30歳の後輩に『キン肉マン』を語ろうとして、昭和の深い沼に沈んだ話
平日の昼下がり。昼食を終えてオフィスに戻り、自席で缶コーヒーを飲んでいると、隣の席の自分より20歳ほど若い30代の男性後輩が、スマホの画面をこちらに向けてそっと差し出してきた。
「すみません、これちょっと見てもらえますか?これって……何かわかりますか?」
彼のスマホ画面に映っていたのは、漫画のスクリーンショットでした。私はその画面を一瞥しただけで、その漫画が何かはすぐにわかりました。
「あ、これ? キン肉マンじゃん」
私はさも当然のように答えました。 昭和に生まれ、少年ジャンプの英才教育を受けて育った我々世代にとって、それは1秒で導き出せる解答です。
どうやら彼の個人的な友人たちのプライベートなLINEグループで誰かがネタでキン肉マンの漫画のスクショを送ったようでした。
「……キン肉マン? 名前はよく聞きますけど……これって、どういう漫画なんですか?」
後輩がキン肉マンについて全く知らない様子だったので、何から話すべきか考えた末に、作品の本当に基本的な部分を伝えることにしました。
「キン肉マンたちは、基本的にはリングの上で戦っているんだよ」
私がそう言うと、後輩は少し安心したように笑いました。
「あぁ、やっぱりプロレスのスポーツ漫画なんですね!キン肉マンがプロレスラーっぽい恰好しているから、そうかなとは思ってはいました。」
彼はまるで疑問がすっかり解けたかのように、実に鮮やかで爽やかな笑顔を浮かべていました。ですが、私は彼の大きな勘違いを正そうとこう告げました。
「いや、スポーツではなくて……キン肉マンたちは地球の存亡を賭けて戦っているんだよ」
「……えっ? 地球の存亡を、なんでプロレスのリングで? なんで警察とか出てこないんですか??」
矢継ぎ早に質問が飛んできました。無理もないことです。まず私は、警察や自衛隊だけでは世界を守れないということを説明しようと思い、こう話しました。
「戦っているのは人間じゃない。超人(ちょうじん)なんだ。だから警察とか自衛隊は役に立たないの」
すると、後輩はさらに目を丸くしました。
「超人? 超人ってなんなんですか??」
……それは、まぁそういう疑問がわきますよね。 しかし、超人が何かだなんて、こちらとしては小学生の頃から当たり前に受け入れてきたため、まともに考えたことなどありません。自分も手探りしながら説明しました。
「超人っていうのは……そう……人間を超越した能力を持つ種族?体が人間とは全然違う奴もいるの。えっと……頭が巨大なティーカップになっている奴とか、体が和式便器になっている奴もいて、そいつらがリングで闘うんだよ……」
……話している途中から、これは絶対に伝わらないだろうと感じていました。案の定、後輩は困惑した表情を浮かべていました。「頭がティーカップ」とか「体が和式便器」なんて言われて、もし私が彼より一回り以上年上じゃなかったら、きっと怒られていたでしょう。
私は、一旦仕切り直すことにしました。
「一旦、超人が何かは置いておこう。良い超人を『正義超人』と呼び、その正義超人が悪い超人と地球の存亡をかけて戦う話。まずはこれだけ覚えて、な?」
すると後輩は、少しホッとしたようでした。
「あぁ、なるほど、正義超人 VS 悪い超人ってことですね。それはなんとなくイメージできます。」
そう言うと、彼はスマホでキン肉マンの情報が載ったサイトを検索し、見始めました。まさに現代の若者らしい見事な検索スキルです。スマホを眺めながら彼はこう言いました。
「じゃあ、 このラーメンマン?ってキャラは正義超人なんです?」
「うん、ラーメンマンは正義超人だよ。ただ……」
私は少し悩みましたが、正しく説明しようと思って続けました。
「いま見てるサイトに、ブロッケンJr.ってキャラいない?」
後輩はスマホを操作し、「あ、いますいます! 軍服っぽいキャラですよね?」と答える。
「そう。そのブロッケンJr.ってキャラのお父さんをね……“キャメルクラッチ”って技で真っ二つにして、ラーメンにして食べちゃったんだよ」
自分も言いながら意味わからないな……と思ったので、聞いていた後輩は数倍意味がわらからずに
「はぁ?! どういうことですか?!」っと聞き返してきました。
「いや、ラーメンマンって最初に登場したときは悪役だったんだよ。ほら、ドラゴンボールのピッコロとかベジータみたいに、悪役から仲間になるパターンあるじゃん? あれと同じでさ……」
ドラゴンボールを例に出したのは自分でもなかなか良い方法だと思ったが、やはり後輩の疑問は尽きなかった。
「なるほど、システムはわかりますけど……味方のお父さんを食べたんですか?」
「……食べた」
このままではラーメンマンがただの人食い超人になってしまう。私は慌ててフォローを入れました。
「でもね、そのあとちゃんと改心して、正義超人として命を懸けて戦うんだよ」
これぞ、ジャンプ伝統の「昨日の敵は今日の友」システム。美しい友情の方程式です。 しかし、次の瞬間、私は恐ろしい事実に思い至りました。
「あ……でも……いや、そのあとウォーズマンっていうロボットみたいな超人が出てきてさ。両手にベアークローっていう鉄の爪を装着して、ラーメンマンは脳をえぐられて植物人間になっちゃうのよ」
後輩の顔が、みるみる引きつっていきました。 私に質問してきました。
「その……さすがに、ウォーズマンって悪役なんですよね?」
「いや、のちに正義超人……」
後輩はもはや諦め気味に、最後に話をまとめるように言いました。
「でも……地球の平和をかけた正義VS悪のヒーロー漫画なんですね。それがわかっただけでも良かったです。私はてっきりスポーツ競技系の漫画で、オリンピックとかを題材にしているのかと思っていました。」
私は最後の最後まで彼を混乱させる言葉を投げかけていました。
「オリンピックはやっているのよ……」
後輩は、理解するということに対して、完全に匙を投げました。そして私も、説明するということに対して、匙を全力で投げました。とても、事前知識のない令和の30代に『キン肉マン』を理解してもらうのは、あまりにも不可能なミッションでした。
そういえば、そのウォーズマンの師匠であるロビンマスク(正義超人のリーダー格)も、ウォーズマンを冷酷な復讐の道具として、まるで奴隷のように扱っていたことを思い出しました。
あの頃の昭和の漫画には、整合性やコンプライアンスなんて微塵も寄せ付けない、圧倒的な「ダイナミズム」がありました。
毎週、土曜日から月曜日にかけて。お小遣いの170円を握りしめてジャンプを買いに走った小学生の私たちは、その破天荒な熱量に、ただただ純粋に魅了されていたのです。
設定の矛盾なんて全然気にならなかった。むしろ、その圧倒的な勢いが矛盾を吹き飛ばしていたように感じます。あの歪で、残酷で、でも言葉では言い表せないほど熱い世界こそが、少年たちの心をがっちり掴んでいたのです。
後輩と話しているうちに私は、とある豆知識を思い出しそれを彼に披露しました。
「キン肉マンの本名は「キン肉スグル」で、その名前の元ネタは巨人の江川卓(えがわ すぐる)なんだよ。」
まさかプロ野球選手の名前がキャラクター名の由来だとは思わないだろう、とドヤ顔で言うと、
後輩はひどく申し訳なさそうな顔で口を開いたのです。
「あの……江川って、だれですか?」
「キン肉マン」の偉大さも豆知識も、30代には一ミリも刺さらなかったというお話でした。
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