見出し画像

国際金融資本の知られざる歴史① ~ロスチャイルド家の勃興~

世界に戦争や動乱が起きるとき、かならずその背後で「巨額の利益」をむさぼる国際金融資本家が暗躍していた。軍需・資源・エネルギー・医薬を含むあらゆる産業を傘下に収め、通貨発行権を独占して、世界中の金融取引を支配下に置いたのが国際金融資本家であるが、その存在はあまり知られていない。いま世界で起きている出来事の背景を正しく理解するには国際金融資本の歴史を正しく理解する必要がある。その歴史は「ユダヤの王」と呼ばれたロスチャイルド一族から始まる。

<この記事が気に入った方は 💛スキ と チップ で応援してください>


1764年 ロスチャイルド商会の設立

1764年、神聖ローマ帝国の領邦国ヘッセン=カッセル方伯領・自由都市フランクフルトに在ったユダヤ人強制居住区域(ゲットー)のユーデンガッセに住んでいた20歳の若者 マイアー・アムシェル が、古銭商・古物商・両替商として「ロスチャイルド商会」を設立した。

初代ロスチャイルド マイアー・アムシェル(Mayer Amschel)
マイアー・アムシェル・ロスチャイルド(1744年 - 1812年)

マイアーは「赤い楯の紋章が付いた家(Haus Zum Rothen Schild)」に何世代にも渡って住み続けた家の生まれで、当時のユダヤ人には苗字を名乗ることが許されてなかったことから、ドイツ語のロート(赤・Roth)とシルト(楯・Schild)を組み合わせて「Rothschild(独語:ロートシルト、仏語:ロチルド、英語:ロスチャイルド)」を屋号とした。


1775年 ハーナウ宮廷御用商人に

マイアーは丁稚奉公時代の知り合った伝手を頼りにハーナウ宮殿に出入りするようになり、1769年(25歳)に「ハーナウ宮廷御用商人」に指名された。

ハーナウ宮殿(フィリップスルーエ 城)
ハーナウ宮殿(フィリップスルーエ 城)

そして1775年(31歳)、ハーナウ宮殿の主で、マイアーとほぼ同年齢のヘッセン領主ヴィルヘルム公(32歳)を古銭商の得意客にすることに成功する。

ヴィルヘルム公は、ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世の皇太子であり、1785年にはヘッセン=カッセル方伯のヴィルヘルム9世となり、1803年には初代ヘッセン選帝侯のヴィルヘルム1世となった人物である。

ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世 ・初代ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世(1743年 - 1821年)
ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世 =初代ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世(1743年 - 1821年)

ヴィルヘルム公は、ヘッセンの若者を鍛えてヨーロッパ諸国に貸し出す傭兵ビジネスによって莫大な収益をあげており、当時のヨーロッパでは随一の資産家であった。18世紀を通じてヘッセン=カッセルの人口の7%以上がなんらかの軍務に就職していたと言われている。

現在のドイツ(左) ・ 茶色がヘッセン=カッセル方伯領(右)

アメリカ独立戦争(1775年~1783年)が始まると、ヴィルヘルム公は従兄弟のイギリス王ジョージ3世に大量の傭兵を貸し出すようになった。

アメリカ独立戦争当時の英国王ジョージ3世(1738年 - 1820年)

ヴィルヘルムの御用商人であったマイアー(31歳)は、イギリス政府から受け取った傭兵代金の小切手の割引業務を取り扱い、大きな財産を築くことに成功する。


1785年 「緑の楯の家」に移住

1785年、裕福になったマイアー(41歳)は、同じユーデンガッセの「緑の楯(グリューネ・シルト)の家」と呼ばれる3階建ての大きな邸宅に引越した。この家は内部で2つの区画に分かれており、一方にはロスチャイルド家が住み、もう一方にはシフ家が住んでいた。

緑の楯の家(Haus zum Grünen Schild)
緑の楯の家(Haus zum Grünen Schild)

1785年、ヴィルヘルム公が父王フリードリヒ2世の跡を継いでヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世となり、当時ヨーロッパ随一と言われるほどの莫大な資産を相続すると、1789年にはマイアー(45歳)はヘッセン=カッセル方伯家の正式な「金融機関」に指名されて、借款などの本格的な銀行業を始めるようになる。

ヘッセン=カッセル方伯 フリードリヒ2世(1720年 - 1785年)


1798年 イギリス支店の開設

1798年、マイアー(54歳)は三男ネイサン(21歳)をイギリスのマンチェスターに送ってイギリス支店を開設させた。

初代ロンドン家 三男 ネイサン・マイアー・ロスチャイルド(1777年 - 1836年)

産業革命によって活況を呈していた当時のマンチェスターは、自動紡績機による綿織物の輸出拠点となっていた。

マイアーが、イギリスからドイツに営業にやって来た行商人に「綿製品」を大量に注文して滞在を長引かせ、その隙にネイサンがイギリスで原料となる「綿花」を買い占めておき、イギリスに戻ってきた商人に綿花を高値を売り付ける、という巧みな連携プレーによって大儲けした。

綿花(cotton)

1804年、綿花ビジネスで荒稼ぎしたネイサン(27歳)は、国際金融取引の中心地シティCity of London)に本拠地を移し、本格的なマーチャントバンク(投資銀行業)へと参入することにした。

国際金融取引の聖地シティ・オブ・ロンドン(赤枠内)

1801年(57歳)頃から、ヴィルヘルム9世の個人資産の運用管理を任されるようになったマイアーは、イギリス政府から受け取る傭兵代金を直接イギリスで投資に廻すよう進言し、それをイギリス支店のネイサンに運用させた。

1803年(59歳)には、フランクフルト本店のロスチャイルド商会は、初めて単独で、デンマーク政府の国債引き受けに成功する。

1780年 デンマーク=ノルウェー連合王国の領土(赤)


1803年 ナポレオン戦争と大陸封鎖令

ナポレオン戦争(1803年~1815年)が始まると、フランス帝国はイギリス・神聖ローマ帝国ロシア帝国と激しく対立するようになった。

初代フランス皇帝 ナポレオン・ボナパルト(1769年 - 1821年)
初代フランス皇帝 ナポレオン・ボナパルト(1769年 - 1821年)

1805年、フランス皇帝ナポレオンが「アウステルリッツの戦い」において神聖ローマ帝国の皇帝フランツ2世に勝利すると、神聖ローマ帝国は正式に解体されて、オーストリア帝国プロイセン王国、フランス帝国支配下のライン同盟(ドイツ諸国)に分割された。

1805年12月2日 アウステルリッツの戦い(三帝会戦)
1805年12月2日 アウステルリッツの戦い(三帝会戦)

ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世は、フランス軍とイギリス=オーストリア連合軍に二股を掛けようとしたが、日和見を許さないナポレオンがヘッセンに大軍を差し向けたため、1806年から1813年まで国外逃亡せざるを得ない状況に追い込まれた。そして自由都市フランクフルトも神聖ローマ帝国領ではなくなり、ナポレオンの衛星国フランクフルト大公国に置き換えられた。

ナポレオン皇帝の傀儡国家 フランクフルト大公国(1810年–1813年)
ナポレオン皇帝の傀儡国家 フランクフルト大公国(1810年–1813年)

ヘッセンに残された巨額資産の管理を任されたマイアー(62歳)は、2人の息子(長男アムシェル・次男ザロモン)と協力しながら、フランス当局の監視を掻い潜って、国外逃亡中の選帝侯ヴィルヘルム1世の「代理人」として、諸侯から債権を回収するようになる。

フランクフルト家2代目 長男アムシェル・マイアー・ロスチャイルド(1773年 - 1855年)
フランクフルト家2代目 長男アムシェル・マイアー・ロスチャイルド(1773年 - 1855年)
初代ウィーン家 次男 ザロモン・マイアー・ロスチャイルド(1774年 - 1855年)
初代ウィーン家 次男 ザロモン・マイアー・ロスチャイルド(1774年 - 1855年)

マイアーから選帝侯に届けられた債権回収代金は一部のみで、フランス当局の監視が厳しくなっていることを理由に、残りはマイアーがそのまま預かって運用することとなった。(財産の一部を騙し取ったという説もある)

選帝侯から預かった莫大な資産はロンドンのネイサンの下に送られ、イギリス国債で運用しながら、儲かった資金を元手に1809年頃からはゴールドやダイヤモンドなど貴金属への投機で年率20%の利益を稼いだと言われている。

1804年には、長男アムシェル(31歳)が神聖ローマ帝国の国際郵便事業を世襲により独占していた郵便長官トゥルン・ウント・タクシス家に賄賂を贈って近づき、その宮廷商人に任命されるほどに親密な関係を築いた。

1804年、長男アムシェルがトゥルン・ウント・タクシス侯の宮廷商人に任命された証
1804年、長男アムシェルがトゥルン・ウント・タクシス家の宮廷商人に任命された証

これ以降、ロスチャイルド家は、タクシス家の郵便ネットワークを利用し、ヨーロッパ各国の重要信書を開封して盗み見たり、内容に応じて意図的に配達を遅めたり早めたりするなどを行って、ビジネスや政治に関わる「重要情報」を自由自在にコントロールする力を手に入れた。

フランクフルトに本部を置いたトゥルン・ウント・タクシス郵便局の切手(1852年)

そして1806年にナポレオン皇帝が大陸封鎖令を発令すると、ロンドンのネイサンが供給過剰になって暴落した綿製品・毛糸・煙草・コーヒー・砂糖・染料などの品々を安値で買い漁り、大陸まで高速艇で秘密裏に輸送し、それらをマイアー達が築いた通商ルートや情報網を駆使してヨーロッパ各地で高値で売り捌いゆくという、命懸けの密貿易システムで次々と稼いでいった。

大陸封鎖令当時のヨーロッパ勢力図(1812年頃)
大陸封鎖令当時のヨーロッパ勢力図(1812年頃)

このようにして、選帝侯ヴィルヘルム1世の莫大な資産を守る傍ら、マイアー率いるロスチャイルド商会も、合法・非合法を問わず、あらゆる事業に投資して順調に利益を稼ぎ出した。

同時に、オーストリア皇帝フランツ2世やその他の大陸諸侯にも賄賂を贈って便宜を図り、武器を所持する権利、いくつかの税金免除、領内の自由に移動する権利や各種の勲章を得た。また、フランクフルト大公にも巨額賄賂を贈って、ユダヤ人の市民権を獲得するために尽力している。

フランクフルト大公 カール・テオドール・フォン・ダールベルク(1744年 - 1817年)


1810年 MAロスチャイルド銀行の設立

1810年、マイアー(66歳)と長男アムシェル(37歳)、次男ザロモン(36歳)、四男カール(32歳)、五男ジェームス(18歳)の5人は、マイアー・アムシェル・ロスチャイルドとその息子達という名前の銀行「M. A. Rothschild & Söhne」を設立した。

初代ナポリ家 四男 カール・マイヤー(Carl Mayer) 1788年 - 1855年
初代ナポリ家 四男 カール・マイヤー・ロスチャイルド(1788年 - 1855年)
初代パリ家 五男 ジェームス・マイアー(James Mayer) 1792年-1868年
初代パリ家 五男 ジェームス・マイアー・ロスチャイルド(1792年 - 1868年)

そして皇帝ナポレオンマリア・ルイーザの結婚にあたり多額の資金を提供した見返りとして「パリへの定住許可」を得たことをきっかけに、1811年にマイアー(67歳)は、五男ジェームス(19歳)をフランスに送ってパリ支店を開設した。

1810年4月1日 皇帝ナポレオンと皇后マリア・ルイーザの結婚式

そして翌1811年には、英仏の対立に配慮して表向きにはMAロスチャイルド銀行に参加していなかったロンドン支店のネイサン(34歳)もシティにて「N. M. Rothschild & Sons」を設立した。このNMロスチャイルド銀行は、現存する世界最古のマーチャントバンク(≒投資銀行)となっている。


1812年 マイアー・アムシェル・ロスチャイルド逝去

1812年9月19日、手術の古傷が悪化して死を悟ったマイアー(68歳)は、次のような遺書を残して、そのままこの世を去った。

1.ロスチャイルド家の家督は長男のみが相続するものとし、一族からの同意を得ない限り、本家も分家も長男が「家業」を継いでゆくこと。

2.親族同士で結婚することによって、ロスチャイルド家の財産が一族の外に分散・流出しないようにすること。

3.ロスチャイルド家の事業内容は秘密厳守にして、その資産額を決して外部には漏らさないこと。

4.ロスチャイルド一族は間断なく連携し、一族の財産は統一的に管理してゆくこと。

マイアーが68歳で亡くなった1812年時点のロスチャイルド家は、他に比較相手がいないほど、実質的に「世界一の大富豪」となっていた。

そして、ロスチャイルド家の家督は「長男」が相続することとなっていたが、五兄弟で最も商才に長けた三男のネイサン・マイアー・ロスチャイルド(34歳)が「当主」の座を引き継ぐこととなり、ロスチャイルド家はこの後さらに大躍進を遂げることとなる。

【②に続く】

<この記事が気に入った方は 💛スキ と チップ で応援してください>

【参考書籍】

「ザ・ロスチャイルド」大英帝国を乗っ取り世界を支配した一族の物語 林 千勝
「ザ・ロスチャイルド」大英帝国を乗っ取り世界を支配した一族の物語 林 千勝

いいなと思ったら応援しよう!