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AI時代の看護管理者に求められる力

この記事は、冊子『AI時代の「学習する看護組織」〜おしゃべりがマネジメントを変える〜』(2026年5月発行)の内容を投稿記事の形にしたものです。


1. 「おしゃべり」を解きほぐす

ここまで、この冊子では「おしゃべりでいい」と繰り返してきました。ここで改めて、その「おしゃべり」という言葉に込めた意味を、もう少し丁寧に解きほぐしてみたいと思います。

おしゃべりには、会話的な側面があります。「わかるわかる」と共感してもらえる。気楽に話せる。安心感がある。休憩室で愚痴を言い合うような、あの温かさです。第1章で述べたように、ケアワークの現場を支えてきたのは、まさにこうした場の力でした。

同時に、おしゃべりには対話的な側面もあります。「それってどういうこと?」と尋ねられて、自分でも曖昧だったことが具体的な言葉になる。「私はちょっと違う気がする」と言われて、一方向だった見方に別の角度が加わる。他者の関心や疑問が、語りの質を変えるのです。

既刊テキストでは、「対話は日常的なおしゃべりとは異なる」と述べてきました。ただ、実際のおしゃべりの中では、会話的なやりとりと対話的なやりとりが自然に混ざり合っています。共感から始まった話が、いつの間にか深い問いかけに変わっていることもある。その境界は曖昧で、当事者たちも意識していないことが多いでしょう。

そして、ここが重要な点ですが、会話的なものと対話的なものが混在した状態でも、AIはそこから構造を見出すことができます。AIにとって大事なのは、そこに率直な思いや具体的な気づきが言葉になって含まれているかどうかです。整った対話である必要はありません。

だからこそ「おしゃべりでいい」のです。ただし、おしゃべりの質を高めるものがあるとすれば、それは対話的な姿勢、すなわち、相手の話を「わかるわかる」で終わらせず、「もっと知りたい」と思って聴くことではないかと思います。

2. 「緩さ」と「遊び」ー厳しさの放棄ではなく

こう聞くと、「そんなに気楽でいいのだろうか」と不安に感じる方もいるかもしれません。管理者として真剣に向き合うべき仕事を、おしゃべりで済ませてしまっていいのかと。

もちろんこれは「適当でいい」という意味ではありません。第1章で述べたように、「ちゃんとしなきゃ」の呪縛の中で借り物の言葉を並べてしまうよりも、肩の力を抜いて自分の言葉で語るほうが、結果としてはるかに誠実な計画が生まれるということです。

仲間と語り、AIに組み立てを任せることで、むしろ計画の質は上がります。一人で頭を抱えていたときには見えなかった構造が見え、「本当にこれで実行できるのか」を具体的に検討できるようになるからです。

厳しく見える看護部長も、「それらしく」整えた計画を求めているわけではないと思います。本当の問題意識と、本当に到達できそうな具体的な一歩を聞きたいのです。おしゃべりから生まれ、AIが構造化した計画を持っていったとき、部長との対話はきっと変わります。借り物の言葉ではなく、あなた自身の観察と判断から生まれた計画だからです。

これは、既刊テキストで述べてきた、「看護管理には『緩さ』と『遊び』が必要ではないか」ということとも関連しています。「こうあらねばならない」という思い込みから解放され、遊び心をもって「こんな看護がしたい」と考えることができる。意識的に肩の力を抜き、互いに弱みを見せ合いながら学び合っていく。そういった姿勢を体現するものの一つが「おしゃべり」なのです。

3. 見る力、感じる力、語る力

では、そんな時代に看護管理者にはどんな力が求められるのでしょうか。

私たちは、文部科学省委託事業の中で「看護管理者の継続学習指針」を策定し、看護管理者の問題解決能力を支える基盤として、「論理的思考」「対話的であること」「リフレクティブであること」の三つの学習領域を挙げてきました。AI時代になって、この三つの関係が少し変わりつつあると感じています。

対話的であること。これは変わらず、あるいは今まで以上に大切です。既に述べたように、おしゃべりの中に対話的な姿勢が加わることで、語りの具体性が増し、AIに渡す情報の質が上がります。

リフレクティブであること。これも変わりません。「自分のやり方はこれでよかったのだろうか」「もっとよくできたのではないか」と自分自身を問い直す姿勢は、AIには代替できない、人間の核心的な営みです。そしてリフレクティブネスは一人では発揮しにくい。自分の関わり方を相対化するには、他者の視点が必要です。だからこそ、おしゃべりの場が大切なのです。

一方で、論理的思考については少し変化しそうです。継続学習指針の中で、論理的思考とは「現場で起きたことを適切に言語化し、筋道を立てて伝える力」だとお伝えしてきました。この力の重要性は変わりませんが、そこに含まれていた「情報を構造化し、整った言葉で組み立てる」という部分は、AIがかなり支援できるようになりました。

もちろん、AIの出力したものが適切かどうかを判断する力は必要です。しかし、ゼロから自分で構造化し、文章として整えるという負荷は、大きく軽減されつつあります。

そのとき、人間にしかできないこととして残るのは、「現場で起きていることをよく観察し、具体を語る」ことなのではないでしょうか。

管理者は誰しも、自分の中に「こうありたい」「こうあってほしくない」という感覚を持っています。明確な言葉にはなっていないかもしれません。それは、はっきりと描かれた「あるべき姿」というよりも、もやもやとした価値観の集まりに近いものでしょう。どんな看護がしたいか。患者さんにどうあってほしいか。スタッフにどんな思いをさせたくないか。そうした感覚の集合が、いわば「管理観」とも呼べるものであり、その人の美学とも言えます。

この管理観と、目の前の現場を照らし合わせたとき、「何かが違う」「ここをもっとこうしたい」という気づきが生まれます。現場をよく観察してその差に気づく力、そして気づいたことを具体的に言葉にする力——これが、AI時代の看護管理者にとって最も大切な力ではないかと考えています。

そしてこの力は、実は皆さんが看護職として培ってきた力そのものです。患者さんの表情の変化に気づく。言葉にならない不安を察知する。「なんとなくいつもと違う」という直感を信じる。看護職が本来持っているその観察力と感受性を、マネジメントの文脈でも発揮すればいい。おしゃべりマネジメントとは、その力を解放するための仕組みなのです。

綺麗に整った言葉で語る必要はありません。「何となく気になる」「ここが引っかかる」「本当はこうしたいんだけど」——そうした生の言葉をたくさん出してくれれば、AIはそこから構造を見出し、整理してくれます。そしておしゃべりを重ねるうちに、自分の中の管理観そのものが、少しずつ輪郭を持ち始めるかもしれません。おしゃべりマネジメントは、計画をつくるプロセスであると同時に、自分自身の管理観を明らかにしていくプロセスにもなっていくでしょう。

ここまで述べてきたことを、一枚の図にまとめてみました(下図)。中心にあるのは、管理者自身の管理観・看護観と、それを問い直し続ける姿勢です。その内面を持って現場に向き合い、気づいたことを具体的に語る。語りをチームで重ね合い、AIが構造化を支援する。内側から外側に向かって広がっていくこの関係が、AI時代の看護管理者に求められるものの全体像ではないかと考えています。

この図は、現時点ではまだ仮説です。今後、実践の中で検証し、更新していくつもりです。


看護管理者の継続学習指針(第2版)


AI時代の看護管理者に求められるもの(仮説)

※これは現時点での仮説であり、今後の実践の中で検証・更新していくものです。


4. 「AIを使いこなそう」と思わなくていい

最後にもう一つお伝えしておきたいことがあります。AI時代の看護管理者に求められるのは、AIを「使いこなす」力ではありません。ここまで述べてきた、「見る力、感じる力、語る力」です。

「AIを活用しましょう」と聞くと、多くの方が「また新しいことを覚えなければならないのか」と身構えるのではないでしょうか。「プロンプトの書き方を学ばなければ」「適切な指示の出し方を身につけなければ」——そう思った瞬間に、第1章で述べた「ちゃんとしなきゃ」の呪縛が、形を変えてまた降りかかってきます。「正しく伝えなきゃ」と思った瞬間に、一番大事な部分が消えてしまう。これは目標管理シートの前で起こることと同じ罠です。

しかし、この冊子で述べてきたプロセスを思い出してください。管理者に求められているのは、現場をよく見ること、感じたことを誰かと語ること、そしてAIが出してきた草案に対して「ここは違う」「これは近い」と返すことです。

AIに対して、整理された的確な指示を出す必要はありません。おしゃべりの記録をそのまま渡せばいいのです。散らかった言葉の中から、AIが構造を見つけてくれます。プロンプトの設計やAIの操作は、それが得意な人に任せましょう。私たちも、そのための仕組みを用意していくつもりです。皆さんに求められるのは、AIの使い方を覚えることではなく、皆さんが持っている力、すなわち「見る力、感じる力、語る力」をもっと活かすことなのです。

あなたが頭の中で考えているだけでは、AIは動けません。でも、おしゃべりさえしてくれれば、AIは働けます。だからこそ私たちは、この冊子のタイトルに「おしゃべり」という言葉を選びました。AI時代だからこそ、AIを使いこなさなくていい。その代わり、おしゃべりしてほしい。それが、「おしゃべりがマネジメントを変える」に込めた意味です。

そしてAIに構造化を任せた分だけ、皆さんは現場にいる時間を確保できるようになります。

物流業界には「ラストワンマイル」という言葉があります。どんなにシステム化が進んでも、配送拠点から玄関先までの最後の部分は人が運ぶしかないという意味です。医療も同じで、一人ひとりの話を聴き、身体に触れ、ケアをするという、一番患者さんに近いところの仕事は人間にしかできません。看護管理においても、スタッフの表情を読み、チームの空気を感じ、「本当はどうしたいの?」と聴く——その「ラストワンメートル」は、AIには担えません。

構造化や整理にかけていた時間とエネルギーを、AIが引き受けてくれるようになる。その分だけ、皆さんは「ラストワンメートル」に身を置くことができるようになります。人間が触れ合い、関わり合う場所にできるだけ長くいて、そこで得たものをおしゃべりし、AIに渡す。そういうサイクルを回していただくことで、看護管理はよりいきいきとしたものになっていくのではないかと思います。

column
看護教育への応用ー「気づき」から学ぶ領域における汎用性

この冊子で述べてきた「おしゃべりから始めて、AIが組み立てる」という構造は、看護管理だけのものではありません。「現場で感じた気づきを、専門的な形式に落とし込む」ことが求められるあらゆる場面に応用できるのではないかと考えています。

看護学生の実習記録を思い出してください。学生たちは、患者さんのベッドサイドで多くのことを感じています。表情の変化、声のトーン、家族との関係、ケアへの反応。しかし、それを「看護記録」という形式に変換しようとした瞬間、同じことが起きます。「アセスメントの枠組みに合わせなきゃ」「看護診断の用語を使わなきゃ」——気にしなければならないことが増えるほど、ベッドサイドで感じた生きた気づきは消えていきます。

ある研修で、ペアを組んで受け持ち患者さんのことを口頭で報告し合ってもらいました。普通のおしゃべりです。それを録音して文字に起こし、AIに投げてみました。出てきたものは、学生が2時間かけて書く実習記録よりも、はるかに具体的で、文脈が豊かで、患者さんの個別性が捉えられたアセスメントでした。(なお、この実験では患者情報の匿名化処理を行ったうえでAIに投入しています。)

もちろん、看護記録の形式を学ぶこと自体には意味があります。専門職として共通言語を持つことは不可欠です。しかし、形式の習得と観察力の発揮を同時に求めることの認知的負荷は、もっと真剣に考えられるべきではないでしょうか。

まず観察し、感じ、語る。そこから専門的な形式への「組み立て」はAIが手伝う。学生は、AIが作った草案を見て、「ここは違う」「これは自分が言いたかったことに近い」と判断する。その判断の繰り返しの中で、形式と中身が自然に結びついていく。そんな学び方が可能になりつつあるのだと思います。

そしてもう一つ、おしゃべりの中で育まれるものがあります。それは看護観です。

第4章で「管理観」について述べましたが、看護学生にとっての「看護観」も同じ構造を持っています。「自分はどんな看護がしたいのか」「患者さんにどうあってほしいのか」——その答えは、教科書を読んで身につくものではありません。はっきりした輪郭を持った「あるべき姿」として最初から存在しているわけでもない。経験を重ねるなかで少しずつ形になっていくものです。

実習の中で感じたことを誰かと語り合うことで、「あの時こうすればよかった」「こういうケアがしたかった」という言葉が出てくる。それをAIに渡すと、散らかった語りの中から、その学生が大切にしているものの輪郭が浮かび上がってくる。おしゃべりは、計画や記録をつくるプロセスであると同時に、自分がどんな看護を大切にしたいのか、その輪郭が少しずつ見えてくる体験になるかもしれません。

なお、現時点では、患者情報を直接扱う臨床場面でのAI活用にはセキュリティや倫理の面で慎重な検討が必要です。そのためこの冊子では、まず管理や教育の文脈から使い始めることを提案しています。そこでの経験と知見を積み重ねたうえで、臨床場面への展開を考えていくのが現実的だと考えます。