本は生きており、あなたに語りかけている。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:モノの話の続き。きのうはモノとしてのプロレスパンフレットの話をしたが、きょうはモノとしての本の話だよ。この前紹介したodasaiさんの「ムエタイ裏街道」は、本を開くと、タイの地下格闘技の乾いた空気の匂いがしたんです。本は生きて呼吸をし、あなたに話しかけるのだ。
部屋の書架に息づくタイの格闘ロマン
電子書籍もいいですが、やはり、本というモノになると愛情が芽生えますよね。
この前、敬愛するタイ在住の格闘技ジャーナリストodasaiさんの「ムエタイ裏街道」をブックバージョンで購入したのですが、本の感触が手にしっくり来て、思い出したように時々触っています。
表紙や装丁のよさも手伝い、本棚に飾って眺めてもいます。
手に取ると、タイトルの「ムエタイ裏街道」が発している、タイのアンダーグラウンドに漂う乾いた砂ぼこりのような匂いさえ感じるのです。
タイトルや表紙、色使いの妙は、実物を通じて、読者に迫ってきます。
デジタルでいくらきれいな表紙を作っても、手にとって見ないと伝わらないかもしれないことを考えると、モノとしての本はいいなあ、と思うのです。
パソコンに本は収納できるけれど
なくなった知の大家、渡部昇一さんはご自宅に、渡部昇一文庫とも言える図書館に匹敵するような書庫をお持ちだと聞いたことがあります。

羨ましいのは、執筆する時に、モノを調べるときにその書庫に行けば、即座に情報が入ると同時に、余計なインスピレーションまで沸いて、それが新しい創造につながるだろうことです。
デジタル情報はパソコンやネット空間に保存ができるけれど、そこはデジタルの悲しさ、情報を呼び出してピンポイントで当たることしかできません。
それでは、知は膨らまないと思うんです。
やはり、創造を豊かに育むには、本というモノ配置し、タイトルが見えるように並べる空間が必要です。
都会ではその空間がべらぼうに高くなり、僕の個人図書館構想は夢と終わり、パソコンデジタル格納を余儀なくされています。
本が発するオーラがある
もちろん、ネットで本を買えるのは、いい時代になったとも言えます。
でも、本屋さんが激減しているのは、デジタル時代の大きな罪です。
なぜならば、本は生きて呼吸をしているからです。
本屋さんに行って、あなたが一冊の本を選んで買った。
そう思われるでしょうが、逆です。
本があなたを選んだんです。
本はいつも読んでくれる、自分を認めてくれる同士を探しているんです。
生きていて呼吸をし、息を投げかけているんです。
あなたが偶然その本を見つけたのではなく、本があなたを見つけ、「ここにいるよ」と精一杯のオーラを投げつけて、あなたを振り向かせたのです。
電子書籍は便利だけれど、本というモノに変化させ、人間との直接的接触をさせないともったいないと思うんですよ。
僕に提案があります。
電子書籍を印刷して本にして、コミケみたいな場所で販売したらどうでしょう。
でもすでに、自費出版でもうそういうのはあるかな。
とにかく本は生きており、あなたに語りかけています。
僕の小さな部屋は本でびっしりですが、何か調べ事をしようとすると、本の方から呼んでくれることがあります。
本のタイトルすら見えないゴミ屋敷なんですが、本の方から「ここだ!」と教えてくれるのは不思議で、まるで瓦礫の下に埋もれた被災者が助けを呼ぶかのよう。
忙しいあなたは、最近本屋さんに行く時間さえ取れません。
いや、行くべき本屋さんがそもそもない時代です。
でも、あなたと出会いたくて、本屋さんの棚で、図書館の書架で待っているいとしい子がきっといます。

さあスマホを捨て、本屋に出かけ、あなたを待っている書に会おう。
野呂 一郎
清和大学教授
