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《超適当雑記133》2025年8月22日(金)【どうせ死ぬのに何で生きるの?/娘から問われた死生観の原題】

〚4866文字〛
こんにちわ。入谷です。
まず感謝ご報告についてお伝えします。前回までの記事について、マガジンにてご紹介していただいた方々へお礼申し上げたいと思います。


■感謝とご報告〚477文字〛

momoさま

メルト&クリエイトさま

りこ@一生養生さま

ペリンさま

より、以下の記事、

について、
マガジンへ追加していただきました。
持病に関する取り留めもない記事ですが、取り上げてくださり、いつも感謝しております。皆様の気持ちがとても励みになっております。どうもありがとうございます!。気分を盛り上げ、何か自分が人様に還元できるものはないかと模索し、発信する意欲も高まってきました。
今後とも宜しくお願い申し上げます!。

※ ※ ※ ※ ※

りこ@一生養生さま

からは、こちらの記事、

について、
マガジンに追加していただきました。
りこ@一生養生さまにはいつも複数記事を同時に取り上げていただき、誠に有難く思っております。大変感謝しております。どうぞ、今後とも宜しくお願い申し上げます。

※ ※ ※ ※ ※

ビスマス/トビイロ日記さま

元しもちゃんs'noteさま
harukaさま

からは、こちらの記事、

について、
マガジンに追加していただきました。
今回幾つかの記事取り上げてくださり、ありがとうございます!。大変感謝です。どうぞ、今後とも宜しくお願い申し上げます

※ ※ ※ ※ ※

■どうせ死ぬのに何で生きるの?/娘から問われた死生観の原題〚4220文字〛

・長女から問われた死生観の原題・

「どうせ死んじゃうのに何で人間って頑張って生きなきゃいけないの?」

非常事態宣言中のコロナ渦の自粛期間、存外スムーズにテレワークへの移行が完了し、暇を持て余して家族との時間を過ごしていた時でした。食事後の皿洗いをする隣で長女がポロリと呟いたのです。

長女はその時小学5年生、僕は何と答えようか迷いました。

1、生きているのではなく、奇跡的に生かされているだけだ
  (これでは伝わらない)
2、生きられない人もいるから、頑張って生きなきゃダメなんだ
  (間違っていないが、納得できない人もいる)
3、いや、人間そういうもんなんだよ、生まれたら生きなきゃならない
  (答えになってない)
4、それを見つけるために生きるんだよ!
   (少年誌みたいで変だな)
5、仏教的には生きることは苦であり、徹底的な自己観察をしながら生命を全うすることが悟りに繋が
  るから
  (ますます混乱するだろう)
6、魂の修行、いろんな物事に触れながら生きる中で経験値を高めるため    
  (魂の修行と経験値から説明しなければならない)
7、哲学者には様々な死生観の見方があって、まずパスカルは・・
   (子供は果たしてパンセの話を聞きたいだろうか)
8、自分の夢や目標のため、人生を楽しむため
  (分かりやすいが、夢や目標がのために頑張り、楽しいことをしても一時しのぎに過ぎない)
  (もっともそれがパスカルの著書『パンセ』の気晴らし論なのであるが)

困った僕は第9の選択肢として、「〇〇はどうしてだと思う?」と、質問を質問で返すことにしました。

すると長女は、少し考えた後で、
「分かんないけど、生きたくても死んじゃう人がいるから・・
「事故や病気で死ぬ人もいるから」

まさにですが、長女が何故そう答えたのかと言うと、元妻である母親の影響であると真っ先に考えました。

・元妻(母親)・

元妻は普段は明るく豪放磊落なのですが、時にシビアな人の生き死にについて子供らの前で語ることがあります。彼女は医療系の専門学校を卒業後、救急外来や手術室の看護師として命の現場で働いてきた人だからです。

その経験から、生きたくても死んでしまった人死のうとして死んでしまった人、ある時突然死ななくてはならなかった人多く見て来たからこそ、母親として、医療に携わる者としてそう答えたのでしょう。

元妻は看護師という職業柄、日々リアルな光景を見ているからか、自分の感情は死んでいて、死生観というものが冷徹になり、人情的なものが鈍ってしまった、と、以前打ち明けられたことがありました。
事故で死ぬことも、病気になることも考えたって仕方ないこと。そう割り切らないとやっていられないとのこと。
という理由で、この手の子供の質問には自分に丸投げされていました。

特に5年前のコロナ渦では家に帰れず寮で寝泊まりしながら、毎日重篤な救急患者が運ばれて来る、地獄のような現場休みなく働いていたこともあり、当時仕事を続けるか否かについて相当悩んでおりました。

余談ではありますが、彼女は今も看護師を続けており、僕が元妻の不倫や相手の男性を最終的に許せてしまったのは、社会貢献のために命を削って時間を捧げた尊い人間たちだったからです。
僕は結局家族と持病と自分の仕事を心配をしながら家でテレワークをしているだけの人間だったので、
地獄と形容される現場で働いた人間の感じた生きることの切なさや、どうしようもない現状持って行き場のない感情を察するに、口出しする権利はないと思っていました。

・長女の性格/長女の学校生活・

長女は小さい頃から線が細い子で、臆病心配性と言うか、傷付きやすいと言うか、人の言動を真正面から受け止めてしまい、学校でクラスメイトと何かあると塞ぎ込んでしまうところがありました。

長期休みが開けると一旦引き篭もり状態になり、やがて行くのですが、
コロナの流行後は、医療従事者への差別に対する心配から、しばらく学校へ行きたがりませんでした。
僕も義理の両親も、クラスでそう言う子がいたら言いなさい、と、窘めたのですが、「おかしな争いになるから」と嫌がるのです。
確かにそうかもしれません。

長女は同級生から友人関係に関することで誤解され、喧嘩したまま、一斉休校期間に入ってしまったため、より深刻に思い込んでいたようでした。

(実際にはそうではありませんが)子供にとって学校は社会のすべてであるように思います。なので、学校でうまくいかないと、全部ダメだと思い込んでしまう日があるのでしょう。僕も小学生の時にはそうだと感じていました。

・寄り添って傾聴する・

その日、家事を終えた後で、長女と生きることや死ぬことについて話し合いました。
こういう話は同居するお義母さんが嫌がるので、2人でロフトに上がってフェイスマスクをしながら話したのを覚えております。

長女が話したいことを只管聞くところから始め、その吐露された会話の要点を繋ぎ合わせると、彼女の中には自分でもよく分からない恐怖心があり、それがコロナによって増長されてしまっていたようです。

加えて、彼女にとって『頑張ること』周囲の軋轢に我慢して耐えることであり、
苦しい我慢を続けても、連日テレビで報道される死亡者数を見るにつけ、(コロナでなくても)『いつか人間は死んでしまう』のに『生きならなければならないの?』という、社会的な圧に違和感を持っている、ということでした。

そこには、生きることへの根源的な恐怖があると思われ、恐怖の正体分からないことが分からない状態であり、それを考えていかなければいけないと提案したところで、
子供だった彼女は全てを吐き出して満足したのか、安堵していたので、そこで話を終わりにしてしまいました。

・一緒に考える・  

小学5年生の10歳の長女には生き死にの話は早かったと思いました。

そして現在、再び暮らすことになった長女は高校生になりました。
以前と比べると明るくなり、元気に学校に行ってくれていることによかったと思うばかりですが、
やはり心には、根本的な生きることに対する恐怖心があるようで、ごくたまに塞ぎ込む時があります。その原因は離婚であったのかと思えば思うほど申し訳なく思うですが、
せめてものを罪滅ぼしとして、
彼女が希望すれば、いくらでも話を聞くという約束をしています。

最近長女から5年前の死生観の話を覚えているか?、と、たずねられました。
長女は今も『どうせ死んじゃうのに何で人間って頑張って生きなきゃいけないの』という疑問をずっと抱いているとのこと。それは小学生の時の靄掛かったものでなく、『人生は楽しいことより辛いことばかり』で『何のために生きるのか』という実存的思考を伴い、より輪郭を濃くしたリアルな疑問になっているのだそう。

それで、まだ、父親である自分の考えを聞いていなかったから聞かせて欲しいとのことでした。

もしかしたら、僕の病気が関係している部分も多少あったのでしょう。

それで、今なら考えを話しても内容が分かるだろうと思い、自分の死生観についての持論を打ち明けることにしました。

・答えの出し方・

『何のために生きるのか』
『どうせ死んじゃうのに何で人間って頑張って生きなきゃいけないの』

これらには明確な答えがないのは周知のことですが、答えがないと辿り着くまでの道のりは自分で歩まなければなりません。
基本的に何事も人生を通して考え抜いて自分で答えを出すことなのです。
宗教的な悟りが答えと思ったならそれでも良いし、社会貢献のため、家族のため、自分の楽しみのためでも、生きる理由に対する答えは自分で出したものなら何でも良いのです。 (もちろんモラルや公序良俗に反することはいけないと伝えなければなりません)。
答えが見つからず、目の前にあることを淡々とこなしながら日々些細な楽しみを見つけて死ぬまで生きる、と思ったなら、それが答えであっても良いのです。

親ができるのは、これまでの人生で得た知識道徳的規範を教えることくらいです。
それを押し付けるのは以ての外ですが、
死生観であるなら、
せいぜい親がやれることは、思いつく限りの人情的、哲学的、宗教的な(1から8の)答えと思しきものを並べて説明し、 
自分らはこう考えているが、それは一つの知識として留めてもらい、
子供自身がこれから生きていく中で、時代の流れや価値観、自らの経験により、自分なりの答えを導き出すことが人生だと伝えることくらいです。

なぜなら親は子供よりも20年、30年遅れているし、日々進歩していく現代社会の様々な変容に適応吸収する能力は、子供の方が極めて高いからです。

・自分の死生観・

『何のために生きるのか』
『どうせ死んじゃうのに何で人間って頑張って生きなきゃいけないの』
に、対する自分の答えは、知るために生かされている、に尽きます。
もっと強い言葉で言えば、これでもか、これでもかと思い知らされるために生かされている、ということです。 

それは日頃の仕事や勉強、趣味や娯楽、人間関係を通じて何かを知ることもそうだし、
僕のように持病があれば、その時その時どのような気持ち感情に至ったかということを知ることでもあるのです。

経験から学ぶと言うと僕は何か少し違うように思うのです。
なぜなら人間は一度や二度経験したくらいで学ぶということができるかと言うときっとそうではありません。
何度も同じ失敗をするし、同じ失敗をするのは同じ思考パターンを持っているからで、気付かぬまま繰り返しているのです。
そのループから脱却することが学びであるとするなら、結局、出来事や体験を通して知ることの連続が人生の意味であり、分かるまで思い知らされることが、頑張って生きる理由 なのです。

しかしそれは決してネガティブな意味ばかりではありません
知ること。知ってゆくこと。
恐怖は誰にでもあるけど、恐怖の根本原因は知らないことにあると思うのです。
なので好奇心を持って様々なことを知ることは、恐怖心を克服することに繋がるとも言えるのです。 

・あとがき

長女にはそんなようなことを話しました。
今やAIで3秒くらいで答えが出てくるようなものを、わざわざ父親に聞いてくれることに感謝しつつ、ここまで病気をせず、健康に育ってくれたことに非常に有り難く思っております。

ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そして明日が皆様にとって素晴らしい1日になりますように。

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