《超適当雑記147》2025年10月31日(金)【良い時も悪い時も人生を楽しみたい〜心の視点を変えること】
〚2367文字〛
こんばんわ。入谷です。
まず感謝とご報告についてお伝えします。前回までの記事について、マガジンにてご紹介していただいた方々へお礼申し上げたいと思います。
■感謝とご報告〚284文字〛
明日見健作 青春の旅 さま
ももさま
ペリン🍡さま
メルト&クリエイトさま
コツコツさま
Sunao🪷自分爆開花の魔法✧︎*。さま
YOR(ヨル)さま
より、名の方から、以下の記事、
について、
マガジンへ追加していただきました。
また、いつも取り上げてくださり、感謝しております。皆様のご好意がとても励みになっています。どうもありがとうございます。
今後とも宜しくお願いしたします。
※ ※ ※ ※ ※
りこ@一生養生さま
からは、こちらの記事、
について、
マガジンに追加していただきました。
いつも取り上げてくださり、ありがとうございます。大変感謝です。どうぞ、今後とも宜しくお願い申し上げます。
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■良い時も悪い時も人生を楽しみたい〜心の視点を変えること〜〚1835文字〛
これは確か生命保険のCMに登場した、
がんの闘病経験者の方が話していたフレーズだと思います。
好きな言葉のなので、
もしかしたら、もうすでに記事のどこかで語っているかもしれません。
その言葉が刺さりすぎて、
保険の商品内容よりそちらが気になり、
人生の真髄はそこに詰まっているんだなと勝手に感じました。
そしてこれが、人生を最後まで余すところなく、実りあるものにするための、重要なエッセンスであると感動さえ覚えたものです。
その方は非常にお若い方で、10代の時にがんを発症し、20代以降は積極的に人生を過ごす中で辿り着いた、ご自身の人生訓に違いないのですが、
これって誰の人生にとっても参考になる言葉だと思いました。
良い時も悪い時も人生を楽しみたい。
それって、最悪と思える時を受け入れているからこそ出てきた言葉。
その途中には、恐怖や不安と戦っているわけですが、足掻いて足掻いて苦しんだからこそ、ようやく到達した境地。
きっと鹿威しのように、
苦しみ抜いた者には心の視点が切り替わるスイッチが押されるようなシステムに出来ていて、答えというものが、今まで見えなかった所に用意されているような気がするのです。
悪い時は全てが絶望的な気持ちになります。
病気が理由でなくても、人は苦難にぶち当たった時、
どうしてこうなったのか、
何故自分だけが、
なんて自分は不幸なんだろう、と考えて自らを責める時があるでしょう。
病気であればなおさら、そうしたネガティブな考えに襲われることはきっと多いでしょう。そうすると、視野が狭まり、分厚く覆われた壁の小さな穴から世界を見ているような気分になります。
苦しみや困難に足掻くことは、そんな壁穴を少しずつ圧し広げ、最終的に目の前を塞いでいたものを打ち壊してくれるのでしょう。
すると今まで壁で見えなかった場所に、
金銀財宝の入った宝箱があることに気付かされます。
宝箱を開けた瞬間、輝く黄金色の光が辺りを照らし、それを手にすると、その人は光となるのでしょう。
僕も数々の持病を抱えていて、人生に不遇な瞬間がたくさんあったものですが、まだまだ苦しみが足りないと思うのです。
ただ嘆くだけの時間の方が多くて、目の前の壁と向き合うことも忘れ、この宝箱を開けることがなかなかできないでいます。
今もまだ、壁穴の端に何かあるような感覚が分かってきた程度ですが、いつかはその答えという宝を手にする日が来るのでしょう。
では、先程から言っている、
悪い時期に人生を楽しむとはどういうことなのでしょうか。
考えてみました。
場合によっては難しい時もあるでしょう。
しかし難しい状況であればあるほど、それを発見した時の喜びは大きいものに違いありません。
真っ先に思い浮かんだのは、RPGの縛りゲーム。ここで言う縛りとは、ゲームを進める上で条件を厳しく設定すること、
または、少ない装備品だけでプレイすることを指します。
つまり難易度の高い状況を用意して、その中で楽しむというゲームのプレイ方法です。
この条件付きのゲームクリアが宝箱を手にすることであるなら、プレイを進める中で創意工夫することは、心の視点を変えることなのだと思います。
何度も私事で恐縮ですが、
片目の視力に難があり、複数の内科疾患を抱え、仕事でも第一線を退き、少し動くとすぐに調子が悪くなってしまうという縛りゲームの中で、どう楽しむかと考えた時、今あるものや、できることを探すでしょう。
顧みる時間を日課に取り入れたり、家族との時間を最優先したりするのかもしれません。
宗教やスピリチュアル、生物学、誰かの哲学さえ取り入れて、そのゲームのクリア後のことまで考えるのかもしれません。
治療の痛みや恐怖や不安の中に、今まで感じることのなかった生を実感することがあるかもしれません。
制限された生活の中で、束の間の自由や、食事という愛しい時間を一口一口噛み締めることができたら、感謝するのかもしれません。
朝の木々にさえずる鳥を見て感動することもあったりするのかも。
以前と比べて歩みが遅くなったからこそ、普段目にも止めない短い距離の中に、細部を観察しようとする気持ちが生まれます。
公園の東屋に腰を下ろせば、ふと、ここには今までどれだけの人が来ていたのだろうとか、どんな思いでこのベンチに座っていたのか、とか、
若者の相合傘の薄れた落書きにさえ、自身の青春を重ね合わせることがあるかもしれない。
そして、敷石と芝生の合間から、名も知らぬ草花たちが力強く伸びていることに気付いて、元気をもらうのかもしれません。
そうした一つ一つの発見が、もし仮に楽しみだと感じることができたら、それほどの強みはないと思うのです。
ここまでお読んでいただき、誠にありがとうございます。
それでは、皆様の今日と明日が素晴らしきものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
