これまでの人生や遍歴をざっくりとまとめてみる | 古性のちの自己紹介
はじめましての方もお久しぶりの方も、こんにちは。古性のちと申します。
よく「本名ですか?」と聞かれるのですが、半分本名で半分ペンネームの合わせ技です。ちなみに古性は「こしょう」と読みます。
これまで、いろんなメディアやインタビューでは断片的に経歴の話をする機会はあったものの、がっつりと自分自身でまとめた事はなかったので、今回noteメンバーシップ再開を機に書いてみようかなと筆をとりました。
そうでなくともここ数年は特に変化の多い人生を送ってきたので、この辺りで自分のためにも、振り返ってみたかったのが本音です。
(と書きつつ実はまた少し変化がありそうな気配なのですが…またその話はどこかで)
ちょっと長くなりますが、付き合っても良いよ!な方は途中でコーヒーブレイクでも挟みながら読んでいってください。
追記: 相棒の伊佐知美の自己紹介もできました。濃いなあ。(笑)
35歳で設定したとても勝手なタイムリミットと新しい暮らし

最初に現状から触れてみると、今は石川県の金沢で、もうすぐ5ヶ月を迎える娘を育てている一児の母をしています。
出産前は国内、国外を飛び回りながら「撮る・書く」を仕事の軸にしていました。趣味と仕事の境界線がとにかく薄く、遊び=仕事のような感覚だったので、暇さえあればカタカタとPCを叩いたり、友人同士でサービスを立ち上げてみたり、自費出版をしてみたり。タイや岡山県に移住してみたり、自由気ままに過ごしていました。旅自体がお仕事になるケースもありましたが、どちらかというと「仕事を持って好きな旅先に行く」、ノマドスタイルが好みです。



そんな経験を経て(?)2025年の今、未婚というか事実婚というか。実にふんわりとした形で子育てをスタートしました。今のところ籍を入れる予定はなく、娘と過ごしていく予定なので、仕事と子育ての両立のしやすさの観点から、拠点を海外に移すことも視野に入れはじめています。
もともと結婚願望も子供が特別欲しい気持ちもなかったのですが、後で「あの時何かアクションを起こしていれば…」と後悔したくはなかったので「とりあえず、35歳までに子供を授からなければ保護猫を何匹か迎えて、悠々自適に生きていこうかな〜」と思っていた矢先でなんともサプライズ。子供に恵まれました。そこから今、まさに母親としての新しい人生を歩み始めたところにいます。
ちなみにリミットを35歳で、と決めたことには特別な理由はないです。本当になんとなくです。ただ自分を納得させるために、こういう数字を立てることは人生で大事だな、と思ったので。
いずれにせよ「世界を自由に飛び回りながら仕事をする」のスタイルは、子供ができてもなお続けていけたら良いな、と方法を模索しながら日々過ごしています。
幼少期。苦しく長い学校生活のはじまり

そんな自分の人生を幼少期から少しずつ振り返ってみると、「世界中を気ままに旅をしながら暮らしたい」と最初に願ったのは高校生の頃。そしてその願いが叶ったのは20代も後半にさしかかった頃でした。
それまではなんとも煮え切らないような、ねっとりとした何かが身体中にこびりついて動きにくいような。あの気持ちを、なんと表現して良いのか今だわからずなのですが、そんな気持ちでずっと過ごしていました。
物心ついた頃から「集団」という組織体系に苦手意識があり、幼稚園時代は送迎バスには乗りたくないと泣きわめき、しまいには過呼吸になるほど。小学校に入っても状況は特に変わらず、毎日「明日、目が覚めたら学校が爆発していますように!」とお月様に一生懸命お祈りしてから眠るような子供でした。
今考えると、自分が納得できないルールを強制され続けることが、耐えられなかったのだと思います。
1日の終わりに安堵して、1日のはじまりにまた絶望する。
口の中がざらっとするようなあの感覚は、今でも鮮明に覚えています。
そこから中学校、高校時代も似たようなもので。とにかく学校生活が苦痛で仕方なく、特に高校では部活にすら興味が持てなくなり、どう学校をサボるかばかり考えていました。
その頃から徐々に「学校という場所は大人になってから、社会人として働くための、予行練習をする場所なのだ」と気づき始め。同時に、この形に全く適応できる気がせず、お先は真っ暗。
けれど当時、今のようにネットがまだそこまで一般的ではなく、私の周りには、この枠組みの外で働いている大人の姿はありませんでした。
将来、社会に出てもこの枠組みの中からは出られないんだ。
そこに強い不安を覚えました。
16歳。自由なオンラインゲームの世界にどっぷり

そんな時、私を救ってくれたのがPCのオンラインゲームの存在でした。世界中の人と繋がり、年齢も国籍も関係なく、よく分からない校則もない。何時に行動しても良いし、どこかに所属しても良い。もちろんしなくても良い。服装や髪型だって好きに決められて、みんなが伸び伸びと過ごす様は、まさに「自由」そのもの。
決まりきったルールや時間に縛られず、自分軸で生きられる世界にすっかり魅了され、その世界でわたしは唯一、深く息を吸い込むことができました。
そして同じ頃、本屋で偶然出会ったのが、旅人の高橋 歩さんの本でした。彼は世界中を旅しながら、自分の心から好きな場所で、好きな仲間と、ワクワクするような仕事を創り出し生きている私たち世代のレジェンドで、「こんな大人が世の中に存在するなんて!!!!」とまさに雷に撃たれたような衝撃でした。
もちろん海外なんて行ったこともなかったし、当時は興味もほぼなく。
ひきこもり体質だった私にとって「世界を旅することへの強い憧れ」というよりは、「世界を旅する経験をすることが、どうやら自由への一歩らしい」という大発見への興奮と、「好きな所属先が見つからないのであれば、自分で作ればよい」という希望と、そしてそれを実践していることへの衝撃と憧れでした。
わたしも、高橋歩になりたい。
そんな思いから、私の心は世界の扉を開くことへ向かっていきました。
18歳。夢に向かって、選んだ美容師への道

「何はともあれとりあえず、世界中を見て回ってみたい!」と思ったわたしは、さっそく親に相談してみることに。
当時私の不登校とひきこもりで頭を悩ませていた両親たちにとって、このわたしの申し出はきっと更に悩みを増やしたことでしょう。
それでも1人娘のお願いならばと、「どうしても行きたいなら、せめて帰国したあとも自分で食べていける技術を身につけてから行きなさい」と折り合いをつけてくれました。
自分が母親になった今、あの時特に反対もせずそう言ってくれた両親の愛の大きさを、改めて噛み締めています。
"手に職" って何をすれば良いのだろう?
とはいえ、オンラインゲームの他にやりたいこともない。
大好きなオンラインゲームを仕事にしたくないし、仕事になる気もしない。
先生と両親との面談が終わり、教室の外でひとりぐるぐる答えが出ずに悩んでいると、ちょうど面談を終えた隣のクラスの仲良しの男の子が「俺、いい考えあるよ」と一言。
「俺の実家、床屋なんだけどさ。床屋とか美容師なら、ハサミ1本でどこでも仕事ができるし、世界中で仕事ができるんじゃない?」
「髪を切らない人はこの世にいないし、美容院がない国もほとんどないと思う。そしたら気に入った国で、好きなだけ滞在できるよ」
「T君。天才…?」
私は目をキラキラさせながら言いました。
あの時の会話は、昨日のことのように鮮明に覚えています。
その日、私はすぐに専門学校の資料を片っ端から集め、美容専門に進学することを決めました。
ここから先は
この記事が参加している募集
ありがとうございます。いただいたサポートは娘のミルク代とわたしのおやつ代、保護猫の支援に使わせていただきます!
