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【ビジ哲】フーコー編 #3 「できる人」は誰が決めるのか?

あなたの会社には、「あの人は仕事ができる」と言われる人がいますか? では、その「できる」の定義は、誰が決めたのでしょうか。 今回は、「優秀さ」の定義そのものをフーコーの視点で問い直します。

👩‍🏫 玲子 「恵美、うちのチームで一番『優秀』なのは誰だと思う?」

👩‍🎓 恵美 「うーん……田中さんじゃないですか?数字を毎月達成してるし、上司の受けもいいし」

👩‍🏫 玲子 「なるほど。じゃあ、田中さんが江戸時代に生まれていたら、やっぱり優秀だったと思う?」

👩‍🎓 恵美 「え……それは、時代が違うから……」

👩‍🏫 玲子 「そう。時代が違えば、『優秀』の意味も変わる。ということは、今あなたが『優秀』と呼んでいるものは、今この時代・この会社の枠組みの中での話よね」

「優秀な人材」は時代によって変わってきた

歴史を振り返ると、「優秀な人」の定義が時代ごとに大きく変わってきたことがわかる。

高度経済成長期の日本では、長時間働き、会社への忠誠心が高く、上司の指示を忠実に実行できる人が「優秀」とされた。個性よりも従順さ、創造性よりも実行力が求められた時代だ。

バブル崩壊後の1990年代には、コスト意識と効率化が重視され、「数字で語れる人」が台頭した。KPIやROIといった概念が広まり、定量的な成果を出せる人間が評価された。

2010年代以降になると、グローバル化とデジタル化の波が来て、英語力・ITリテラシー・イノベーション思考が「できる人の条件」に加わった。さらに近年は、多様性への理解や心理的安全性の確保など、マネジメントの「人間力」が評価軸に入ってきた。

では、これらのどれが「本当に正しい優秀さの定義」なのか。

フーコーならこう答えるだろう。——どれも正しくない。どれも、その時代のエピステーメーが生み出した「正解」に過ぎない。

評価基準は「誰かの利益」と結びついている

フーコーが指摘したのは、「知」と「権力」は切り離せないということだ。何が「真実」とされるかは、それを決める立場にある人間の利益と無関係ではない。

評価基準も同じだ。

「長時間労働できる人が優秀」という基準は、長時間働かせることで利益を得る側にとって都合がいい。「数字で語れる人が優秀」という基準は、数字に強い管理職が自分の地位を正当化しやすい。「上司の指示を忠実に実行できる人が優秀」という基準は、指示を出す側の権力を強化する。

これは陰謀論ではない。フーコーが言いたかったのは、評価基準は「客観的な真実」として提示されるが、実際にはある時代・ある組織の権力構造を反映しているということだ。

チームリーダーとして、このことを知っておくことは非常に重要だ。あなたが誰かを「優秀だ」「問題がある」と判断するとき、その判断は純粋に客観的なものではなく、あなたが内面化した評価の枠組みを通して見た結果だからだ。

「できない人」は本当にできないのか

👩‍🎓 恵美 「でも玲子さん、現実問題として、成果を出せない人は評価されないじゃないですか。それは仕方なくないですか?」

👩‍🏫 玲子 「成果って、何の成果?」

👩‍🎓 恵美 「売上とか、目標達成率とか……」

👩‍🏫 玲子 「じゃあ、チームの雰囲気を良くしている人は? 若手の相談に乗り続けている人は? 誰も気づかないリスクを事前に潰している人は? そういう人の『成果』は、どう測るの?」

👩‍🎓 恵美 「……それは、数字になりにくいですね」

👩‍🏫 玲子 「そう。『数字になりにくいから見えない』のと、『成果を出していない』は、全然違う話よ」

「できない人」と評価されている人が、本当にできないのかどうかは、評価の枠組みによって変わる。

数値目標の達成が苦手でも、チームの人間関係を安定させる能力が高い人がいる。プレゼンは下手でも、地道な調査と分析で意思決定を支えている人がいる。上司への報告は不得意でも、顧客からの信頼が圧倒的に厚い人がいる。

これらの能力は、現在の多くの組織の評価基準では「見えにくい」。しかし、「見えにくい」と「存在しない」は違う。

フーコーが言う「エピステーメー」の視点で言えば、今の評価制度が「見える化」できているのは、評価制度が捉えられる範囲の能力だけだ。その外側にある能力は、存在を消されてしまう。

「優秀さ」の定義が変わるとき、何が起きるか

歴史的に見ると、「優秀さ」の定義が変わる瞬間には、必ず大きな環境変化が先行している。

産業革命は「農業の熟練者」から「工場労働者」へと「優秀さ」を再定義した。インターネットの普及は「情報を持っている人」から「情報を使いこなせる人」へと評価軸を変えた。AIの登場は今まさに、「知識を記憶している人」の価値を問い直しつつある。

つまり、今あなたの組織で「優秀」とされている人が、5年後も同じ評価を受けるとは限らない。 逆に、今「評価されていない人」が、環境の変化によって突然「最も必要な人材」になることもある。

チームリーダーとして、これは二つの意味を持つ。

一つは、今の評価基準だけでメンバーを判断しないことだ。今の枠組みで見えていない能力を持つメンバーが、チームの中にいるかもしれない。

もう一つは、自分自身の「優秀さ」も問い直すことだ。今のあなたが「できる」と感じているスキルや判断力は、今のエピステーメーの中での話だ。環境が変わったとき、それは通用するか。

「問い直し」は批判ではなく、アップデートである

👩‍🏫 玲子 「じゃあ恵美、もう一度聞く。うちのチームで一番大切な人は誰?」

👩‍🎓 恵美 「……今度はすぐに答えられないですね。田中さんは数字が強い。でも、山田さんはチームの相談窓口になってる。鈴木さんは地味だけど、ミスを未然に防いでくれてる……」

👩‍🏫 玲子 「そうやって見えてくるものがある。それがリーダーの仕事よ」

評価基準を問い直すことは、今の評価制度を否定することではない。会社の方針に反旗を翻すことでもない。

それは、リーダーとして「見える範囲」を広げることだ。

今の評価制度が捉えている能力だけでなく、その外側にある能力にも目を向ける。今「優秀」とされている人だけでなく、別の枠組みで見れば「優秀」かもしれない人にも気づく。

フーコーが哲学で行ったことは、「当たり前」を疑うことで、それまで見えていなかったものを見えるようにすることだった。リーダーがチームに対してできることも、同じだ。

「この人はできない」と思ったとき、一度立ち止まって問いかけてみてほしい。 「私のどんな枠組みが、この人を『できない』と見せているのか?」と。

👩‍🎓 恵美 「玲子さん、評価基準って、変えられるものなんですか?」

👩‍🏫 玲子 「会社全体の評価制度はすぐには変えられない。でも、あなたがチームの中で何を見るか、誰の何を評価するか——それはリーダーであるあなたが選べる。それだけで、チームは変わる」

次回(#4)は、「PDCAは本当に正しいのか」を考える。

ビジネスフレームワークそのものが「知の制度」であるとしたら——私たちが当たり前のように使っているツールの正体を問い直す。

このシリーズは全24回無料、最終回(#25)は有料まとめとして公開予定です。


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