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ほいほい乗せられ、買いまして。

アルバイトをしていた頃、
万札を何枚も握りしめて
有名なスーツ量販店へ行った。

たくさん並ぶ商品の中で
ひとめぼれした1着を試着室に持ち込み、
鏡に映った自分の姿に驚いた。

ほんまや、おじさんの言うとおり、
なんか良くない?

しかし、値札を見てもっと驚いた。

お買い得コーナーのスーツの
3倍ほどの値段が印刷されている。
頭の中で時給がくるくると回り出す。

そんなわたしの様子をじっと眺め、
母は何度かうなずいたあとで言った。

「たまには未来の自分に投資するんもええんちゃう?」

ことの起こりはその買い物から
ぐんと前までさかのぼる。

なんだかんだあって高校を中退したあと、
挫折による劣等感にまみれながらも
わたしはなんとかアルバイトを始めた。

仕事内容や人間関係にも恵まれ、
小さな自信がついたところで、次は、

「お昼時にトートバッグをさげて制服姿で
 同僚と街を闊歩するようなお姉さん」

になってみたいと、なぜか思った。

ぼんやりと「目的地」が見えたが、
そこへ辿り着く道がわからない。
学歴はないし、アルバイト経験しかない。
いまの自分には足りないものだらけだ。

勇気を振り絞って若者向けハローワークの
扉を開けてみると、あれよあれよという間に
「ビジネスマナー」や「パソコンスキル」等の
セミナーチラシを渡してくれた。

そして応募書類の書き方は分かるか、と聞かれた。

アルバイト面接で履歴書を書いたことはあるが、
職務経歴書は見たことも書いたこともない。

そもそもアルバイトしかしたことがない
わたしに書けることなんてあるのだろうか。

案内された窓口に座っていたおじさんは、
わたしの経歴を丁寧に聴き取ると、
「これを書いてみてごらんなさい」
と、紙を手渡しながら次にいつ来られるかを尋ねた。

え、また来るの?宿題?
電車賃、結構かかるねんけどな。

わたしはよくわからないまま次の予約を入れ、
なんだかよくわからないまま、その日は帰った。

おじさんがくれた紙には、アルバイト先での
タイムスケジュールを書き出す指示があった。

そしてその横には「気をつけていること」
「どんな気持ちでその作業に向かっているか」
等を尋ねる質問があった。

「書けなかったら白紙でもいい。
 少ししか書けなくてもいい。
 その時は一緒にうめていきましょう」

とおじさんは言っていた。

取り組んでみると、意外とおもしろい。
どんどん言葉が浮かんでくる。

へえ、わたしはそんなことを思いながら
仕事をしていたのか。

これまで意識したことすらなかった
「働いている時の自分」の姿が次々と
紙に浮かびあがっていく作業は新鮮で、
夢中になって書き込んでいった。

気づけば裏面でも足りなくなって、
コピー用紙を2枚追加して完成させた。

書きすぎたかな。怒られるかな。

とりあえずおじさんに見てもらおう。
そう思って、カバンにしまい込んだ。

「これはすごい!こんなに書き込めましたか!
 じっくり読ませてもらっていいかな」

おじさんは提出した宿題を見るなり、
わくわくした目で隅から隅まで読んでくれた。

「うん、うん」「ここ!ここがいい!」
「こんなことにまで気づいて!」と、
ひとりごとを言いながら興奮していた。

全部読み終えたあとで、言った。

「あなたはもう、職務経歴書が書けますよ。
 働く上で大事なことをしっかり学ばれています」

それから教えてくれた。

仕事でいちばん大切なことは経験の多さではない。
ただ仕事をこなせていればいいのではない。
どんな思いでその仕事に取り組んでいるか。
その仕事の先にある誰かの姿を想像できているか。

あなたは誰に教えられるわけでもなく、
すでにこれまでの人生で学んできたのです。
それは、簡単なことではありません。
誰にでもできることではありません。

まだアルバイト経験しかなくても、
あなたと一緒に働きたい、
あなただから来てほしいという職場が
きっとあります。自信を持って。

おじさんの言葉に涙があふれてきた。

帰り際、合同説明会に参加する予定だと
おじさんに告げると、
スーツは持っているかと尋ねられた。

当時、アルバイト面接用に買った
超安値の黒のスーツを1着だけ持っていた。

「あなたほどの素敵な方なら、
 ちょっと明るめの色のスーツがいいですよ。
 あなたに引けを取らないくらいの、
 すこしお高めのスーツでなければ釣り合いません」

おじさんは、ゆっくりと微笑んで言った。

次の休み、おだてに弱いわたしは
速攻でスーツを買いに行った。

いま思えばこれはおじさんの作戦だったのだ。

実はその直前にあった合同説明会にも、
就職活動中の大学生にまじって黒のスーツで
参加していた。

学生や新卒の他に転職者も多くいたのだけど、
なぜかやたらと視線を感じていた。

明らかにフレッシュさがないわたしの
リクルートスーツにしか見えない姿は、
きっと違和感しかなかったのだ。

そういえば同じ年頃のみなさんは、
良いお値段と思われる明るめの色の
カッコいいスーツに身を包んでいた。

そのことに気づいた時、
あの時おじさんが優しく微笑み、
上手におだててくれた理由が分かった。

・・・・・ありがとう、おじさん。

おじさんが言ったとおり、
あのあとひとりで職務経歴書が書けた。

宿題で書いた自分の働き方を元に、
応募先にアピールできる「売り」を知った。

仕事の先にいる誰かの存在を思い浮かべると、
職場で提供できるであろう未来が言葉になった。

完成した職務経歴書で応募してみると、
倍率が高く半ば諦めていた書類審査をパスした。

おじさんの言葉に乗せられて
いい気になった自分は情けなかったが、
新しいスーツを買って本当に良かった。

「ちょっとお高めのスーツを着た素敵なわたし」
というおじさんのくれた魔法は、
「高校中退でアルバイト経験のみのわたし」
が、数名の面接官の前で堂々と胸を張り、
質疑応答や雑談までこなす自信を与えた。

残念ながらその時は面接で落ちたものの、
あれ以来何度もあのスーツとともに歩んで来た。

クセの強い面接官や圧迫面接に泣いても、
信念は変わらない。

「あなたと一緒に働きたい、
 あなただから来てほしいという職場が
 きっとあります。自信を持って」

わたしの自信を底上げしてくれるスーツ代と、
わたしに自信をくれたおじさんに会いに行った
電車賃の合計、約5万円。

あの投資は、未来のいまにも役立っている。


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