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あなたの世界の、静けさを聴かせて #創作大賞|7/8 夜、光る。

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はじめましての方、第一章はこちらから



第七章 夜、光る。


街のノイズが気にならなくなっていた。空を見上げる。厚い雲の切れ間から、星が一つ瞬くのが見えた。

世界が、もう一度つながろうとしている。
世界から、拒絶されていたんじゃない。私が、世界に、背を向けていただけだった。

スマートフォンに、衣吹の名前が灯っていた。鼓動が耳を打つ。メッセージは、一行だけ。


『これを、見てください。』


震える指でファイルを開く。

設計図だった。
精密に描かれた線と、控えめな文字。
衣吹の魂が線になった、心の風景そのものだった。

部屋は一つ。壁一面の本棚、窓際の一人掛けソファと小さな丸テーブル。触れれば木目が温かい。目を引くのは、壁のほとんどを占める、大きな窓。窓枠は新宿御苑の景色を切り取るフレームとして機能する。研ぎ澄まされた空間の中に深い静けさが満ちる。

胸の奥で、ずっと輪郭のないまま漂っていた願い。その願いが、形を伴って目の前にあった。

余白には硬質で優しい手書きの注釈が並ぶ。その空間に込めた想いを、一つ一つ丁寧に書き出したかのように。文字が語りかけてくる。


『朝の光線が、最もやわらかく差し込む角度。柔らかな光が、あなたの読書を邪魔しないように。その光は、あなたの心を温かく包み込み、安らぎを与える。』

『本のページをめくる音が、心地よく反響する、計算された天井の高さ。静寂の中に、あなたの息遣いが響くように。あなたの静かな思考が、空間に自然に馴染むように。』

『ソファに深く腰掛けた時、正面に満月が見える窓の配置。夜空の美しさを独り占めできるように、あなたの目線の高さで。月明かりが、あなたの心を照らす。』

『ギムレットのグラスを置くためだけの、最小限のテーブル。あなたの好きなカクテルが、いつでも手の届く場所に、そして、その冷たさが心地よく伝わるように。それは、あなたの小さな喜びのためだけに存在する。』


衣吹の声が、はっきりと蘇った。


『なぜ、ここはこんなに心地良いんだろう、って。その理由を、探していました。あなたの心の奥底にある、本当の安らぎの形を。僕が見つけた、あなたの世界です。』


彼は私の魂の形を見つけ、そのための完璧な「器」を差し出してくれた。

息をつく。これは、衣吹から私への、あまりにも誠実な問いかけだ。そして、この問いに、私自身の言葉で応えなければならない。

設計図のデータを開く。その、美しく、静謐で、しかし、まだ無機質な線画に、私は、自分の「声」を乗せていく。


壁紙の色を、二人で見つけた「月白」色に。ソファの生地を、彼のシャツのように少し乾いた、温かい手触りのリネンに。本棚に並べるのはポール・オースターと、ビル・エヴァンスのレコード。

あの温室の隅に静かに佇んでいた、小さなフェニックス・ロベレニー。私たちが出会った場所から連れてきた、記憶の苗木。


衣吹が差し出した器に、私の音が満ちていく。
返信する。添えた言葉は、一言だけ。


『これが、私に見えている、私たちの世界です。』


衣吹と私の物語が交差した場所へ、向かう。


新宿御苑、千駄ヶ谷門。暗闇に閉ざされた温室のシルエットがぼんやりと見えた。

吐く息が、白い煙となって空に消えていく。その煙が、私の不安を映し出しているかのようだった。

彼が、いた。顔には、微かな戸惑いと、しかし確かな安堵の表情が浮かんでいた。夜の闇でも、その瞳はやわらかく光っていた。

息が、交わった。

「──見たよ。」

衣吹が、先に言った。感動と、驚きと、どうしようもないほどの愛情で。

「──音が、聴こえました。君の物語の息遣いが生まれた、あの空間から──静けさの音が、聴こえたんです。」



『朝の光線が、最もやわらかく差し込む角度』
──その光は、帰り道を見失った、私のための道しるべですね。

『本のページをめくる音が、心地よく反響する、計算された天井の高さ』
──その響きが、私がここにいるという証明になる。

『ソファに深く腰掛けた時、正面に満月が見える窓の配置』
──月が、綺麗ですね。あなたと一緒に、見上げたいです。

『ギムレットのグラスを置くためだけの、最小限のテーブル』
──私のささやかな喜び。ここでなら、世界の中心になれるんですね。



衣吹は頷いた。

「──僕たちの、家だ。」


その頷きには、私への深い肯定と、優しい愛情が込められているように感じられた。そして、私の冷え切った手に、そっと、自分の手を重ねた。ひんやりした掌に、じんわり熱が滲んでいた。


温もりに包まれ少しずつ温まっていく。

凍えていた心がゆっくりと溶けた。


最終章へつづく


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