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2.母に捧ぐ

私の脳内おかたづけを書いていくのに、どうしても欠かせない話題があります。それが、母親との関係

私の学びの原点は、母親との関係にあると思っています。そして、「愛」「愛情」の違いについて考えさせられることにもなりました。

ここでは、愛と愛情の違いの観点から、母に対する私の思いと、かつて母に対して気づいたことを書いていきます。

今日は、具体的な内容までには踏み込んでいないので、それほど重苦しくはなっていないつもりです。


愛と愛情は違う

愛と愛情の違いについては、アイノオト∞というサイトの愛と愛情の違いセミナーのページにわかりやすい説明がありました。
抜粋しますね。


尊重、感謝、信じる、認める、許す………想いが軽い

愛情
過干渉(おせっかい)、コントロール、価値観の押し付け、親切の押売り………想いが重い

アイノオト∞>愛と愛情の違いセミナーより

更に親子の関係につての愛と愛情の違いが具体的に書かれています。


・子供の意思を尊重する
・子供が「自分のチカラでできる」と信じる
・手を貸すのが愛ではない
・親の所有物でもない
・ひとりの人間(大人と同じように)として尊敬を持って接する
・心の自由を奪わない

愛情
・子供に「あなたの為なの…」と恩着せがましい干渉する(苦笑)
・「あなたの為よ」と言いながら、実は自分のためだったりする(笑)
・世間体や見栄があったり、思い通りにさせたいだけ

アイノオト∞>愛と愛情の違いセミナーより

私自身は、愛と愛情について、こんな捉え方もしています。

愛とは、言葉にはできないような大いなるもので、ありのままを受け入れるもの。与えるけれど見返りは求めず、執着がない。根底にあるのは、信頼。
愛情とは感情のひとつで、エゴが働いている。つまり、見返りを求める気持ちや執着がある。

母からは愛と愛情を受け取った

大きな視野に立ってみた時、私が母から受け取ったものは、「愛」だと思っています。

何故なら、ここまでの何十年という私の人生で、大きな学びを得ていくそのタネをしこんでくれたのは母だからです。娘から嫌悪されるという母親としては辛い役回りを引き受け、私の人生の学びに尽くしてくれたという視点に立つと、母の深い愛に感謝せずにはいられません。
私を出産する以前の母の人生さえ、まるで私の学びのためにあったかのように思えるくらいです。

同時に私は、母から受けた愛情に、苦しんでいたのでした。

愛と愛情を受け取った私の学び

外から見ると母と私は、仲の良い親子でした。しかし、その関係性や私に対する母の願望から経験したこと、出てきた感情、それらの記憶といったものから私は苦しみを感じ続けていました。

その経験から、未熟な私は強い思い込みを自分の中に形成していったのでした。
それは、日々私が何かを評価・判断するための基準となっていきました。また、私は日々の積み重ねの中で、恐怖や不安を自分の中心に据えていきました。
つまり、私をコントロールしていたのは、圧倒的に恐怖や不安の力だったのです。

恐怖や不安は、私を守るために働いているはずなのに、結果は苦しさは増すばかり。人間関係において常に私はこころの奥で、不安や恐怖を感じ、それを解消するための言動を選択していくことになるのです。もはや、何が自分の本心なのか考えることさえ放棄していたのかもしれません。

やがて私の精神は崩壊し、着替えや洗面もままならず、1日中うつらうつらと布団の中で過ごすような日々を迎えるのでした。うつ病です。

その後私の頭の中に出てくるのは、母親に対する嫌悪感と罵詈雑言。ですが、それを本人にぶつけることはできません。なぜなら、それまでに作り上げてきた私の強い思い込みや判断基準と、私の中心にある恐怖や不安がそれをさせないから。

母親という存在は、あまりに大きい。生まれる前は子どもにとっての全宇宙。生まれてからは身近にいて慈しみ世話をして命をまもってくれる大切な存在。
誰に教わるでもなく子どもは、母親からのやわらかくあたたかいものを欲するし、愛されている存在であるとう感覚を欲します。どんな仕打ちを受けたとしても子どもは、母親のぬくもりを求めます。私も同様でした。

私が自分と向き合う作業は、母に対する思いを常に意識していく時間でもありました。同時に、母親に嫌悪感を抱く自分を責め続けていました。

私を縛りつけているように感じていた母の愛情から自分を解放し、本来の私とか本心と呼べるようなものを軸にして、自己を成長させていくことが、私の学びだったのです。

母が抱えていたもの

私が自分と向き合う過程で、母親の気持ちになりきるという体験もしました。子どもの頃から、母親のそれまでの人生については、いつも話をきかされてきましたので、難しい作業ではなかったのです。その方法は、ここでは割愛します。

それで気づいたのは、母親自身がこころのなかに抱えていたものです。

  • 大きな寂しさやみじめさ

  • これまでと今の生活に対する不満や、大変なんだという思い

  • 自分ではどうにもできない虚しさ

  • だれかにわかってほしいという思い

  • 誰かに何とかしてほしい気持ち
    などです。

そう、子どもの頃から私が抱えてきた思いと重なる部分があるのです。母も苦しかったということなんです。その救いを私に求めていたのですが、幼い私にはわかるはずもありませんでした。本人も、気付いていなかったはずです。

母に対する今の私の気持ち

母は、昨年他界しました。
その直前まで私は、自分の中に抱えていた母に対する思いと向き合っていました。ただそれはある時から、母と私という問題ではなく、あくまで私のこころのなかのことへと変化していました。
現在は、母の愛への感謝の気持ちと、愛情を嫌悪する気持ちの両方があることを、認めています。否定も自分責めもせずただ認めることで、私のこころは、かなりの落ち着きを取り戻しました。

寂しさは、ありません。それよりも、魂となった母は生きていた間の苦悩から解放され、病気や体の不自由さからもときはなたれ、軽やかに幸福感で満たされていると信じています。



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