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観察映画第10弾 想田和弘監督 映画『五香宮の猫』

☆mediopos3650(2024.11.16.)

「観察映画」なるものを撮る映画監督がいる
想田和弘である

「観察映画」はいわゆるドキュメンタリーなのだが
「観察」している映画監督も同時に存在している

量子力学では観察するという行為が
観察される現象に与える「観察者効果」があるが
それにも似ているかもしれない

しかしその「観察」という行為は
映画を観ている者にもいつのまにか影響を与えている
しかも想田監督は「「撮る」ためではな」く
「何かがそこに「映り込む」のを待ち続けている」ため
「おそらく観る人によって、この映画のどこに惹かれるか、
何が心に残るのか、まったく違」ってくる
(松村圭一郎)

映画をどのように観るのか
それによってどのような影響を受けるのか
観る人によって異なるというのは
ある意味当たり前のことなのだが

想田監督の「観察映画」には以下の「十戒」があるように

 1.事前のリサーチは行わない。
 2.打ち合わせは、原則行わない。
 3.台本は書かない。
 4.カメラは原則自分で回し、録音も自分で行う。
 5.カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
 6.撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。
 7.編集作業でも、予めテーマを設定しない。
 8.ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。
 9.観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。
 10.制作費は基本的に自社で出す。

「台本」のようなストーリーは存在せず
「観察」によってはじめてそこに浮かびあがってくる何かが
おそらく撮影のプロセスにおいて
そして最終的に想田和弘の編集によって
「映画」として成立していくことになるという性格上
映画を観る人もまた「観察者」として参加することにもなるようだ

そんな想田監督の観察映画第10弾
『五香宮の猫』が公開されはじめている

個人的にいえば想田監督の映画をはじめて観たのは
岡山在住の頃DVDで観た
観察映画第1弾『選挙』2007年/第2弾『精神』2008年で

その後観察映画第3弾『演劇1』・第4弾『演劇2』2012年を
岡山のミニシアター系の映画館「シネマ·クレール丸の内」で観て
そのさい舞台挨拶をされた想田監督の話も聞きたのを思い出す

想田監督はその後2021年に
27年間住んだニューヨークを離れ
製作担当である奥様の柏木規与子と
岡山の牛窓に移住されていることからもわかるように
岡山と深い関係をもっている

観察映画第2弾『精神』も
精神科診療所「こらーる岡山」での「観察」だった

そんな想田監督の最新映画が
松山市のミニシアター系の映画館
「シネマルナティック」でも上映され
上映初日の舞台挨拶時には出かけられなかったものの
ようやく観ることができた

『五香宮の猫』の舞台となっている牛窓や
神社の「五香宮」には岡山在住のとき何度か出かけたこともあり
そうした懐かしい場所を舞台にした「観察映画」でもある

映画の内容については
公式サイト及びプログラムから以下いくつか引いているが

映画を観た個人的な感想としては
プログラムに寄稿されている
松村圭一郎「猫と人間の普遍的な物語が映り込む」で

「小さな港町の再現しえない一回性の出来事。
ネット上を飛び交う、文脈から切り離された「情報」とは異なる、
地に足の着いた人びとの「知恵」が映り込んでいる。」
といったことが腑に落ちる

ここに映り込んでいるような「知恵」は
世の中で昨今さまざまに報道され議論(論破)されているような
排他的なありようのなかではほとんどみられないものだ

その意味でも映画『五香宮の猫』は
たとえ小さな光であったとしても
普遍性へとつながる扉を開くものでもあるだろう

■観察映画第10弾 想田和弘監督 映画『五香宮の猫』
 監督・製作・撮影・編集:想田和弘
 製作:柏木規与子 配給:東風

**(「映画『五香宮の猫』プログラム」〜THE CATS OF GOKOGU SHRINE REVIE
  松村圭一郎「猫と人間の普遍的な物語が映り込む」より)

*「静かな映画だ。瀬戸内に面した小さな港町のひとつの神社「五香宮」。その周囲に集まる猫と人間たち。新型コロナ・ウイルスによって社会全体が急速に閉塞していった時間のなかで、想田監督は、そのなにげない日々に、文字通り、晴れた日も雨の日も、朝も昼も夜も、カメラを構える。それはおそらく、「撮る」ためではない。何かがそこに「映り込む」のを待ち続けている。」

*「想田監督のカメラも、まずは猫たちを追いかける。だがその映像の端々に、神社を行き交う人々の営みや思いが映り込んでいく。それらが、世界のあらゆる場所で起きている出来事と共鳴しあい、しだいに映画に普遍性が宿りはじめる。これ以上ないほどミクロな場所に、「世界」が映り込んでいる。観ているあいだ、ずっと胸のざわめきが止まらなかったのは、たぶんそのためだ。

 猫に餌を与える人、猫の写真を撮る人。「アイドル」猫に「癒し」を求める女性、神社前の堤防で毎日のように釣りをする「年金暮らし」の男性たち。その連れた魚を狙う猫の群れ、小魚を子猫に持ち帰る母猫。撮影カメラに興味津々の小学生たち、戦争の記憶を語る高齢男性。不妊手術のために猫をとらえる住民・・・・・・。人間の世界、猫の世界、そしてその絡まり合い。ひとつの枠組みにおさまらない、多種多様なものが映り込む。おそらく観る人によって、この映画のどこに惹かれるか、何が心に残るのか、まったく違うはずだ。

 私が胸を打たれたのは、「五香宮」という公共の場所がいかに維持されているのか、そのリアルな姿だった。公共空間といえば、なんとなく国や自治体など「公(おおやけ)」の機関が維持管理するものだと思われている。だが、神社のような土地にねざした「みんなの場所」は、当然、そこでクラス一人ひとりによって守られ、維持される。ある意味、「公共性」が「私的」に守られているのだ。猫に餌をあげ、糞を始末し、怪我をした猫を介抱する。神社の掃除や草刈りをし、草花を植え、水をあげる・・・・・・。いずれも、好きな人が自分のしたいことを誰に言われるでもなく、やりつづけている。自分の「生きがい」として。

 もちろん、猫好きな人もいれば、迷惑だと思う人もいる。それぞれ違う価値観や趣味趣向をもつ「差異
にあふれた人びとが隣り合って生きる。それが社会の現実だ。その対立する利害をどう調整し、公共の場を維持していくのか。印象的なのは、猫やその愛好家を快く思わなくても、自分とは違う立場の人について、抑制的に、言葉を選びながら語る姿だ。同じ猫好きでも、意見の合わないことはある。いずれにしても。、SNS上にあふれる、相手に「正論」をぶつけ、罵倒したり、論破したりする、といった態度はみられない。

 誰もが、利害が異なるのは承知のうえで、ともに生きる作法を心得ている。「あんまり動物が好きではない」という人が、猫の不妊治療の準備をする人に「お世話になります、ご苦労さまですね」と声をかける。その慎み深い姿は、みんなな内心思っている「正論」をあからさまに言えば喝さいを浴びる、近年の状況とは対照的だ。

 隣り合って暮らすからこそ、その「差異」が絶対的な固定したものではないと気づく機会もある。たとえ猫に迷惑を感じていても、なつかれると「かわいい」と思える。まったく興味がないと思っていた草花の世話に目覚める。人間は変わりやすく、「あそび」のある存在だ。それをわかったうえで、みんな自分の思いと相手の立場をいったんカッコにくくり、向き合っている。この「自治」を可能にする基盤的なコミュニケーションは、最近、私たちがもっとも苦手になったことかもしれない。

 小さな港町の再現しえない一回性の出来事。ネット上を飛び交う、文脈から切り離された「情報」とは異なる、地に足の着いた人びとの「知恵」が映り込んでいる。」

*「文化人類学では、調査事例の「再現性」を証明するために、むやみにサンプル数を増やそうとはしない。そもそも人間の生は、再現不可能な時間の積み重なりだ。文脈をそぎ落とされた「事実」の断片をいくらかき集めても、人間の普遍性にたどり着くことはできない。小さな現場に身ひとつで入り、そこで起きるさまざまなことに目を向ける。その固有の文脈のなかにあらわれる、具体的な出来事の数々を虚心に受け止め、それまで考えてもみなかった「つながり」を見出していく。それが、「わかったつもり」になっている既知の「物語」をのりこえるためには欠かせない。

 『五香宮の猫』は、これまでの想田監督の「観察映画」のなかでも、とくにその真髄がよくわらわれている作品だ。文化人類学でも調査対象と私たちの「距離」が大きな魅力になるように、ドキュメンタリーでも、「映画にする」ために、対象のもつ「異質さ」が力になる。だがそれだけでは、既存の「差異」を確認したい欲求に応えるものになり、真の意味で自分たちの凝り固まった「常識」をのりこえることはできない。『五香宮の猫』が一貫して映し撮るのは、あくまで猫や人間たちのありふれた日常の姿だ。その世界中どこにでもありそうな、でも「固有」な営みのなかに、人間やこの世界を理解する「普遍性」への扉が開かれている。」

**(「映画『五香宮の猫』公式サイト」より)

*Introduction

・ニューヨークから小さな港町へ―

2021年、映画作家の想田和弘とプロデューサーの柏木規与子は、27年間暮らしたニューヨークを離れ、『牡蠣工場』(15)や『港町』(18)を撮ったこの牛窓に移住した。新入りの住民である夫婦の生活は、瀬戸内の海のように穏やかに凪ぎ、時に大小の波が立つ。猫好きのふたりは、地域が抱える猫の糞尿被害やTNR活動、さらには超高齢化といった現実に住民として関わっていくことになる。

・営みに目を凝らし見えてくるもの

伝統的なコミュニティとその中心にある五香宮にカメラを向ける想田は「映画監督になった理由」を問われ、「これ映画になるの?」と突っ込まれる。そんなやりとりの愛おしさ、想田流“参与観察”ならではのハプニング。小さな対立と不意に展開する幸福な偶然。四季折々の美しい自然のなか、生きとし生けるものが織りなす限りなく豊かな光景。それは愉快で厳しく、シンプルで複雑な世界の見取り図でもある。

*Commentsより

・ほしよりこ(漫画家)

のどかな晴れの国の景色と、草花と生き物を神と共に守るお年寄り、こどもたちと旅人たち。誰のものでもない猫たちが刺繍糸のようにそれぞれの関係をステッチして海辺の町の中をキルトのように繋げていく。正解がない課題でも話し合い続ける場を設けられる豊かさに小さな政治の希望と温もりを感じて心に温かい光を灯してもらえたようです。

・小川紗良(文筆家・映像作家・俳優)

共生は、容易いものではない。子どもも、大人も、住民も、旅人も、参拝者も、ドキュメンタリー作家も、それぞれの思いで境内に集い、小さな命と向き合う。そのプロセスが「猫視点」で見えてくる、肉球のようにやわらかな町の記録。

・松村圭一郎(文化人類学者)

小さな港町の再現しえない一回性の出来事。そこには、ネット上を飛び交う、文脈から切り離された「情報」とは異なる、地に足の着いた人びとの「知恵」が映り込んでいる。

・森千香子(同志社大学教授/社会学者)

神社という場で、猫を媒介に、ひとと動物、植物が織りなす小宇宙が広がっていく。
提起されるのは「自分たち」の境界線をどこに引くのかという問いだ。「自分たち」とは集落の人間か、外の人間も含めるのか。わかりあえない人間はどうするのか。人間だけでなく動物も含めるのか。
映画はやがて、他者と棲み分けるのではなく、ともに「棲みあう」地平とはどのようなものなのか、という新たな問いを拓いていく。

・安田菜津紀(メディアNPO Dialogue for People(D4P)副代表/フォトジャーナリスト)

時に厄介者扱いされたり、癒しを求められたり、観光客の呼び込みを期待されたり、そして、捨てられたり――高齢化する小さな集落の猫たちの姿を追うほどに、こんなにも重層的な社会が見えてくるなんて。

・森達也(映画監督、作家)

被写体はネコたち。そして透けて見えるネコの周囲の人たち。想田も柏木もその一人。表情がないネコは人の営みのメタファー。テーマは多岐。多分観る人によって違う。つまりこの映画は、あなた自身のメタファーでもある。

*製作者メッセージ

想田和弘

牛窓の猫や人々の日常を観察し描写した、静かな映画である。ドキュメンタリーに大事件や大惨事やメッセージ性は必要なく、自分に見えた世界をありのままに描写できればそれでよし。そう信じて観察映画を作り続けてきたが、本作でついにその理念を徹底できたように感じている。ぜひご覧ください。

柏木規与子

この映画は、長年住み慣れたニューヨークから越してきて、「新参者」として必死に地元に馴染んでいこうとする想田と私の赤裸々な奮闘記でもあります。自分の間抜けな姿は見るに堪えられませんが、牛窓の美しい四季折々、生きとし生けるものの荘厳さをできる限り自分達の経験に近いように映し出すことができたのではと思います。 Please enjoy!

*監督・製作・撮影・編集
 想田和弘(そうだ・かずひろ)

映画作家。1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科卒。事前のリサーチや台本、ナレーションやBGMを排した「観察映画」の方法とスタイルで、これまでに11本の長編ドキュメンタリー映画を発表。2008年に『選挙』が米国のピーボディ賞を、『精神』が釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』が香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を、『精神0』がベルリン国際映画祭でエキュメニカル審査員賞、ナント三大陸映画祭でグランプリを受賞するなど、国際的に高い評価を受けている。フランス、ポーランド、韓国、イタリア、ベルギー、カナダ、中国、香港、台湾など、世界各地でレトロスペクティブ特集上映が組まれている。これまでに『観察する男』(ミシマ社)、『The Big House アメリカを撮る』(岩波書店)、『なぜ僕は瞑想するのか』(ホーム社/集英社)など9冊の単著を出版。そのうちの『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)は英語、中国語、韓国語に訳されている。2021年、27年間住んだニューヨークを離れ、妻・柏木規与子とともに牛窓に移住。最新刊、フォトエッセイ集『猫様』(発行:ホーム社/発売:集英社)が10月18日刊行予定。

・製作
柏木規与子(かしわぎ・きよこ)

岡山県岡山市で生まれ育つ。夫・想田和弘の観察映画のうち10本を製作してきたが、本業は太極拳師範、ダンサー・振付家。世界的な伝統楊式太極拳マスター William C. C. Chen(陳至誠)老師に師事し、ニューヨーク市立大学演劇学科等で太極拳を教えた。2020年に陳老師より伝統楊式太極拳マスター認定を受け、2021年、27年間住んだニューヨークを離れ、想田とともに帰国。同年12月から岡山県瀬戸内市牛窓で太極拳道場「樂心舎」を開設する。『牡蠣工場』(15)、『港町』(18)、『五香宮の猫』(24)の舞台となった牛窓は、柏木の母の故郷である。

・filmography

観察映画第1弾『選挙』2007年
観察映画第2弾『精神』2008年
観察映画番外編『Peace』2010年
観察映画第3弾『演劇1』2012年
観察映画第4弾『演劇2』2012年
観察映画第5弾『演劇2』2012年
観察映画第6弾『牡蠣工場』2015年
観察映画第7弾『港町』2018年
観察映画第8弾『ザ・ビッグハウス』2018年
観察映画第9弾『精神0』2020年

・観察映画の十戒

1.事前のリサーチは行わない。
2.打ち合わせは、原則行わない。
3.台本は書かない。
4.カメラは原則自分で回し、録音も自分で行う。
5.カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
6.撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。
7.編集作業でも、予めテーマを設定しない。
8.ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。
9.観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。
10.制作費は基本的に自社で出す。

◎観察映画第10弾 想田和弘感得 映画『五香宮の猫』公式サイト

◎『五香宮の猫』(想田和弘監督)予告編ロングバージョン


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