国際金融資本の知られざる歴史④ ~銀行戦争とロスチャイルド~
【前回③の内容】
<この記事が気に入った方は 💛スキ と チップ で応援してください>
アメリカ独立戦争を支えたフリーメイソンのネットワーク
イギリス植民地であったアメリカは「独立戦争(1775年~1783年)」に勝利を収めた結果、1783年のパリ条約によって13植民地の独立が認められて「アメリカ合衆国」として独立した。

植民地時代のアメリカは、イギリスから「厳しい税制や法律」を課されて搾取されていたことから、もはや正規ルートの貿易では商売が立ち行かない状態に陥った結果、「密貿易」が盛んに行われるようになっていた。
そして、独立戦争の最中は、表面的にイギリスへの輸出は完全に禁止されていたため、綿花やタバコの密貿易はますます盛んに行われるようになった。その密貿易を影から支えていたのが、アメリカとヨーロッパ大陸の「フリーメイソン」たちのネットワークである。
フリーメイソンとは、石工ギルドを起源とする世界最古の友愛団体であり、貴族・資産家・事業家・銀行家・法律家・学識者などの有力者がこぞって入会する、上流階級層による「秘密の社交クラブ」であった。
このフリーメイソンの繋がりがビジネス上の「人脈」や「情報源」、あるいは「諜報ネットワーク」となり、第二次世界大戦が開始される頃までは、「隠然たる影響力」を発揮し続けた。

アメリカでは、初代大統領のジョージ・ワシントンをはじめ、エドムンド・ランドルフ、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンなど「建国の父」と呼ばれる人物の多くがフリーメイソンの会員であった。

ネイサンは、1798年に渡英して綿製品ビジネスで荒稼ぎしていた頃から、綿花の主要な輸入先であった新興国アメリカに目を付け始めており、将来この地にも地盤を固めることを目論んでいた。
フリーメイソンたちのネットワークをビジネスに利用するためにネイサン自身も1802年に入会し、のちにパリ家のジェームスも入会している。
1811年 アメリカ合衆国第一銀行の認可失効
1791年、ワシントン大統領から任命され初代財務長官となったアレクサンダー・ハミルトンの提言により、合衆国第一銀行が設立されることとなった。

この銀行が設立された目的は、アメリカ初の国立銀行であり独立13州が抱えた独立戦争の負債を連邦政府が肩代わりした上で、当時アメリカ国内に流通していた50種類以上の貨幣を「1つの標準貨幣」に統一することによって、連邦政府のための資金を調達して政府財政を安定させる、というものである。

【プロビデンスの目 = すべてを見渡す目】
【ANNUIT CŒPTIS = 神は我々の事業に恩恵を与えた】
【NOVUS ORDO SECLORUM = 新しい世界の秩序】
合衆国第一銀行は、イングランド銀行を手本とし「民間銀行」でありながら、20年間(1791年~1811年)に限定した更新認可制ではあったものの、アメリカにおける「通貨発行権」を独占的に認められた銀行であった。

1811年、合衆国第一銀行は認可更新の期限を迎えていたが、トーマス・ジェファーソン大統領とアメリカ議会は、その認可更新に「反対」の姿勢を示していた。

実際に合衆国第一銀行の株式25,000株のうち18,000株は、イギリス人やオランダ人を中心とする外国人が所有していることが判明しており、ジェファーソンと議会は、その点を憂慮して反対の意思を示していた。
1811年当時、ネイサンはすでにイギリス政府に対しても一定の影響力を持つような存在になっており、アメリカ政府やいくつかの州にも融資している状態であった。
そして、合衆国第一銀行の許認可が更新されない可能性があることを聞いたネイサンは「もし更新が認められなければ、アメリカは最も悲惨な戦争に巻き込まれることになるだろう」と強い不満を述べた、と言われている。
そしてアメリカ議会が正式に認可更新を拒否すると、ネイサンは「あの生意気なアメリカ人たちに罰を与えるべきだ。アメリカを植民地に戻してやれ!!」と激怒したと言われている。
1812年 英国首相パーシバル暗殺事件と米英戦争
一方イギリスでは、同年1811年に国王ジョージ3世の精神病が悪化したことをきっかけに、皇太子ジョージ4世が 摂政(リージェント) に就任した。

ジョージ4世は、真面目で倹約家だった父王と異なり、若い頃から大酒飲みで、多くの愛人と浮気し、放蕩と豪遊を繰り返して借金漬けだった人物であり、国民から「快楽王」・「放蕩王」・「借金王」などと呼ばれた。

当時のイギリス首相はスペンサー・パーシバルで、彼は弁護士あがりの理想主義者であったため、ジョージ4世とは事あるごとに意見が衝突した。

ネイサンは、パーシバル首相に「アメリカが領土拡大を目論んでいるので、すぐに軍を送るべし」と主張したが、ナポレオン戦争に注力するパーシバルから「アメリカに割ける兵は無い」と拒否されて、大いに失望している。
翌年1812年5月11日、首相パーシバルは国会議事堂の庶民院ロビーにおいて、至近距離から胸部を撃たれて殺された。この暗殺事件によってパーシバルはイギリス首相で唯一暗殺された首相となった。

暗殺犯はジョン・ベリンガムという男だったが、真相も判然としないまま、「精神異常者」として、事件発生からわずか1週間後に絞首刑となった。

そしてパーシバル暗殺事件の翌月6月18日、ネイサンが望んでいたとおり、イギリスとアメリカの間で「米英戦争(1812年~1815年)」が勃発した。

ちなみにネイサンは、借金漬けだったジョージ4世を金銭的に支援することでイギリス王室に食い込むようになり、その後も英国ロスチャイルド家は、ジョージ4世の姪ヴィクトリア女王とその息子エドワード7世とも深い関係を築いている。

1816年 アメリカ合衆国第二銀行の設立
合衆国第一銀行が消滅した翌年1812年、米英戦争(1812~1815年)が勃発し、その戦費調達のためにアメリカの各州政府がそれぞれで「独自通貨」を大量に発行したことにより、アメリカ全土が強烈なインフレに襲われた。
そして米英戦争が終結した翌1816年、ジェームズ・マディソン大統領とアメリカ議会は「合衆国第二銀行」が設立することを決定した。

この銀行も「民間銀行」でありながら、アメリカにおける「通貨発行権」を独占的に許可されており、その公認期間は、合衆国第一銀行と同じ「20年間(1816年~1836年)」とされた。

合衆国第二銀行の筆頭株主はパリ家のジェームスであり、その代理人であったニコラス・ビドルは1823年に総裁に就任している。そしてネイサンも、この銀行に莫大な貸付を行って、ロスチャイルド家による支配体制を固めた。

米英戦争後のアメリカは、ナポレオン戦争(1803年~1815年)によって荒廃したヨーロッパに代わり、関税による保護貿易・交通インフラ投資によって急激な経済成長が起こり、農業生産や銀行融資が拡大して、地価上昇を伴うバブル的状況に突入した。
ロンドンとパリのロスチャイルド家は、新しく設立された地方銀行やエリー運河への投資を行う一方、インディアナ州、アラバマ州、ミズーリ州などの新たに加入した各州の公債も大量に引き受けた。
アメリカからヨーロッパへの綿花・タバコなどの輸出はどんどん増えてゆき、ロスチャイルド財閥はそれら貿易手形の決済ビジネスで大儲けした。
1832年 アンドリュー・ジャクソンの銀行戦争
ロスチャイルド財閥がアメリカで手広くビジネスを広げるにつれ、アメリカ国民は「ユダヤの銀行」として、彼らを嫌悪するようになり、強く反発するようになっていった。
合衆国第二銀行の認可更新まで残り4年に迫った1832年、ニコラス・ビドル総裁が公認更新を要求してヘンリー・クレイ上院議員と組み、認可更新を認める法案がアメリカ議会で成立すると、当時の大統領アンドリュー・ジャクソンはこれに拒否権を発動した。

(米英戦争が開始された責任は彼にあると言われている)
ジャクソン大統領は「合衆国第二銀行の廃止」を公約に掲げて、対立候補のヘンリー・クレイを大差で破って圧勝し、1832年に大統領に再選された。
そして「銀行は私を殺すつもりだろうが、私が銀行を殺す」という有名なセリフともに「銀行戦争(Bank War)」を開始した。

ジャクソン大統領は、次のようなエピソードを残す破天荒で豪放磊落な人物として知られ、その強権ぶりから「アンドリュー1世」とも揶揄された。
独立戦争に参加した最後の大統領
独立13州と関係のない初めての大統領
史上初めて議会から不信任決議を受けた大統領
米英戦争でイギリス軍を殺しまくった英雄
ネイティブ・アメリカンを迫害した白人至上主義者
150人の黒人奴隷を抱える大農園の経営者
アメリカで初めて暗殺の標的(未遂)となった大統領
決闘した相手から弾丸を撃ち込まれても倒れず、逆に撃ち殺した男
左胸に弾丸を抱えたまま40年間生きた男
米国民主党を創った大統領

大統領に再選したジャクソンは、合衆国第二銀行から政府資金を引き出し、各州の地方銀行に移管すると、公認更新に向けて暗躍する「合衆国第二銀行を支配しているロスチャイルド財閥等の海外株主」に対して、次のように宣戦布告の声明を発して恫喝した。
お前たちは悪の塊だ。ブチのめしてやる。
お前たちは腹黒い盗人の巣窟だ。お前たちを一掃する
民間の中央銀行が存在することで恩恵を受けるのはこの国の市民ではない
中央銀行の株式のうち800万ドル以上は外国人が所有している。
この国と全面的に結び付いていない銀行家どもに、我々の自由と独立が侵される危険がある。

ロスチャイルドと銀行戦争で争っている最中の1835年1月30日、ジャクソンは国議会議事堂を出たところで、群衆から飛び出してきた1人の男に銃口を向けられて引き金を2回引かれた。
不幸中の幸い、2発とも不発となり、男はその場で取り押さえられた。

犯人はリチャード・ローレンスというイギリス国籍の男で、意味不明の供述を繰り返して、精神異常者と判定され、後に無罪となった。けっきょく犯行動機や背景は分からないままだった。

ジャクソンの攻勢に屈した合衆国第二銀行は、結局1836年に認可を更新できずに失効して、フィラデルフィアの普通の銀行に変わり、その後に精算されている。
このとき以来、ロスチャイルド家にとって、アメリカに「民間の中央銀行」を設立することが不退転の目標となった。
合衆国第二銀行の消滅後、ジャクソンは州立銀行を奨励して外国人の銀行家たちを警戒したもの、州立銀行の株式や債券は、けっきょく英国シティの大資本家たちによって買い占められてしまった。
そして1837年には、ロスチャイルド家の支配下に置くイングランド銀行が、アメリカに関連する証券を投げ売りし、さらにアメリカに地盤を置く証券の引受や割引を拒絶したために、アメリカは急激な金融恐慌(1837年)に見舞われるようになった。
この恐慌は約7年間続き、多くの銀行が破綻し、事業は潰れて、物価も下落し、失業者が大量に発生する結果をもたらした。
ロスチャイルド財閥は、市場に淘汰された弱者の資本を簒奪し、ニューヨークのウォール街に集中させた。これにより英国シティと米国ウォール街の繋がりはより一層深まっていった。
1836年 天才ネイサンの死
1836年6月、ネイサンの長男ライオネル(28歳)が、ナポリ家カールの長女シャーロッテ(17歳)と結婚することとなり、ロスチャイルド一族は本拠地フランクフルトに集って、盛大な結婚式を挙げることとなった。


ロンドンから到着したネイサン(58歳)は、突如体調が悪化し、ひどい化膿の出来物が発生するようになり、結婚式当日には呼吸困難に陥って、祝宴が終わるとベッドに運ばれて、翌日にはうわごとを言うほどまで悪化した。
翌月7月28日、世界一の圧倒的な資産家で、ロスチャイルド財閥を大躍進させた天才ネイサン・マイアー・ロスチャイルドは58歳で他界した。暗殺されたという説もある。
ドイツ生まれの英国籍ユダヤ人銀行家ネイサンの葬儀は、イギリス王室に匹敵するほど壮大なものとなり、オーストリア帝国、プロイセン王国、ロシア帝国、両シチリア王国などの大使や公使、王侯貴族、シティの有力者、市長や地方長官など、あらゆる名士が列席した。
そしてロスチャイルド財閥の総帥の地位は、ネイサンの末弟で、ネイサンに継ぐ実力者で大富豪となっていたパリ家のジェームス(44歳)が引き継ぐこととなった。

【⑤に続く】
<この記事が気に入った方は 💛スキ と チップ で応援してください>
