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HUNTER×HUNTERとの再会

子どもの頃にはどうにもキルアにハマりきれず(お気に入りが1人いないと作品にハマれないタイプ)ヨークシンシティ編以降は興味をかなり失い、キメラアント編序盤のポックルが脳みそをいじられて「あっ、あっ、あっ」となっているのがショックで途中離脱したっきりになっていたHUNTER×HUNTER。

そのまま、もうわたしの手元からは手放した状態になっていたのだが、唐突に幽☆遊☆白書を思い出し(幽白には中学生の頃にどっぷりハマった。飛影が好き!)そのまま芋づる式に出てきたHUNTER×HUNTERの情報から、ゴンとキルアがなんだかすっきりしない状態で別れてしまっているらしいという不穏な情報をキャッチし、ネット民たちから抽出できる「キルアの自己犠牲、一方的な献身、依存」「あんなに尽くしたのに「関係ないから」とか言われてマジかわいそう」などという声により「知らない間に君たち何があった、、、」と、見事に心がずしっと重くなり、つらいけれど確認しないと気が済まない気持ちに駆られたのだ。

確かHUNTER×HUNTERを読んでいた当時はゴン、キルアと同年代だったはず…と調べてみたところ、ふたりの生まれ年は公開されていないものの、連載開始当初の年齢だと同い年。久々の漫画というものにワクワクする気持ちもありつつ、キメラアント編に辿り着くことにずっしりとした心の重さを感じつつ、それでも子ども時代にトリップしたような感覚に身を委ね、わたしのHUNTER×HUNTERとの再会は幕をあけたのだった。

再読した今、キルアにどハマりしている。
【引用】 HUNTER×HUNTER 6巻 35p

さて、そんな経緯でHUNTER×HUNTERとの再会を果たし、見事にどっぷりと浸かってしまっている状態なわけだが、ここでひとつ、事前にお伝えしておかなければならないことがある。

わたしにとってHUNTER×HUNTERは、あくまでゴンとキルアの物語なのだ。

天才・冨樫義博の知恵や知見、ありとあらゆる伏線や創意工夫が凝らされている、他にも死ぬほど楽しめる要素があるはずの作品であることは重々承知しているのだが、わたしの脳みそは興味のないことは一切受け付けず、全く入ってこない。
あくまで、ゴンとキルアの成長や関係性の深まりにのみ着目した、恐ろしく偏った視点からの文章であることをご理解いただきたい。


ゴンとキルアは離れるべき存在だったのか

HUNTER×HUNTERを再読するにあたり、まだ読んでもいない段階で、ネットからとめどなく溢れ出してくる「キルア重い、ゴンから離れた方がいい、ゴンへの依存から自立して別れた」「ゴンは自己中、こわい、危ない」などの言葉を前に、わたしの心は静かに、深く傷ついてしまっていた。

少なくとも、子ども時代に出会った、わたしの知っているあの子たちはそんな関係性ではなかった。

たくさんの読者の率直な言葉を前になす術なく、とてつもなく苦しかった。

多くの読者がそう読み解くのだからそういう要素があるのではないかという思いも拭えず、特にキメラアント編でのゴンとキルアは見ていられず、別れのシーンではふたりのなんとも言えない不自然な様子に心が抉られ、心が引きちぎられそうになりながら、それでも正しく理解したくて、何度も読んだ。何度も読み直した。
その上で、わたしの出した結論はこうである。

  • これは、キルアがゴンへの依存から抜け出し自立する物語ではない。

  • ふたりが互いに影響を与え合いながら、それぞれに成長していく物語だ。

その結論に至った根拠を、このnoteではいくつかの記事に分けて細かく解説していこうと思う。
お伝えしておくが、とんでもない熱量があるので心して読んでいただきたい。


↓続きはこちら↓


【引用】HUNTER×HUNTER 6巻 83p

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