[ヤマ・ニヤマ]サントーシャ(知足)〜今あるものに感謝する
デボラ・アデル『つかんだバナナを手放せますか?』を参考にしながら、ヨガ哲学のヤマ・ニヤマについて考察している。
ヤマの5つについては終わり、今ニヤマについてに入っている。
1つめの、
ソウチャ〜清浄
について、書き終えたところ。今日は、2つめのサントーシャ(知足)について書こうと思う。
知足とは、今あるものに感謝するということ。
広告が私たちの願望を助長し、ないものを欲するようにしていることは、誰でも知っている。知足を得る代わりに。私たちは次のことの準備に忙しくなり、好き嫌いに左右され、心は乱され、イライラしている。
知足という考えは、自分の軸に穏やかにとどまり続け、心を開き、今あるものに感謝し、「探し求めない」ことで、私たちを知足へと導いてくれる。
最近、人を羨ましいと思う気持ちがなくなってきた。
世の中が、自分の期待に応えてくれると期待するとき、私たちは自分の外側に満足を与えてくれるものを探している。
パートナーが自分のことを満たしてくれる。仕事が要求に応えてくれる。成功がすべての問題を解決してくれると、期待する。
そして、この期待が応えられない場合は、「もし〜であれば」と頭の中で考え、足りないものを探しはじめる。
外側に満足し、探しているとき、一生知足を得ることはできない。そればかりか、失望し、知足は遠ざかっていく。
人は、自分は自由な存在だと思っているけれど、実際に嫌いなことを避けて、好きなことに囲まれて一日を過ごせるようにと、こだわるという感覚になる。
実際に、物事はすべて中立であると、ヨガ行者はいう。私たちは、物事に対して魅力的、またはそうでもないというレッテルを貼る。
こだわって好きなものを追い求める行為や、嫌いなものを避ける行為が、私たちのエネルギーを無駄に消耗していることに、気づいていない。
感情の乱れは、雑音のせいではなく、生活を乱しているのは自分自身であるということ。感情の乱れに取りつかれるのが簡単なように、外の世界の輝きや期待への意識に気を取られるのも簡単だ。
この文化の中にいて、満足し続けるというのはとても困難なことだ。すぐに人の持ち物や状況に惹かれてしまい、自分に今すでにあるものに対しての感謝を忘れてしまうことがある。
でも、最近そんな傾向が減ってきたように思う。
それというのも、書店のない生活にだいぶ慣れてきて、今ある本とのつきあいを密にすることに感謝するようになってきた。
SNSの新刊の情報や、興味をそそられる情報に傾きそうになったとき、本当にそれは今私に必要なのか、ゆっくり考えるようになった。ネットで買おうと思えば買えるけれど、少し待つようにしている。
こうして、さがす、追いかけるという行為から少し距離を置くことによって、不足している感覚を遠ざけることができることが、最近わかってきた。不足というのは幻想で、不満は生まれても、不足しているものは何もない。
この本に、とても印象的なことが書かれている。
知足とは、自分の人生と恋に落ちること。
どうだろうか。
空川ナオ
