「メタファー」を遊んで「バイオショック」を想起した話〜プレイヤーと主人公を切り離す
前置き
※タイトルのとおり、メタファーのある場面でバイオショックと同じような感動をおぼえた体験について自分なりに掘り下げてみました。
ちなみに筆者はまだメタファークリアしてません。これから最終日に入るというあたりです。クリアしたり気が変わったりしたら追記・修正するかも。→クリアしました
この記事には「メタファー:リファンタジオ」、「バイオショック」の重大なネタバレが含まれます。
これらをプレイしたことがない方は、
"恐縮ですが"プレイしてから読んでいただくか、読んだ後プレイするまでに内容を忘れていただくようお願いします…
(バイオショックはFPS形式のRPGですが、デスペナルティ実質無しなど結構難易度低いと思うのでぜひプレイしていただきたいです…)
※各人がRPGと聞いて想像するものは色々あると思いますがここでは次のように広く定義させてください:『何かになりきってプレイするゲーム全般』
※今回は、ストーリーのとある仕組み一点についてのみ書きたいと思いますので、ゲーム性とかストーリーそのものの話はほとんどしません。優劣についても書くつもりはありません。そもそも年代離れすぎだし。。。
・・・前置き終わり
1. 『メタファー』を遊んで思ったこと
『メタファー:リファンタジオ』(以下、『メタファー』)は、2024年にアトラス(ATLUS)から発売されたファンタジーRPG。
現代を舞台にしたRPGが特徴的なアトラスからは異例ともいえる、ファンタジー世界を舞台にしたRPGで、プロジェクトの立ち上げからアトラスなりにRPGを再定義するという気概を個人的に感じていた。ん?アトラスのファンタジーRPG??…あ、世界樹の新作待ってます(はあと)
体験したこと
ゲームは、主人公が幼なじみである王子の死の呪いを解くという特命を受けるところからスタートする。
その特命を進める過程で、志をともにする仲間や支持者を見つけ、世界各地を旅し、見聞を広めていく。
時には様々な不条理・不公平・不安に苛まれる人々を前に行動を起こし、主人公は世界を変える素質を磨いていく。その素質はやがて王としてのそれにも通じるほどに成長することになる。

(『メタファー』より)
・・・しかし、ゲーム後半で主人公はもともと実体がなく、つくられた存在であることが明かされる。
王子の「理想」から生まれ、偽の記憶を植え付けられていたのである。
そして、支持者との交流や世界を旅して見聞を広めるといった、主人公の行ってきた行動は、王子自身の「こうありたい」という理想に従って現れたものだということも明らかになる。
だが、不思議な声による導きと、
何より王子自身の理想を捨てない意志の力によって、
あたかもドラゴンのように『マグラで形作られた体』
が生み出され、王子の精神は新たな体を得て、
別人の少年として別の人生を歩み始めた。
少年は奇しくも、王子が健在だったならば
望んだであろう『世界を変える旅路』を辿ってゆく。
そしてその果てに、少年は全てを知り、
精神は再び肉体を取り戻し、
晴れて王子として復活を遂げることとなった。

(『メタファー』より)
このプレイヤーを欺くような体験に感銘を受けるとともに、個人的に思い出深い、あるゲームでの体験を思い出した。
それが『バイオショック』である。
2. 『バイオショック』の思い出
『バイオショック』は、2007年、2Kより発売された、FPS形式のRPG。当時のFPSとしては珍しく、1人用のゲームで、ストーリーを読み進めていくことに重点を置いている特徴がある。
体験したこと
プレイヤーは主人公ジャックを操作して、幻想的で狂気的な、荒廃した海底都市ラプチャーからの脱出を目指す。

創設者アンドリュー・ライアンによるもの。
(『バイオショック』より)
不幸な飛行機事故によってジャックはラプチャーに迷い込むが、「アトラス(偶然の一致。スペルはAtlas)」というキャラクターから運良く助けを得る。
脱出への道や荒廃したラプチャーで生き残るための方法など手取り足取り教えてもらう。いわゆる案内役である。
プレイヤーはジャックを操作してラプチャーを進み、生き残りをかけて対峙するものを倒していく。そしてやがては創設者であるライアンのもとへたどり着く・・・

いや、待て。「恐縮」…か。力のある言葉だな。聞き覚えがないか?
・・・しかし、ゲーム後半で、主人公ジャックはつくられた存在であることが明かされる。アトラスを騙っていた黒幕「フランク・フォンテイン」の野望のために偽の記憶を植え付けられていた。
ジャックはつくられた過程で、「恐縮だが(Would you kindly)」という言葉を聞くとどんなことでも実行してしまう条件付けによる洗脳を受けていた。

フォンテインの野望は、ラプチャーの創造主であるアンドリュー・ライアンを倒し、ラプチャーの支配者となること。
プレイヤーは、いや主人公ジャックは、言われるがままライアンのオフィスまで辿り着き、彼を殺す。
恐縮だ、座ってくれ、恐縮だ、立ってくれ。
走れ。止まれ! 回れ。
人は選択し、奴隷は従うということだ。
殺せ。

主人公がライアンを打ちのめすシーン。
敬意を込めて、しばしばプレイヤーへの最大の侮辱と表現される。
トドメを指示したのは皮肉にもライアン自身(皮肉というのはもちろんプレイヤーへの皮肉)。この場面ではとうとう主人公が一切の操作を受け付けなくなり、黙々とライアンを撲殺していく様を、ご丁寧にも一人称視点でねっとりと見せつけてくれる。
まるでこれまで指示に従ってゲームしてきただけのプレイヤーの無力さを嘲笑うかのように。
『バイオショック』の手法
『バイオショック』は、プレイヤーが無意識に見落としていたゲーム的な行動・案内役の言われるままにゲームを進めていくことに、ストーリー的に重要な意味を持たせた画期的な仕掛けを採用していた。つまり、
プレイヤーが主人公という役になりきり、ゲーム的ナビゲーションを頼りにラプチャーを探索していた
のではなく、
フォンテインの野望が主人公という器を生み出し、洗脳する。つまりゲーム的な誘導に素直に従ってしまうプレイヤーを憑依させる。その上で野望に従った行動をとるよう誘導されていた、
フォンテインが主人公とプレイヤーを操っていた
と言うことができる。
プレイヤーが「ゲームだから」と無意識に受け入れていた行動を、ゲーム自体がその物語の中で逆手に取り、プレイヤー自身に選択と従属・自由意志などについて考えさせてくれる。
こういったストーリーの展開方法によって、たかがゲーム・たかが架空の物語ではなく、開発スタッフを含めた意味でのゲームそのものと生身のプレイヤーとの対話的体験を強く印象付けてくれた。
3. 『バイオショック』を経て『メタファー』に立ち返る
手法を当てはめてみる
して、『メタファー』に立ち返ってみると、同じような言い方を当てはめることができると思われた。つまり、『メタファー』では
プレイヤーが主人公という役になりきってユークロニアを冒険していた
のではなく、
王子の意思が主人公という器を生み出し、理想を託す。つまりゲーム的な誘導に従ってでも世界を冒険し堪能したいプレイヤーを憑依させる。その上で王子の理想に従った行動をとるよう誘導されていた、
理想を求める王子の意思が主人公とプレイヤーを操っていた
と筆者には考えることができた。

では主人公は、プレイヤーは何もない存在だったのか?
我々が歩んできた冒険には意味や価値はなかったのだろうか?
両作品の違い
・・・ここで、ちょっといじわるに聞こえるかもしれないが、わざと当てはめるようにして表現してみた。
筆者もだが、実際、『メタファー』をプレイして『バイオショック 』のようにゲームに騙され誘導されていたことを問題提起や注意喚起と言った挑戦的意味合いに受け取るプレイヤーはそんなにいないと思う。
※本記事では「手法の類似性」を指摘したいのであって、その手法でプレイヤーが感じるメッセージや効果は異なってくるというだけのことであるから、受け取り方に違いを感じるのは当然のことと言える。
違いを感じる理由もわりと明白で、両ゲームの考察として上述に挙げたことを再度提示できるだろう。
バイオショック:野望が主人公という器を生み出し、洗脳という「騙し」でプレイヤーを誘導していた
メタファー:理想が主人公という器を生み出し、その理想を託すという「騙し」でプレイヤーを誘導していた
つまり、主人公という器をつくった創造主の意思がプレイヤーの意思と近いか遠いかの違いである。
それは種明かしの瞬間の、ゲームからプレイヤーへ送られる審判(リアクション)という形でも現れてきていると思う。
バイオショック:主人公とプレイヤーを切り離すことで、無意識のうちになされてきたこれまでのRPG体験を打ち破り、主人公のアイデンティティを一旦崩壊させる。
そして、逆説的に選択と従属の境界は何か、何かになり切るとはどういうことか、などをプレイヤーに問う。
ジャックは創造主であるフォンテインと決別し自分の本当の「ロール」を取り戻す。メタファー:主人公とプレイヤーを切り離すことで、これまでのRPG体験からプレイヤー自らが得た学びや経験を見つめ直させる。
そして、無意識のうちに醸成されていた理想像と王子の理想像との類似性を指摘し、思い描いた何かになり切るRPGの面白さや価値を訴求する。
主人公は王子と一体となる覚悟をもって「プリンス」の英雄像を獲得する。

共通の手法をもつ『メタファー』と『バイオショック』が
異なるメッセージを持つという決定的な場面。
『バイオショック』と対比するならば、
プレイヤーへの最大の称賛といえるかもしれない。

主人公と王子は一つになり、新たに歩みを進めていく。
『貴方』が夢見た理想郷のために。
この『貴方』とは必ずしも主人公のことだけでなく、
ここまでプレイしてきた『貴方』自身なのではないか。
「プレイヤーを一度主人公から切り離す」こと
つまるところ、この「プレイヤーと主人公を一度切り離す」手法によってプレイヤーに訴えかけるテーマはゲームごとにさまざまあって、プレイヤーの側からの「気付き」を促すことができること、
例えば:
何かを演じるとは、RPGとはどういうことか
RPGが持つ力とは何か
RPGはなぜ面白いのか
といったことを考えさせる効果が強いと思った。
(その問いや気づきに対する回答はプレイした個々人で出すべきであろう)

プレイヤーが主人公を操作していると思わせておきながら実際はゲームに操作されていたという①の矢印があることで、
「ゲームがプレイヤーを誘導している」という②の矢印の存在にプレイヤー自ら気付かせ、
ゲームの魅力やメッセージを自ら考えさせる③の矢印を太くしていくイメージ。
しかしながら、①の内容がだいぶ違うので受ける印象や③の矢印の内容も異なるものになっている。
4. 結論 / RPGの力
『メタファー』と『バイオショック』は、世界観も雰囲気も、ストーリーの方向性も似ても似つかない。
しかし、プレイヤーを主人公から切り離してストーリーに組み込むという共通の手法を使うことで、ゲームの持つ魅力やメッセージの説得力を高めているように思えた。
ストーリーと生身のプレイヤーを直接対面させる体験を与えることで、効果的にプレイヤーのナラティブに訴えかけていると思う。

幻想=RPGゲームと捉えると・・・
このような手法をとった作品にまた触れることができて、RPGが単なる娯楽ではなく、プレイヤーと双方向に感情やテーマを共有できる「力」を持っていることを再認識できた。
これが筆者が『メタファー』を遊んでいて『バイオショック』の体験を想起し、また喜びを感じた理由だと考えている。
俺がお前を創造したのだ!
俺がお前を光へと導いたのだ。
俺が呼び戻し、お前が何者かを教え、
能力をも引き出してやったのだ!
お前が現実だと思っていた過去でさえ俺が作り上げ
脳裏に刷り込んだのだ、家族というものを!
それを家族と呼ばぬのであれば、家族とはなんだ?


