彼の人生は偉大だ。『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド
舞台は、1922年のアメリカのニューヨーク。
第一次世界大戦が終わり、戦争を経験した若者たちは、誰もがみてわかる富
や名声を欲しがる狂乱の時代だ。
語り手のニックは、アメリカンドリームを追いかけてニューヨークに引っ越してくる。そんな中、隣人のギャツビーは毎晩毎晩、豪華絢爛なパーティーを主催している。ひょんなことから親しくなったギャツビーとニックだが、全てを手に入れたように見えるギャツビーはどこか空虚に見えてしまう。
彼の本当の目的とは?彼が追い続けているものとは?
※以下ネタバレありです。
ギャツビーや語り手のニックは「ウェスト・エッグ」という成金が住んでいる地域におり、トムやデイズィは「イースト・エッグ」という莫大な資産と富を持つ特権階級の地域に住んでいる。
この2つの地域には、湾・入り江で隔たれている。
この隔たりこそ、物語の中心的な部分だ。
ウェスト・エッグで努力をしているもの、アメリカンドリームを夢見てきたもの、努力をし物質的な全てを手に入れたものでさえ、この入り江を越えることはできないのだ。
その資本主義、現実社会の冷酷さや無慈悲さの象徴が、デイズィであり、緑の灯火で、入り江なのである。
住んでいる地域、住んでいる建物、登場人物、乗っている車や道路の看板、登場人物の喋り方など表現、対比、象徴など細かく描写されている。
わずか数キロの入り江を隔てているが、決して越えられない社会的・精神的な溝を描くために、皮肉や虚無感を痛烈に描き出していると思う。
ギャツビーは頭では理解しているのかもしれない。この入り江を越えることはできないと。それでも1人の女性のために、人生を捧げるというのは「偉大な」人生だったと言えるだろう。
これられない壁に挑み続ける人生こそ、一番美しいと。
ややこしくしているのが、語り手がニックという点だ。ギャツビーはなかなか出てこないし、ギャツビーが何を思っているか、行動しているかも分かりにくい。ただ安心して欲しい。全てが解き明かされていく時、これはニックでないと語れない物語なのだとあなたも悟るだろう。
作者のスコット・フィッツジェラルドは魅力的な作品を世に出しつつけた一方で、実生活では美人で奔放なゼルダ・セイヤーと結婚し絢爛奔放な生活を送っていたそうだ。その姿は「スコットとゼルダ」と若者の憧れの的にな
り、今でいうインフルエンサーのようなものだったのかも。
私には今、緑の灯はどこにも見当たらない。
彼のように、悲劇的な終わり方をしても、何かを夢中で追いかける人生の方が遥かに幸せではないだろうか。
夫妻の墓には、グレート・ギャツビーの最後の一文が描かれている。
アメリカンドリームを追い続けた人生だったのかもしれない。
こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎ漕ぎ進んでゆく。
ディカプリオ主演で映画化されているのでぜひ。

