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緑の陽炎

真夏の登山の帰り道、世界が一度燃え尽き、再び生まれ変わる瞬間を感じた。そんな感覚を書いてみました。


坂道を一歩下るたび、対面の山嶺は巨大な生き物のようにゆっくりと身を震わせ、世界の天頂へとせり上がっていく。視界のすべてが、その威容に侵食されていく。

深緑の森は、真夏の陽光をその奥深くまで飲み込み、まるで深い海底の底溜まりのような、重く濃密な影を湛えていた。
足元の土は、熱を吸い込みながらもしっとりと湿っている。
その静寂の境界線を突き破り、山頂から噴き上がるのは、神々の神殿を思わせるほどに磨き抜かれた白の入道雲だ。

天を焦がすような燃える白と、悠久の沈黙を守り続ける深淵の緑。
その対立は、網膜を焼き切るほど鮮烈で、意識の奥底に消えない残像を刻んでいった。

遠くで震える蝉たちの声は、もはや個体の叫びではない。それはこの風景を構成する目に見えない微細な粒子へと姿を変え、緑に染められた大気を絶え間なく震わせる「音の結晶」となっていた。

そこへ、森の奥に潜んでいた湿り気を孕んだ風が、誰かの気配だけを残して通り過ぎるような風が、そっと頬を撫でた。風が運んできたのは、咽せるような草木の吐息と、白銀の雲が孕む雨の予感。

次の瞬間、それまでの世界を形作っていた空気は陽炎となって歪み、天へと立ち上っていった。まるで大地全体が、目に見えない青い炎に包まれ、静かに燃え落ちていくかのように。

いちどに降りだした雨は、熱を帯びた世界を浄化する「銀の針」となって、すべてを大地へと縫い留めていく。

やがて雨脚が遠のくと、世界は一変していた。 立ち上っていた陽炎は消え去り、そこには洗いたての宝石のような透明度が満ちている。

ふと見上げれば、山の向こう側から差し込む光が、湿った大気をプリズムのように透かし、空に巨大な七色の橋を架けた。

雨粒を湛えた葉の一枚一枚が、まるで呼吸を始めたばかりの命のように、清冽な輝きを放っている。

肺の奥深くまで吸い込んだ空気は、驚くほど冷たく、甘い。 それは、世界が一度燃え尽き、まっさらな姿で再誕した合図のようだった。

胸の奥に澱んでいた熱は、いつの間にか雨がすべてを連れ去ってくれた。

ただ、緑がまぶしい。
雨に洗われた世界は、息をひそめて僕を待っているようだった。




「緑」のシリーズは連作として書きました。
「緑の陽炎」は、第2作。よろしければ、第1作「緑の予感」もよろしくお願いします。




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