武智倫太郎の「人間ドリブン」の秘密を暴く!
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:武智流の執筆術は独自のストーリーを正確性、論理性、物語性(流れ)という骨太の構成でまとめるだけじゃない。3つの間に卓抜の解釈を入れて、独自の表現とタッチでエンタテイメントに仕立て上げているところに注目だ。しかし、そこには御本人も意識してないかもしれない「無意識の仕掛け」があるような気がしてならない。トップ画はフルタチとタケチをベタにかけてみた。https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201907060001335.html
武智流 物語の奏で方
武智先生がまた、野呂のnoteを引き合いに出して論じてくれています。
今回はまず、事実として、先生が30年先まで、査読論文を世の中に出すという事実を知らせています。
これは物語の正しい出だしなんですね。
学術という硬いオープニングから、学術の弱点である硬直性に対して野呂の拙い論まで引いて警告を発し、自由と仮説のワンダーランドの解説者として古舘伊知郎に変身したかと思えば、正義の刃を権力の走狗に下し、最後は人間の心理のあやをぬって精神の不可思議を説くアカギの妖しさをまとい、フィナーレはKANになって「最後に愛は勝つ」を絶唱するのです。
あ、まだ今回はファイナルはまだか(笑)
査読論文のまえがきは、一つのトリックになっています。
あえて硬い出だし、という静かなメロディを奏でる。
ここからクレッシェンドが始まります。
査読のたとえは学問において主観は、客観の裏付けがないと認められないという、学問に限らない普遍性をクローズアップする仕掛けでした。
学問の作法を引いてデータドリブンの真っ当な正統性を擁護し、次にデータドリブンは「策士策に溺れる」の愚でもあることを極端な個性の人物を引いてデータからこぼれ落ちた価値を提示し、最後には人間讃歌を歌うのです。
ほら、深遠な真理をエンタテイメントつまり物語にしてしまってるでしょ?
これが武智トリックです。
今日はたくさんある仕掛けの一つを暴いてみせましょう。
あえて自分を小さく見せる
武智先生のnoteを読むと感じることがあります。
それは、随分謙遜してるなあ、ということです。
物語を聞かせる上で必要な情報として、武智先生の実績の一部を披瀝することはあります。
でもそこにはご自身の主観的な解釈、それは自然に自分に好意的になる、つまり「盛る」ってことがないんですよねえ。
武道だってとんでもない腕前なのに、「いくつか修めたのだが・・・」なんて言っています。
修めたんじゃなく、極めたの間違いです。
僕のような風来坊に対して、心を寄せてくださるのも、一種のへりくだりです。
荒々しいリクツともいえない主張ばかりなのに、好意的に書いてくださるのは、上から下に降りてくるやさしさ、広さともいえましょう。
でもひとかどの科学者は妥協というアートを知っている、とも言えます。
そもそも、もう一つのアイデンティティを使っていること自体、謙遜以外の何物でもありません。
あと色々ありますよ、アフリカに目を向けておられるのも深い意味がありそうです。
今日は時間が足りないのでこれまで。
野呂一郎
清和大学教授
