レベッカ・ソルニット『迷うことについて』〜「第一章 開け放たれた扉」/プラトン『メノン』/ソロー『森の生活: ウォールデン』
☆mediopos3928(2025.8.21.)
■レベッカ・ソルニット(東辻賢治郎訳)
『迷うことについて』〜「第一章 開け放たれた扉」
(左右社 2019/4)
□プラトン(藤澤令夫訳)『メノン』( (岩波文庫 1994/10)
□D・ヘンリー・ソロー(佐渡谷重信訳)
『森の生活: ウォールデン』 (講談社学術文庫 1991/3)
レベッカ ソルニット『迷うことについて』は
物理的に道に迷うことだけでなく
人生の方向性を見失うこと
記憶やアイデンティティの中で彷徨うことなどについて
さまざまな形で描きながら
迷うことは不安や喪失感を伴う一方で
新しい視点や可能性を開く瞬間でもあることが論じられているが
とくに「第一章 開け放たれた扉」は
迷うことの概念を広範に探求する本書の入り口としての章
物理的・精神的な「迷い」が
閉ざされた世界から抜け出し
未知の可能性に開かれる瞬間として描かれている
「開け放たれた扉」という章題は
扉が開くというメタファーでもあり
予期せぬ方向への旅立ちや自己と世界の新たな関係性
固定された枠組みや期待から離れ予期せぬ場所や
経験に向かうことを象徴し
「扉」は既知と未知の境界を表しているといえる
この「未知へ向けて扉を開け放つ」「暗闇への扉」が開かれたのは
ロッキーの山中でワークショップを開いたとき
ある学生が携えてきた
「それがどんなものであるかまったく知らないものを、
どうやって探求しようというのでしょうか」という
「ソクラテス以前の哲学者メノン」の言葉で
それ以来「この言葉はどこに行ってもわたしについてくる」という
(実際はメノンというのはソクラテス以前の哲学者メノン」ではなく
プラトンの対話編での「メノン」だということが後でわかるのだが)
このテーマに関して本書でとりあげられている例から
いつくかひろいだしてみる
科学者のロバート・オッペンハイマーは
「いつでも〈不可思議の際(きわ)〉に、未知との境に生きよ」と語り
エドガー・アラン・ポーは
「哲学的探求のあらゆる経験が教えること、それは、
その種の探求ではたいてい予期できぬ物事にもとづいて
推算をせねばならないということだ」と述べ
ジョン・キーツは
「偉大な達成、とりわけ文芸の偉業を成し遂げる人間
をつくりだしてきた資質、・・・・・・それは消極的能力
(ネガティブ・ケイパビリティ)なのだ、つまり、
いたずらに事実や合理を追い求めないで、不確実な状況や謎や
疑いのうちにとどまっている能力なのだ」と気がつき
ヴァルター・ベンヤミンは
「街で道がわからなくなるのは面白くもないありふれたことだろう。
必要なのは無知であること、それだけだから」
「しかし、街に迷うこと——ちょうど森で自らを失うように——
には、かなり別種の修練が求められる」と書く
またレベッカ・ソルニットはいろいろな人との対話のなかで
「迷子とはおよそ精神の状態なのだ」と理解し
「これは山奥で足を棒にすることだけでなく、
あらゆる抽象的な、あるいは隠喩的な意味での道迷いにも
同じことがいえるのではないか」とし
「ならば、いったいどう迷えばいいのか」と問うことで
歴史家アーロン・ザックスとの対話での返信で引かれていた
ソローの『ウォールデン』の言葉から
「森で迷うことはいつでも驚きにあふれていて、
忘れがたく、かけがえのない経験だ」
「全世界を見失うがいい」
「そのなかに迷いながら自分の魂を見出すのだ」
という示唆を見出す
そして第一章の最後のほうでこう語っている
「迷った=失われた(ロスト)という言葉には、
本当は二つの本質的に異なる意味が潜んでいる。
「何かを失う」といえば、
知っているものがどこかへいってしまうということだが、
「迷う=〔自分が〕失われる」というときには
見知らぬものが顔を出している。
モノや人は人は——ブレスレットとか友人とか鍵とか——
視界や知識や所有をすり抜けて消えてしまう。
それでも自分がいる場所はまだわかっている。
失くしてしまったモノ、消えてしまったひとつのピースを除けば
すべてよく知っているとおりだ。
一方で、迷う=自分が失われるとき。
世界は知っているよりも大きなものになっている。
そしてどちらの場合も世界をコントロール術は失われている。」
「だから忘却ではなく手放す技法が肝要なのだ。
すべてが剥がれ落ちたとき、手のなかには潤沢な喪失がある。」
そして最後にまた「メノン」における
ソクラテスの対話へと帰っていくのである
「ソクラテスはいう。
未知を知ることができるのはそれを思い出しているからだ。
人は、未知と思えるものもすでに知っている。
いわばこういうことだ。
あなたはかつてこの場所にいた——
そのときは別の誰かだったにすぎない、と。
ここでは単に未知なるものの所在が、
未知の誰かから未知の自分へ移動しているだけだ。
謎だ、とメノンはいう。
謎だ、まったく違う意味で、とソクラテスはいう。
それだけが確かなこと、
そしてそれがひとつの指針になりうるはずだ。」
どうやって未知を知るのか
それはたしかに謎なのだが
閉じた自分とその世界から抜け出し
まずは「手放し」て迷うことではないか
その「迷い」は
「潤沢な喪失」へとつながる道でもあるから
