武智倫太郎vs日曜美術館というプロレス。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:事件だ。とうとうきのうの武智noteで本格的なプロレス経済学が炸裂した。武智倫太郎のプロレスは時にルー・テーズの正統派であり、時にタイガー・ジェット・シンの凶悪ファイトも自由自在でカタチがない。しかし、そこを貫く武士道精神がある。それは「活人剣」だということだ。トップ画はプロレス絵の天才、ハラダ画伯の手になるタイガー・ジェット・シン。その手に持つのは「活人剣」、てことは武智先生の正体は・・
武智倫太郎のプロレスの経済学
武智先生がまた野呂のプロレス論を取り上げてくださっています。
この論自体が、武智倫太郎という人物が、地上で最初にしておそらく最後の、「社会的プロレスラー」それも超一流の、であることを示しています。
社会的プロレスラーとは、プロレスの哲理を社会で自由自在に応用し、役立てる、いやもっと率直に言うならば自由自在に他者を世の中を翻弄し、コントロールし、洗脳することさえできる能力をもった知的アスリートのことです。
言い換えれば、誰もできなかったレベルでプロレスを言語化する天才なのです。
いや、実はそれはプロレスだけに限らないことは、彼の読者なら先刻ご存知のはず。
ほら、彼はきのうのnoteで小林秀雄と寺田寅彦にそのペンの力が容赦なく向けられています。
解説、解釈こそ新しい経済
きのう、野呂は日本の教育を「暗記に堕したそれ」、と罵倒しました。
しかし、それは、武智倫太郎を対局の存在として語っていたのです。
要するに一つの正解に固執する頭の使い方は、武智倫太郎の多様性、多義性、行間、余韻、余白といった、武智が持つ知の深みなどまるでない「ベタな」頭脳を育んでしまい、がんじがらめにし、みずみずしい感性を奪い、伸びしろのない頭脳を作ってしまう、との独断的な物言いでした。
武智倫太郎は、僕のような芸のない批判は一切しません。
彼のnoteを覗き込むと、いつも彼はスイスイ泳いでいます。
自由自在に知の大海を泳ぎ回り、魚たちとシンクロナイズドスイミングをやってたかと思うと、クジラと戦い、タコと戯れています。

その卓越した観察眼で、ときに接写し、語りかけ、海の生物たちの本来の個性を見破り、そして活かすのです。
海のギャングのサメだって、「お前にはこんないいとこがあるよ」とやさしく囁かれれば、タケチにメロメロです。
これが僕の言う「タケチの解釈力、解説力」です。

このチカラは、暗記中心教育からは、絶対に生まれません。
日曜美術館とは合わない武智倫太郎の感性
日本の教育の象徴は、ある意味NHKの看板番組「日曜美術館」にあります。

番組の性格上しょうがないというのはあるけれど、あの番組は、「この作品はこう鑑賞しなさい」という作りです。
日本は芸術でさえ、「こう見ろ」という正解があり、知らず知らずのうちに僕らは喜んでそれに従っているのです。
タケチはそこが違う。
「プロレスなんか、ショーだ、八百長だ」そんなありきたりの、ありふれた俗論などには目もくれません。
かと言ってエモーショナルな反発もしない。
エモーショナルを冷静に見つめ、森羅万象の本質を捉えてきたその博覧強記を持って、独自の解釈を施し、noteで解説してくれる。
野呂のプロレスの経済学も、今回タケチ・マジックでまったく別物の素晴らしい学問に生まれ変わったよ。
武智先生ありがとう。
いや、それより僕がいいたいのは、日本経済の発展は「ひとりひとりの豊かでユニークな解釈のチカラ」こそがエンジンになる、ということです。
どうしたらいいか、それは簡単です。
毎日武智noteを読むことです。
東大生は特に。
でもわからないかな。
野呂 一郎
清和大学教授
