「無駄のない経営」は、本当に強いのか――『反脆弱性』から考える、未来を外しても「次の一手」を失わない経営
昨日の毎日新聞で、ふと手が止まった記事がありました。
「資金繰り『時間差』重荷 プラ高騰 中小悲鳴」
原材料価格が上がる。
企業は、その上昇分を価格に転嫁しようとする。
けれど、仕入れ価格が上がった「今」と、値上げした商品やサービスの代金が実際に入ってくる「未来」は一致しません。
そこには、どうしても「時間差」が生まれます。
一見すると、中小企業の資金繰りを扱った記事です。
しかし読みながら、これは単なるキャッシュフローの問題ではないように感じました。
むしろ、
変化の速度がますます速くなる時代に、企業はどう生き残るのか。
そんな、経営の本質に近い問いを投げかけているように思えたのです。
黒字でも、企業は苦しくなる
経営の世界では当たり前のことですが、
利益と現金は、同じではありません。
売上が増えている。
利益も出ている。
それでも、入金より先に仕入れ、人件費、家賃、借入返済などの支払いがやってくれば、資金繰りは苦しくなります。
将来大きな収益を生む投資であっても、その未来まで資金が持たなければ意味がない。
つまり企業経営には、
「価値が生まれる時間」と「現金になる時間」のズレ
があります。
そして、考えてみると「時間差」はお金だけではありません。
人を採用してから、一人前になるまで。
研究開発を始めてから、商品になるまで。
設備投資をしてから、回収するまで。
新しい技術が生まれてから、社会に受け入れられるまで。
制度が変わってから、現場が適応するまで。
企業は、さまざまな「時間差」の中で経営されています。
だから私は、
経営とは、利益を生み出す仕事であると同時に、
未来と現在の間に生まれる「時間差」を生き延びる仕事でもある。
そんなふうに思いました。
現代経営の難しさは、「速度が違うもの」を同時に扱うこと
もう少し視野を広げると、この「時間差」は今後さらに重要になる気がします。
AIは急速に進歩する。
エネルギーシステムも変わる。
金融市場は瞬時に反応する。
情報は世界中を一瞬で移動する。
一方で、人間が学ぶ速度は、それほど急には変わりません。
人が信頼関係を築くには時間がかかる。
組織文化が変わるにも時間がかかる。
法律や制度が社会の変化に追いつくにも時間がかかる。
つまり現代社会では、
技術、資本、人間、制度が、それぞれ違う時計で動いている。
企業経営とは、その「速度の違うもの」を同時に扱う仕事になっているのではないでしょうか。
これは、かなり難しい。
技術の速度だけに合わせれば、人が疲弊する。
人の速度だけに合わせれば、市場から取り残されることもある。
資本の論理だけを優先すれば、短期的な数字は良くなっても、組織や社会との間にひずみが生まれる。
だからこれからの経営者には、
「どこまで速くするか」だけではなく、
「どこを、あえて速くしないか」
という判断も求められるのだと思います。
『反脆弱性』を、もう一度ひもといてみる
記事を読みながら思い出したのが、ナシーム・ニコラス・タレブの『反脆弱性』でした。
久しぶりにひもといてみました。
タレブのいう「反脆弱性」は、単なる「頑丈さ」や「回復力」とは少し違います。
壊れないだけではない。
ダメージを受けて元に戻るだけでもない。
変動や混乱、不確実性にさらされたときに、そこから学び、適応し、以前より強くなっていく。
この考え方を経営に重ねてみると、一つの問いが浮かびます。
「効率のよい会社」と「強い会社」は、本当に同じなのだろうか。
「無駄をなくすこと」が、会社を弱くすることもある
企業は長い間、効率化を追求してきました。
在庫を減らす。
人員を最適化する。
設備稼働率を高める。
資金を遊ばせない。
調達先を集約する。
無駄な会議をなくす。
無駄な時間をなくす。
もちろん、どれも大切です。
問題は、「無駄をなくす」という考え方を極限まで進めたときです。
在庫がゼロに近ければ、物流が止まった瞬間に生産も止まる。
人員をぎりぎりまで減らせば、一人欠けただけで現場が回らなくなる。
一社から大量に仕入れれば価格交渉力は高まっても、その会社に問題が起きれば代替できない。
手元資金をぎりぎりまで圧縮すれば資本効率は高まっても、急激な売上減少に耐えられる時間は短くなる。
つまり、
平時の効率を最大化するほど、
有事の選択肢を減らしてしまうことがある。
ここには、経営における大きな逆説があります。
効率性と強靱性は、必ずしも同じ方向を向いていない。
「余白」は、本当に無駄なのか
では、企業にとって「余白」とは何でしょう。
一定の手元資金。
余裕のある人員。
複数の仕入れ先。
代替可能な設備。
短期的には売上にならない研究や学習。
異なる業界の人とのつながり。
何かあったときに相談できる人。
そして、
「こちらが駄目なら、別の道を選べる」という選択肢。
平時には、これらの一部は「コスト」に見えます。
しかし不確実性が高まった瞬間、その意味は変わります。
そこで私は、
余白とは、無駄ではなく「未来に対する選択権」なのではないか。
と考えるようになりました。
金融の世界には「オプション」という考え方があります。
将来、ある行動を「取る義務」ではなく、「選べる権利」を持つことです。
経営にも似たものがあるのではないでしょうか。
複数の取引先がある。
別の商品を開発できる。
新しい市場へ移れる。
異なる専門性を持つ人とつながっている。
一定期間、売上が落ちても耐えられる。
これらはすべて、
未来が想定と違ったときに、別の未来を選べる力
だと思います。
余白は、何もしないために持つのではない。
想定外が起きたときに、動けるようにするために持つ。
そう考えると、「余白」の意味はかなり変わってきます。
経営会議で、本当に問うべきこと
経営者は未来を予測します。
来年の景気はどうなる。
金利はどうなる。
為替は。
AIはどこまで進む。
エネルギー価格はどうなる。
人手不足は。
どの市場が伸びるのか。
もちろん、予測は必要です。
でも、どれほど情報を集めても、未来を完全に当てることはできません。
むしろ大きな変化ほど、過去の延長線上から外れたところで起きることがあります。
だとすれば、経営会議で、
「来年はどうなると思う?」
と議論するだけでは足りない。
もう一つ、問うべきことがあります。
「もし、その予測が外れたら、私たちは何ができるだろう?」
売上が計画の7割になったら。
原材料価格がさらに上昇したら。
金利が想定以上に上がったら。
主要取引先を失ったら。
キーパーソンが突然抜けたら。
新しい技術によって、主力商品の価値が急速に低下したら。
そのとき、
撤退できるか。
縮小できるか。
方向転換できるか。
別の商品を出せるか。
別の市場へ行けるか。
別の人と組めるか。
そして、もう一度挑戦できるか。
重要なのは、悲観的になることではありません。
「次の一手」が残っているかを確認することです。
これは、経営者だけでなく、事業責任者や個人で仕事をする人にも使える問いだと思います。
「最大化」ではなく、「選択可能性」を見る
私たちは経営で、さまざまなものを最大化しようとします。
売上。
利益。
生産性。
設備稼働率。
投資効率。
資本効率。
もちろん、どれも重要です。
しかし、何かを最大化するとき、別の何かを失っている可能性があります。
最大効率は、余力を失うかもしれない。
最大稼働は、故障や欠員への耐性を失うかもしれない。
最大レバレッジは、環境変化への自由度を失うかもしれない。
一つの顧客、一つの技術、一つの市場への集中は、成功したときには大きなリターンを生む一方、前提が崩れたときには逃げ道をなくすことがあります。
だから、不確実性の高い時代には、
「どれだけ儲かるか」と同じくらい、
「どれだけ選び直せるか」
を見る必要がある。
私は、ここがとても重要だと思います。
「資本は未来を早める」。では、その先に何が起きるのか
先日、AIブームと蓄電所投資について考えながら、
「資本は未来を早める」
と書きました。
資本が集まれば、技術開発は加速する。
設備投資が進む。
人材が集まる。
市場が生まれる。
未来は、確かに早くやってきます。
しかし、考えてみれば、
未来が速くなるということは、間違える速度も速くなるということです。
技術が速く進歩すれば、設備が陳腐化する速度も上がる。
市場が急拡大すれば、過剰投資が起こる可能性も高まる。
資本が一気に集まれば、期待が実態を追い越すこともある。
だからこそ、未来が加速する社会で必要なのは、
一番速く走ることだけではない。
走りながら、方向を変えられること。
なのだと思います。
スピードと可変性。
効率と冗長性。
集中と分散。
予測と選択肢。
このバランスをどう設計するか。
経営は、ますます、
「正解を当てるゲーム」から、
「不確実性の中で選択肢を失わないゲーム」へ
変わっているように感じます。
そして、これは人生にも言えるのかもしれない
ここまで考えて、これは企業だけの話ではないと思いました。
私たちは人生でも、知らず知らずのうちに「最適化」を求めています。
早く結果を出す。
無駄をなくす。
失敗を避ける。
正しい選択をする。
最短距離で目的地へ向かう。
でも、人生は予定通りには進みません。
仕事が変わる。
環境が変わる。
人との関係が変わる。
思ったような成果が出ない。
遠回りする。
そして、思いがけない人と出会う。
不思議なのは、後になって振り返ると、
その「予定外」が人生の重要な転機になっていることがあることです。
だとすれば、人生における強さも、
予定通りに生きられることではなく、
予定が崩れたあとにも、もう一度選び直せること
なのかもしれません。
さらに言えば、
想定外から何かを学び、
以前にはなかった道をつくること。
それは、タレブのいう「反脆弱性」にも通じるように思います。
「余白」は、まだ見えていない未来のためにある
昨日の記事は、中小企業の資金繰りについての記事でした。
けれど、一冊の本を横に置いて考えてみると、その向こうにもっと大きな問いが見えてきました。
企業は何のために余裕を持つのか。
人はなぜ、すべてを効率化してはいけないのか。
不確実な未来に対して、私たちは何を準備できるのか。
私なりに考えて、今のところたどり着いた答えは、とてもシンプルです。
経営とは、未来を当てることではない。
未来を外しても、次の一手を打てる状態をつくっておくこと。
そのために必要なのは、
資金の余白。
人材の余白。
時間の余白。
学びの余白。
人とのつながりの余白。
そして、選択肢の余白。
今日の数字だけを見れば、削りたくなるものもあるでしょう。
でも、
今日の効率だけでは、価値を測れないものがある。
今日の利益には表れなくても、明日の選択肢を増やしているものがある。
そう考えると、「無駄」という言葉の意味も少し変わって見えてきます。
余白とは、未来を恐れて残すものではない。
まだ見えていない未来がやってきたときに、
自分たちで未来を選び直すために残しておくもの。
経営も人生も、
本当に強い状態とは、すべてを完璧に予測できることではなく、
何が起きても、「まだ選べる」と言えることなのではないでしょうか。
昨日の新聞と『反脆弱性』を行き来しながら、
そんなことを考えました。
