東京ワンルームの恋 ─Time Goes By─|第三話【全五話】|黒いフェアレディZに、私の心は連れられて
――この物語は、35歳になった礼美が振り返る、東京で過ごした恋と別れの記録である。
22歳の秋。
東京で迎える、五度目の季節。
仕事にも少しずつ慣れ、同期との距離も自然に近くなっていた。
その中で、一人だけ。
気づけば、目で追ってしまう人がいた。
「今度、休みが合ったら出かけない?」
英雄が言った。
一瞬だけ、間が空く。
――二人で?
そう思った自分に少し驚く。
でも、嫌じゃなかった。
早速、美里にチャットした。
「みさとー 英雄からドライブに誘われたよー
いいよって言ったけど、ちょっと恥ずかしくなってきた
同じフロアにいるのに、どんな顔してればいいの」
すぐに返信が来た。
「ほんとに? よかったね
英雄の気持ちに気づいているんでしょ?
答えを出すのは礼美だよ
楽しんできてね♡」
――あっ、チャットに♡やめてよー。
――でも、私のことちゃんと気にしてくれてたのかな。
クローゼットの前で止まる。
いつも通りの服。
なのに、今日は違って見える。
手が止まる。
少し短めのスカート。
普段なら選ばないやつ。
「……別にデートじゃないし」
小さく呟く。
――言い訳してる時点で、もう違う気がする。
鏡の前で一度だけ確認する。
少しだけ時間がかかる。
そのこと自体に、もう気づいている。
――なんでこんなに迷ってるんだろ。
――ただの休日のはずなのに。
英雄がアパートまで迎えに来てくれた。
黒いフェアレディZ。
少し照れたように笑っている。
助手席に乗る。
エンジンが低く鳴る。
車が静かに走り出した。
湾岸線。
窓の向こうに、お台場の景色が流れていく。
ちらちらと英雄の視線を感じる。
目を合わせないようにしているみたい。
「何かおかしい?」
「そんなことないよ」
少し間が空く。
それから英雄が口を開いた。
「あのね、会った時から言いたかった。
今日は……すごくかわいいよ」
その瞬間。
鼓動が跳ねる。
顔が熱くなるのが、自分でも分かった。
「ありがとう。
ちょっとだけコーデ頑張ってみたんだ。
スカート短いかな?」
「そんなことないよ。ありがとう」
「何に対して『ありがとう』なの?」
思わず笑う。
英雄は照れたように頭をかいた。
「いや……何でもないです」
ふふ。
英雄が慌ててる。
そんな姿が少し可愛かった。
鎌倉に着く。
空も海も、どこまでも青い。
「……きれい」
自然に声がこぼれる。
その横で、英雄が少しだけ笑った。
鎌倉を歩いて、
江ノ電に揺られて、
江の島へ向かう。
秋の澄んだ空気のせいか、
海がどこまでも広く見えた。
展望台へ上る頃には、
風が少し冷たくなっていた。
「寒くない?」
英雄が優しく聞く。
その言葉に背中を押されるように、
私はそっと手を伸ばした。
英雄がその手を包み込む。
温かい。
「礼美の手、やわらかいんだね」
「……そうかな」
手のひらから、
高鳴る鼓動まで伝わってしまいそうだった。
江の島の景色も、
一緒に引いたおみくじも、
あとから思い返すと、
緊張していてほとんど覚えていなかった。
夜。
横浜ランドマークタワー。
窓際の席。
街の灯りが宝石みたいに広がっている。
「すごいね、これ」
思わず声が漏れる。
英雄は少し誇らしそうに笑った。
でも、どこか落ち着かない。
フォークの位置を何度も直している。
沈黙。
でも、嫌な沈黙じゃない。
むしろ心地よかった。
――この人、思ってたより不器用なんだ。
そう思った瞬間、
また少しだけ距離が縮まった。
「今日はありがとう。
ずっと運転してくれて、お疲れさま。
それに……
いつも会社で頑張ってる英雄の、
仕事とは違う一面をたくさん見られて嬉しかった。
私も、英雄みたいに頑張れる人になりたいなって、
改めて今日思ったの。」
英雄は少し照れたように、
ゆっくり頷いた。
帰りの車内は静かだった。
湾岸の夜景が流れていく。
アパートの前。
車が止まる。
エンジンが切れる。
静かな時間。
「今日は本当にありがとう。
じゃあ、また明日ね」
小さく手を振り、
ドアに手をかける。
その瞬間。
「礼美」
呼ばれる。
振り返る。
暗い車内。
少しだけ間。
「今日の礼美、かわいかった」
一瞬、呼吸が止まる。
――なにそれ。
――今、それ言う?
でも、嫌じゃない。
むしろ嬉しかった。
「……何言ってるの」
笑って返す。
自分でも分かるくらい、
声が柔らかかった。
沈黙。
距離が少しだけ近づく。
英雄がゆっくり身を乗り出す。
私は目を閉じた。
一瞬。
唇が重なる。
離れる。
英雄が小さく笑った。
「やっと言えた」
「もう、遅いんだから」
気づけば、
そんな言葉が口をついていた。
車を降りる。
ドアが閉まる。
黒いフェアレディZが、
ゆっくりと夜へ走り去っていく。
赤いテールランプが、
見えなくなるまで、
私はその場を動けなかった。
部屋へ戻る。
ベッドへ倒れ込む。
天井を見つめる。
――なにこれ。
――どういう顔して明日会えばいいの。
お風呂に入る。
さっきのキスを思い出してしまう。
一人で少し笑ってしまった。
パジャマに着替え、
ココアを淹れる。
湯気を見つめながら、
今日一日をゆっくり思い返した。
「英雄……」
ぽつりと名前をつぶやく。
でも、一つだけ分かる。
――黒いフェアレディZが、私の心を連れていった。
つづく
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