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堀江敏幸『二月のつぎに七月が』/堀江敏幸(聞き手=尾崎真理子)「時間のリレーを書き留める言葉」(『群像』)/『アミエルの日記』『失われた時を求めて』

☆mediopos4094(2026.2.3)

■堀江敏幸『二月のつぎに七月が』(講談社 2025/11)
■堀江敏幸(聞き手=尾崎真理子)
 「時間のリレーを書き留める言葉」
 (『二月のつぎに七月が』刊行記念ロングインタビュー)
 (『群像』2026年1月号)
■フレデリック・アミエル(河野与一訳)
 『アミエルの日記 1』(岩波文庫 1972/4)
■プルースト(吉川一義訳)
 『失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI 』
  (岩波文庫 2010/11)

堀江敏幸『二月のつぎに七月が』という長い長い作品が
「群像」2017年5月号から2024年4月号まで
八年間ほどの連載を経て刊行されている

好んで小説を読むほうではないけれど
堀江敏幸の作品は
ことさらにドラマチックなストーリーではないため
しばし我を忘れてその言葉がつくりだす時間を
ともに過ごしたくなる特別な存在となっている
今回はなんと700頁以上の大部である

『群像』2026年1月号には刊行記念として
堀江敏幸へのロングインタビューを含む
小特集が組まれている
(ほかには野崎歓による書評と著者自身の短編小説)

『二月のつぎに七月が』の小説の舞台は
私鉄沿線の青果市場に隣接した古めかしい大衆食堂「いちば食堂」

この食堂は場関係者や近所の人々が日常的に出入りする場所で
物語はそこで繰り広げられるささやかな日常と
人々の記憶を中心に展開される

そこにドラマチックな展開はなく
登場人物たちの内面的な世界が
雑談や回想を通じ静かに描かれている

主な登場人物は
阿見(あみ)さん
丕出子(ひでこ)さん
笛田さんの三人

物語はこの3人の視点を中心に
章ごとに交代しながら進んでいく

阿見さんは初老の常連客
いつもおなじレインコートを着て同じ時間に食堂に現れ
テーブルに古い文庫本を広げ手帖に何かを書き留めながら過ごす

この古い文庫本というのは
先の戦争で病死した父親が
肌身離さず持ち歩いていた文庫本『アミエルの日記』で
叔父から「持っておけ」と手渡された形見である

毎日「いちば食堂」に持ち込み少しずつ読み進めていて
それが阿見さんの内面的世界と記憶の継承を象徴し
本の中の鉛筆の線や爪痕そしてページの傷みに目を留め
父親の痕跡を感じ取ることで若くして亡くなった父親と向き合い
自分の過去を振り返っていく

丕出子さんは食堂の配膳担当で
半年前に体調を崩して前職を辞めの仕事に就いた女性
彼女の視点からは食堂での給仕業務を通じて
市場関係者とのやり取りが描かれ
物語の円環的な構造を支えている

笛田さんは食堂の料理人で
彼の視点からは同級生の一場さんや娘の話が語られ
「とんがらずに」という口癖が繰り返され
自分の知識を「耳学問」と表現し
食堂での雑談が知識や記憶の源泉であるとしながら
賄い食事が呼び覚ます記憶や市場の喧騒が背景に描かれる

タイトルの『二月のつぎに七月が』というのは
アミエルの日記のなかの頁を開いて
目についた言葉のなかから選び
「二月の次に七月が」という語句の「次に」を
「つぎ」とすることで担当者と意見が一致したという

そのときには特に深い意味はなかったが
ロングインタビューの話では
「こうして読み返してみると、
時間の伸び縮みや時系列のゆがみが、
タイトルによく出て」いて
「ちょっと希望も感じられる、絶妙の題名」となっている

それは時間の非連続性を示唆し
記憶の跳躍を象徴しているということだろうと思われる

阿見さんが引用する『アミエルの日記』は
昭和十年から昭和十六年にかけて出た文庫本八冊

「戦地でこれらのページが
一度でも二度でも開かれたのであれば、
行と行のあいだに周囲の空気やにおいが吸われているはずで、
それをなぞっていた」とされ
そこからの引用が随時引かれていく

たとえば

「幸福とは、渇きを覚えることである」

「年老いて行くといふことは、
死ぬといふことよりもむつかしい。(中略)
だんだん押し寄せてくる漏水には長い寂しさしかない。」

「未知のものに対する郷愁、名の無い熱、幸福の渇き、
昔の灰の掻い立て、若々しい欲望の復活、翼のむず痒さ、
春の樹液の上昇」

またロングインタビューのなかで

「阿見さんは珠算の達人で、
数字や金銭を扱う仕事をしていた感じがありますが、
作中からは年齢、年代、物の値段、地番など、
数字がほどんど消されていますね。」

「「御破算で願いましては」という言葉も呪文のようですね。」

という尾崎の言葉に対し堀江はこう付している

「反復可能な呪文です。
「御破算で願いましては」で始めて、「何とかでは」と切ってから、
それを御破算にし、また新しく始める。」

「毎日の暮らしは継続であり持続である前に、
御破算の反復なんですよね。」
「珠算塾というのは、頭と指を鍛えて数字に強くなること以上に、
そうした数字から逃れていくことの必要性を教える場だと思います。
日常という珠算塾に阿見さんはいて、食堂もまる。
そこでいろんな矛盾をもてあましている。」

しかしアミエルは死の間際まで
1847年より約30年にわたって日記を書き続けたが
阿見さん自身は日記を書くことはない・・・

さてロングインタビューのタイトルが
「時間のリレーを書き留める言葉」であるように

「さまざまな時間が交錯する食堂は、
そこに集まる人たちにとって、
用水路や運河の貯水池の役目を果たしています。
聞いた話が、あたかも自分が語り、
自分が生きたことであるかのように
記憶として蓄積されていく。」(堀江)

そんな時間の感覚はプルーストの時間の感覚に近しい
そう示唆しているのは批評家の鴻巣友季子である

有名なプルーストの『失われた時を求めて』では
時間は直線的に進むものではなく
伸縮・跳躍・逆行・凝縮するものとして描かれている

味覚や嗅覚などのきっけかで過去が突然蘇り
一瞬が永遠に数年が一瞬になるような体験が繰り返される

『二月のつぎに七月が』でも
物語は食堂という「停泊地」的な空間で
登場人物たちの記憶が断片的・非線形に呼び起こされるため
食堂という小さな空間の無数のささやかな話の時間は
直線的ではなくプルースト的に伸縮する

どこまでも長いこの作品を読み
その時間をともに生きつづけていると
「いつまでも終わりが来ないでほしい」と思うのは
ぼくだけではないだろう

●堀江敏幸
1964年、岐阜県生れ。1999年『おぱらばん』で三島由紀夫賞、2001年「熊の敷石」で芥川賞、2003年「スタンス・ドット」で川端康成文学賞、2004年同作収録の『雪沼とその周辺』で谷崎潤一郎賞、木山捷平文学賞、2006年『河岸忘日抄』、2010年『正弦曲線』で読売文学賞、2012年『なずな』で伊藤整文学賞、2016年『その姿の消し方』で野間文芸賞、ほか受賞多数。他の著書に、『郊外へ』『子午線を求めて』『書かれる手』『いつか王子駅で』『めぐらし屋』『バン・マリーへの手紙』『未見坂』『彼女のいる背表紙』『燃焼のための習作』『音の糸』『曇天記』『オールドレンズの神のもとで』『傍らにいた人』『中継地にて』など。

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