同級生・第三部 ーSo Longー|第一話【全5話】|潮風は、まだ覚えていた
――この物語は、『同級生 -after 15 years-』から十年後の、かおりと正人の記録である。
かおりは五十歳になった今年も、
九十九里へ向かっていた。
湾岸線を抜ける頃には、
東京の景色が少しずつ低くなる。
高層ビルが減り、空が広がる。
その変化が好きだった。
レンタカーで流れる懐かしい曲を聞きながら、
かおりは小さく笑った。
「……また来ちゃった」
誰に言うでもない独り言。
誕生日だから来たのか。
それとも、
あの日を忘れられないから来たのか。
自分でもよく分からなかった。
五十歳になっても、
人は昔の恋を連れて海へ来る。
そんなこと、若い頃は想像もしなかった。
『Restaurant SurfWind』 の看板が見えてくる。
正人が初めて連れてきてくれたあのレストラン。
白い壁。
青い庇。
少し潮風に色褪せた木の看板。
十年前と変わらない。
いや。
変わっていない場所を見るたび、
自分だけが歳を取った気がする。
ドアを開ける。
カラン、とベルが鳴った。
「いらっしゃ……おっ」
カウンターの奥で、マスターが笑った。
「今年も来てくれたんですね」
かおりはサングラスを外した。
「ふふ。覚えててくれたんですか?」
「そりゃ覚えますよ。
十年通ってくれてる常連様ですから」
十年。
その数字だけで、胸の奥が少し揺れる。
窓際の席へ座る。
海が見える、あの日と同じ席。
波は今日も静かだった。
「いつもの、でいいですか?」
「はい。お願いします」
オムライスの香りが店に広がる。
その匂いだけで、十年前の記憶が戻ってくる。
白いアウディ。
海ほたる。
東京駅。
桜色のグロス。
十五年ぶりに再会して、十年前に離れた。
人生って、本当に意地悪だ。
若い頃は、好きなら一緒になれると思っていた。
でも大人になると、
“好き”だけでは届かないことを知る。
オムライスの至福の時間。
ふとSNSのタイムラインに目を移した。
知子がまた山頂でピースしている。
相変わらず元気そうだ。
「ふふ」
少しだけ笑った。
「そういえば」
マスターがコーヒーを置きながら言った。
「今ならもう時効ですから話しますね。
正人さん、あの日かおりさんがここに来る前に
三回も下見してたんですよ」
かおりの手が止まる。
「……え?」
「何時に来たら夕日が綺麗かとか、
海ほたるの見え方とか」
マスターは懐かしそうに笑った。
「バースデーケーキも相談してました」
かおりは言葉を失った。
あの日。
自分は、
ただ懐かしくて誘われたのだと思っていた。
でも違った。
正人は、
ちゃんと“特別な日”にしようとしていた。
十年経って、
ようやく知る。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
「……バカ」
小さく呟く。
窓の向こうで、白い波が崩れていた。
帰ろうとした時、レジ横のハガキが目に入った。
『Restaurant SurfWind
10周年記念パーティ
8月13日開催』
かおりは苦笑する。
「……狙いました?」
「偶然ですよ」
マスターも苦笑していた。
絶対嘘だ。
八月十三日。
自分の誕生日。
そして、
十年前、正人と海を見た日。
「よかったら……
いえ、必ずいらしてくださいね」
そう言われて、
かおりは少しだけ視線を落とした。
「……また、会えるのかな」
返事の代わりみたいに、
潮風が店のドアを小さく揺らす。
かおりは小さく笑って、
バッグの中の桜色のグロスにそっと触れた。
潮風は、
十年前と同じ匂いがした。
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