プロレス&マーケティング第128戦 真樹日佐夫というプロレス・マーケティング
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書棚から感じた真樹日佐夫の視線
先日のnoteで「本はあなたを見ている、声をかけている」などと申し上げましたが、まさに最近そういう経験をしました。
武智先生が「野呂が真樹日佐夫を取り上げてた!」なんて食いついてくださったのが意識に残っていて、それが共鳴したせいでしょうか、先日なにか真樹日佐夫の目力を感じたのです
それは乱雑な本棚からでした、かろうじて見える背表紙には
「ケンカ」の聖書(バイブル)」とあり、手に取って著者名を見ると真樹日佐夫とあります。

あの今は亡き劇画作家、梶原一騎の弟にしてハードボイルド作家。
「文壇で一番喧嘩が強い男」といわれ、極真カラテの師範でもあった真樹日佐夫先生が僕をにらみつけていたのでした。
その本の副題は、「一般市民のための護身術実践ハンドブック』 1995年(平成7年)翔泳社」とあります。
蒲田駅の近くで、やくざ29人を相手に大立ち回りをした伝説は有名で、本にはそんな武勇伝がたくさん出てきます。
極真カラテが、実兄の梶原一騎によって「最強」とうたわれていたころでした。
地上最強のカラテが極真かどうかは別として、僕もそのころ極真神話にどっぷりはまっていたことが思い起こされます。
プロレス界に多大な貢献をした男
真樹先生は、梶、経緯原一騎もそうなのですが、プロレスを愛し、業界に大きな貢献をしてくれた人物です。
本にこのような記述があります。
「私はプロレスラーの強さに、敬意を持つものである」。
その証明と言えるものが、プロレス史に残る傑作漫画「プロレス悪役物語」の原作を手掛けたことです。
プロレスの魅力とは「虚実ないまぜ」なところではないでしょうか。
真樹日佐夫はプロレスのこの真骨頂を最大限に利用し、プロレスの実戦とは離れた物語を紡いだのです。
僕が一番好きな真樹日佐夫の手になる作品は、プロレス悪役物語の「バディ・オースチン」の巻でした。(「呪われた金髪鬼」より)

オースチンといえば元祖パイルドライバーの使い手で、そのあまりの威力で文字通り何人ものレスラーを地獄送りにしたことで知られています。
真樹日佐夫は東京・六本木でオースチンと喧嘩したことがあるのです。
例の喧嘩のバイブルによれば、オースチンの急所に真樹日佐夫がヒザを入れてKOしたのですが、真樹日佐夫はその武勇伝をひけらかず、それをプロレスラーの強さを見せつける劇画原作に仕立てたのです。
劇画では、二人の喧嘩の最中に割って入ったヤクザをやっつけてしまったオースチンを「オースチン、ヤクザを殴ったらいくらお前でもヤバい、さあ早く乗れ!」と真樹日佐夫がオースチンをタクシーに押し込んだのです。
行き先のバーでオースチンは、ピンチを救った真樹日佐夫に打ち明け話をするのです。
それは自身の必殺技で死に至らしめたレスラーたちへの、懺悔と無念の思いでした。
それを聞いた、真樹日佐夫は喧嘩の取り巻きの一人だった梶原一騎とともに、オースチンを知り合いの霊媒の道場に連れていきます。
霊能者はオースチンのパイルドライバーの犠牲になったプロレスラーの霊を、次々に呼び出します。
プロレスラーたちは、霊媒の口を借りて一様にオースチンにこう語りかけるのです。
「あれはお前のせいじゃない。俺達にちょっぴり運がなかっただけだ。むしろお前の立派な技を食らって幸せだったよ」。
この霊能者の言葉を聞き、日本マットで精彩を欠いたファイトをしていたオースチンは、翌日から見違える動きを見せるようになりました。
あくまでプロレスのすごさ、強さをアピールする
悪役中の悪役とファンから憎悪を浴びる、バディ・オースチンにも人知れず涙があったのです。
プロレスラーの飽くなき強さ、プロレスの悪役という哀しさのコントラストが、プロレスというジャンルを奥深いものに仕上げました。
これこそ、真樹日佐夫ワールド。
マーケティングとは、主人公たる人物に製品にぴったりな色を塗ることです。
真樹日佐夫のマーケティングの核心にあるのは、「夢とロマン」なのです。
天才的なステゴロ殺法で、当時AWA世界王者だったオースチンを屠った真樹日佐夫。
しかし、彼のプロレスに対しての敬意と愛情は、自分の強さを誇ることではなく、あくまでレスラーの強さを作品を通じて世間に出すことに向けられます。
プロレスについて、プロレスで食っていながら、プロレスの人気が下がるやいなや、手のひらを返したようにプロレスを蔑むようなことをペラペラ喋るものがいます。
真樹日佐夫はそういう連中の対局にいます。
すぐれたマーケターとは、売るものに限りない愛情を注ぐ存在のことなのです。
野呂 一郎
清和大学教授
