可能性の選択
☆photopos-4186(2026.2.25)
ライプニッツは
悪の問題を扱った『弁神論』で
神は全知・全能なのに
なぜ世界に悪が存在するのかを説き
この世界は
「最善の可能世界」であるという
可能世界とは
存在し得る
完全な世界の集合で
神のなかに
無限に存在する世界である
そこには悪のない世界も存在するが
ライプニッツは
それは最善とは限らない
多様性と単純性の調和を最大化するように
世界は最適化されるからだという
私の生の可能性も
無数の可能世界のなかにあり
もしあの時違う選択をしていたらという
別の可能世界の別の私もあるだろうが
ではなぜ私のこの生と運命が選ばれたのか
ライプニッツによれば
世界の善は
最大の多様性と最小の法則による調和であり
悪のない単調な世界より
悪を含むが多様な世界の方が
全体として優れているのだという
この私の人生の苦しみも
全体の調和に寄与することで
善を生み出すことになり
小さな悪も大きな善の種となるため
悪を排除すると
世界全体が別のものになり
最善ではなくなる
しかもそれは私の自由意志と矛盾しない
すべてを許容する世界が選ばれながら
それらが全体の善へと転化していく
無限の世界の
無限の私の可能性のなかで
最善はいまこの私であり世界である
というのが
ライプニッツの最善の可能世界の考えだが
いうまでもなく当時も
随分と批判を受けることになった
しかしどうなのだろう
もしあの時違う選択をしていたら
だれもが何度もそういう思いをもっただろうが
無数の選択の連鎖がいまこの私になっている
それを最善とするか最悪とするか
それともすべては偶然にすぎないとするか
どちらにせよ
私の自由をどこに置くか
それが私の可能性の選択なのだろう
※愛媛県久万高原町・古岩屋にて




