県養老郡養老町高林1298-2 養老公園
子供の家エリアA
会場URL
子供の家エリアA)
https://maps.app.goo.gl/NP4afYEtD2wzK6cq8?g_st=com.google.maps.preview.copy
駐車場はこちら)
https://maps.app.goo.gl/NP4afYEtD2wzK6cq8?g_st=com.google.maps.preview.copy

協力
小牧木材株式会社様
たのしいフルハウス様
養老芸術祭2025様
聞くことから、理解が生まれる。
知ることから、壁がほどける。
そこから、新しい未来が始まる。


新Germeを通して見る世界のお知らせ
過去の展示事例


障害について
私たちは、日々の生活の中で「障害」を意識することは少ないかもしれません。
「障害がある人」と聞くと、自分とは関係のない世界の話のように感じやすい現状があります。
しかし、本当にそうでしょうか?
例えば、
病気や事故で、ある日突然歩けなくなるかもしれない。
加齢によって視力や聴力が衰え、情報が得づらくなるかもしれない。
うつ病やパニック障害などのメンタルヘルスの問題で、外出や仕事が困難になるかもしれない。など
実際、世界保健機関(WHO)のデータによると、誰もが一生のうちに何らかの形で障害を持つ可能性があるとされています。
つまり、「障害」とは特定の人に限ったものではなく、誰にでも訪れる可能性がある人生の一部なのです。
だからこそ、誰もが生きやすい社会を考えることが、結局は自分自身の未来を守ることにつながるのではないでしょうか。
また障害には、目に見えるものと目に見えないものがあります。車いすや白杖を使っている人は、一目で「障害がある」と分かりますが、見えない障害はどうでしょうか。
① 見えない障害
発達障害(ADHD, ASDなど) → 注意の切り替えが難しい、音や光が過敏、対人コミュニケーションが苦手
聴覚障害(補聴器をつけているが見た目では分からない) → 会話が聞こえづらいが、誤解されることが多い
内部疾患(心臓病、慢性疲労症候群など) → 体力が極端に落ちやすく、立ち仕事ができない
② 一時的な障害
骨折して車いすや松葉杖を使う期間
一時的に視力が落ちる病気(白内障や緑内障など)
精神的なストレスで外出できない時期
これらの「見えない障害」や「一時的な障害」も、生活の中で大きな困難を生みます。
そして、誰にでも起こりうるものです。
「障害がある人」と「健常者」は、固定されたものではなく、いつでも立場が入れ替わる可能があるものなのです。

メッセージ
もし、「障害」という言葉を聞いたとき、
何が思い浮かびますか?
生まれつきのもの?
目に見える違い?
あるいは、不自由さ?
けれど、本当にそれだけでしょうか。
たとえば、私たちも日常の中で「できない」場面に出くわすことがあります。
少なくとも誰も空を飛べませんね 笑
飛ばなくても私たちは困らないようにできていますから無理に飛ぶ必要はありません。
しかしこのような場合はでは考えられます。
たとえば、階段しかない建物で疲れて階段を上がれなかったときや、漢字が読めないことで情報が得られなかったとき、国籍の違いで言葉を交わす手段が見つからなかったり。など
でも、それらは「自分に能力がないから」ではなく、ただエレベーターや翻訳ツールといった「適切な手段がなかっただけ」と考えることもできます。
それと同じように、障害を持つ人が直面する「できないこと」も、本人だけの問題ではなく、社会のなかに「適切な手段が用意されていないだけ」なのかもしれません。
誰もが生きる世界の中で、
「当たり前」とされている基準が、
誰かにとっては「壁」になっていることがあります。
その壁は偏見として現れてしまい、どうしても生きづらさとしてその方々の人生を左右してしまっています。
では、社会の中で聞く「障害」はどこにあるのでしょうか。
人の中にあるものでしょうか?
それとも、社会の中にあるのでしょうか?
答えは、ひとつではないかもしれません。
でも少なくとも障害とは、「できないこと」ではないような気がしています。
それは、できる道が見つからないときに生まれる「すれ違い」のようなものなのかもしれません。
私たちはみな、違いを持って生きています。
その違いが「障害」になるのか、
それとも「個性」として受け入れられるのか。
それを決めるのは、人と社会の関係性なのではないでしょうか。
お互いの違いを知り、受け入れ、つながり合うことができたら、「障害」とされていたものが、いつかただの「違い」になる日がくるかもしれません。
そこから生まれる、障害とは、「限界」ではなく、それは、これから開かれる可能性のひとつなのかもしれない。そんな前向きな未来が、作れたら結果的に障害のある人だけでなく、私たちみんなの「生きやすさ」につながっていくのではないでしょうか。
障害者アート2024
障害者アート2025


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