日航123便墜落事件 四十年の真実 (青山 透子)
いつも利用している図書館で、新着本の棚にあった本書がふと目に留まりました。
著者の青山透子さんは、元日本航空国際線客室乗務員。国内線時代には、事故機のクルーと同じグループで乗務した経験もある方です。
本書は、そういった背景を持つ青山さんが、日航123便墜落事件に関連する35年間分にも及ぶ資料の精査と多くの関係者へのヒアリングを通して、「未曾有の大事故の真実」に迫ろうとした記録です。
事故が発生したのは、1985年8月12日。
当時勤務していた会社に入社して3年目の私は、日比谷にあった本社ビルの人事部で、事故発生を知らせるテレビ中継を観ていました。その事故のインパクトは絶大で、その日以降、原因究明の過程は詳しく報道されました。
「圧力隔壁」という用語もそのとき初めて耳にした単語です。
さて、青山さんによって本書で明かされる事実の数々は、当時の報道による知識しか持たない私にとっては驚きの連続でした。長年にわたる調査・検証の末青山さんが導き出した「無人標的機の衝突」という仮説は、これまでの常識を覆すほど衝撃的な内容だったからです。
(p202より引用) 一九八五年八月一二日、翌週から始まる米軍との合同訓練を控えて、手順の確認や試運転の一つとして無人標的機を飛ばした。当時の世相から考えると日航123便をソ連機に見立てた仮想の標的としてミサイル発射訓練も行った。しかし、相模湾上空で無人標的機が日航機に衝突した。そう考えると筋が通る。航空自衛隊ファントム戦闘機二機もそのテストのサポートに入っていたため、急いで追尾したところ、垂直尾翼の様子を見て仰天した。・・・高浜機長は、右側窓外に飛行している朱色の飛行物体を見て、およそ自分の経験から何が起きたのかを悟った。そこで管制官に対し墜落状況をまったく報告しないという「ナゾの対応」をした。
本書は、この結論にいたるまでの膨大な調査・検討の詳細を記した力作ですが、残念ながら、この青山さんのこの仮説を公に検証する術はもう残されていません。
刑事事件としての日本航空、ボーイング社、運輸省幹部等を対象にした「業務上過失致死傷罪」については「不起訴処分」が決定し、また、民事裁判においても、すべて最終的に和解という形で終了しています。
公式的な事故原因は、運輸省事故調査委員会がまとめた「事故調査報告書」に記された「圧力隔壁の修理不良」と結論付けており、当然のごとく再調査や更なる原因追求アクションはとられていません。本書で展開された青山さんの主張についても、さまざまな関係機関・関係者から反論・反証があげられています。
もとより私は本件についての専門家でもなければ関係者でもありません。また、双方の主張やその根拠を熟知しているわけでもありません。しかしながら、本書で青山さんが提示している「炭化遺体」についての見解は、その写真も示され、さらに警察医の検死報告書でも特異な状態であった旨が記されていることから、どうしても拭いきれない違和感が残りました。
今から、新たな原因究明アクションがとられる可能性は限りなく低いものだと思いますが、青山さんの主張どおり、「ボイスレコーダーの生データの公開」は本件決着の現実的な策として有効でしょう。
ただ、これも遺族の方々による情報開示請求訴訟も棄却されたので、現実的には極めて難しそうですね。
