ビジネスホテルで「書く」と向き合う
エアコンの排気音と冷蔵庫の唸り声だけが、殺風景な部屋に響く。
本稿は、毎年のように泊まっている出張先のホテルで書き起こしている。今年は仕事の都合上特に出張が多く、二〜三週間に一度は遠出をして各地のホテルに泊まる、といった日々を過ごしている。そのような生活に慣れてしまったからか、以前は非日常感に胸を躍らせていたホテル泊も、惰性的な日常の一部になりつつある。
そして、同じホテルでこれらの記事を書いた頃よりも、「書く力」が衰えているように感じる。私物という誘惑が限りなく少ないホテルは、何かを書くのに絶好の場所だ。だからこそ、先の記事の頃と今の自分を比較してしまう。昔の方が何かを書く意欲も、その思いを書き記す力も、有り余る程あったように思える。noteの世界に足を踏み入れた二十代後半の頃よりも、頭の回転が遅くなったからだろうか。
いや、歳のせいにしてはいけない。二十代をピークにして後はただ衰えていくだけなんて考えたくもない。何かやり方を変えてみよう。そう思って、私は鞄に詰め込んできた日記帳にボールペンを走らせた。
最近友人から聞いた俗説で科学的根拠は不明だが、「たまには手書きで文章を書くと良い」のだという。友人いわく、「スマホやPCの予測変換は便利だが、脳が言葉を考えるスピードを追い越してしまっている」そうだ。限られた脳の力を超えて文章を書けるなら願ったり叶ったりだが、そのぶん頭が疲れてしまうらしい。手書きで記した文章は実際の思考とスピードが近く、ありのままの考えを表せるという。
この話を聞いてから、一度だけ「手書き記事」の投稿を行った。先日の「ターミネーター」感想文だ。思い浮かんだ言葉をさほど推敲しないまま紙に書いていくので、キーボードで文字起こしをする際にある程度の手直しを入れている。手書き→キーボードの二度手間になってしまい非常に面倒だが、「頭の中の整理ができた」という爽快感と満足感は確かにあった。
友人論のファクトチェックはあえてしていない。もし「ただの迷信です」と言われてしまえば、せっかく見つけられたかもしれない「書く力を取り戻す方法」を失ってしまう。実感がある以上は効果がある、と考えていたいのだ。
本稿も同じように、日記帳の殴り書きを文字起こしした記事だ。この執筆方法が習慣化すれば、痛感している衰えに歯止めを掛けられる……と思いたい。年々ペースは落ちているが、まだ書きたい題材は数えきれない。小説も書き進めて完結させたい。とても衰えてなどいられない。
