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ゆとり教育者のススメ#08〜その「主体性」、ひとりで背負ってませんか〜育てるより、一緒に育つということ

前回、「教える」って正解がないよね、毎回問い直すことだよね、という話を書きました。

最後のほうで、ちらっと「主体性」という言葉に触れたんです。「主体性だからって、手放しでやらせるのは違う」みたいなことを。

で、あれを喋ったあとに、自分の中でずっと引っかかっていました。そもそも主体性って、何なんだっけ、と。

今日は、その引っかかりを、一回ほどいてみたいと思います。


「主体性を育てろ」で、すり減っている

学校にいると、本当によく聞くんですよ。「これからは主体性だ」「主体的・対話的で深い学びだ」って。そして僕らは、それを育てなきゃいけないことになっている。育てて、しかも評価しろ、と言われるんですね。

……いや、待ってください。何かよくわからないものを、育てて、点数までつける。そんなの、しんどいに決まってるじゃないですか。

だからまず、この「主体性」という言葉そのものを、疑ってみたいんです。

主体性と、自主性は、たぶん違う

あのですね、僕、似た言葉と混ざっていた気がするんです。主体性と、自主性

なんとなく同じように使っていたんですけど、たぶんこの二つ、別物なんですよね。

自主性って、たとえば「宿題やりなさい」と言われる前に、自分からやる、みたいな感じ。やること自体はもう決まっていて、それを進んでやる。一方で主体性は、そもそも何をやるかから、自分で決める。もっと手前のところから、自分で選んでいる感じがするんです。

で、ここで「あれ?」と思ったことがあって。

学習指導要領の言う主体性——正確には「主体的に学習に取り組む態度」というんですが——あれ、中身をよく見ると、粘り強く取り組むとか、自分の学習を調整するとか、そういうことなんですよ。でも、学ぶ中身は、もう決まっている。何を学ぶかは指導要領が決めていて、その枠の中で頑張って調整しましょうね、という話なんですね。

……あれ。それって、主体性というより、自主性なんじゃないの? と、ちょっと思ってしまったんです。

「エージェンシー」という、もっと大きな言葉

その「自主性なんじゃないの?」を引きずったまま、もう少し調べてみました。そもそも、なんで急に「主体性、主体性」と言われるようになったんだろう、と思って。

そうしたら、元をたどると、どうやらOECD——世界の国が集まっている機関ですね——そこが出している「エージェンシー」という言葉に行き着くらしいんです。エージェンシー。聞き慣れないですよね。僕も最初、なんだそれ、と思いました。

このエージェンシーって何かというと、自分の人生や、周りの世界に対して、いい影響を与えていくために、自分で目標を立てて、振り返って、責任を持って行動する力、みたいなことなんです。……なんかね、言葉がでかいんですよ。「世界に影響を与える」まで入っている。

で、これを紹介している専門家の人たちが、面白いことを言っていて。日本で「主体性」というときと、ちょっと違いますよと、はっきり書いているんですね。

どう違うかというと、日本の主体性は、けっこう「その子個人が持っているかどうか」の話になりがちなんです。「あの子は主体性がある」「この子はない」と、個人の資質として値踏みしてしまう。……ああ、これ、まさに「評価しろ」と言われているやつだな、と思ったんですけど。

でもエージェンシーのほうは、そうじゃなくて、周りとの関係をすごく大事にしている。自分だけじゃなく、社会を理解して、自分がやるべきことに気づいて、世界に働きかけていく。そこまで含んだ、もっと大きい話なんです。

訳して降りていくたびに、何かが削れていた

ここで、ちょっと面白いというか、少しゾッとしたことがあって。

このエージェンシーという言葉が、日本に入ってきて「主体性」と訳された時点で、なんだか削れているんですよ。「世界に働きかける」とか「周りと一緒に」というところが、ぽろっと落ちて、「その子個人の資質」になっている。

で、それが学校の「主体的に学習に取り組む態度」になると、さらに「自分でゴールを決める」というところが落ちて、決められたゴールに向かって頑張る話になる。そして現場で使われるときには、さっきの「自主性」——言われたことを進んでやる、まで落ちている。

一番最初は「世界を、みんなで変えていく」だったのに、気づいたら「与えられた課題を、一人で、成績のために、ちゃんとやる」になっているんです。同じ「主体」という字を使っているのに。階段を一段ずつ下りるみたいに、何かが削れていっている。

エージェンシーには、相棒がいた

そして、ここからが、今日いちばん話したかったところなんです。

そのエージェンシーという言葉、実はもうひとつ、セットになっている言葉があるんですよ。共同エージェンシー。コ・エージェンシー、と言ったりします。

これは何かというと、要するに、エージェンシーって一人で持つものじゃないよ、という話なんですね。仲間とか、先生とか、家族とか、地域とか、みんなそれぞれエージェンシーを持っていて、お互いに影響し合いながら、一緒に育っていく。そういう関係のことを、共同エージェンシーと言うらしいんです。

……あのね、僕、これを知ったときに、ちょっと、肩の力が抜けたんですよ。

だってさ、さっきまでの話だと、主体性って「その子が持っているかどうか」で、それを「僕が育てなきゃいけない」ことになっていたじゃないですか。一人で背負っていたんですよ、こっちが。「この子の主体性、どうやって育てよう」って。

でも、関係の中で一緒に育つものなんだとしたら。別に、僕ひとりで育てなくていいんですよね。

育てた、んじゃなくて、一緒に育った

思い出したことがあります。

前に、生徒に何かをやらせようとして、けっこう力が入っていた時期があったんです。やらせよう、やらせようって。主体的にやってほしいのに、こっちが前のめりになっている。……いま思うと、変な話ですよね。主体性を、こっちが力ずくで引き出そうとしていた。

で、あるとき、ちょっと力を抜いてみたんです。この子たちのレベルに、こっちが合わせてみようって。そうしたら、なんだか、スルスルっと始まったんですよね。あれ、勝手に動いてる、みたいな。

大事なのはここで、「じゃあ放置すればいいんだ」ではない、ということなんです。前回も言いましたけど、放置は無責任なので。僕がやったのは、放置じゃなくて、環境を整えることだったんですよ。彼らが動きやすいように、ちょっと場を整えて、あとは一緒にいる。やらせるんじゃなくて、隣にいる。

これ、まさに共同エージェンシーだったんだな、と後から思いました。僕が引き出したわけでも、僕が与えたわけでもなくて。整えて、待って、一緒にいたら、育った。育てた、んじゃなくて、一緒に育った。

前回、「教える」は毎回問い直すことだ、という話をしましたけど、その一番深いところって、たぶんこれなんです。僕が全部やるんだ、僕が引き出すんだ、と背負い込まないこと。子どもも、僕も、関係の中で一緒に育っていく。そう思えると、ずいぶん、ゆったりできるんですよね。

一番「主体的」な子が、困られてしまう

ちょっとだけ、耳の痛い話もしておきたくて。

学校って、どうしても「自分でちゃんと調整して頑張れる子」を評価するんですよ。えらいね、主体的だね、って。でも一方で、「そもそもこれ、何のために勉強するんですか?」と聞いてくる子。ああいう子って、本当はいちばんエージェンシーがあるのに、なんだか扱いに困られる。下手をすると「態度が悪い」みたいに見られてしまう。

これ、もったいないな、と思うんですよね。一番、世界に働きかけようとしている子なのに。

だから、ひとりで背負わなくていい

今日の話、まとめると——主体性って、その子ひとりに持たせるものでも、こっちがひとりで育てるものでもない、ということなんです。関係の中で、一緒に育つ。だから、そんなにひとりで背負い込まなくていい。

これ、聴いてくれている先生にも、たぶん保護者の方にも言いたくて。いま、子どもの主体性を、ひとりでなんとかしようって、力んでいませんか。その荷物、ちょっと隣に置いて、「一緒に育つもの」だと思って眺めてみたら、どうでしょうか。

……なんか、これって結局、この番組の最初の問いに戻ってくるんですよ。教員のゆとりって何だろう、という。主体性をひとりで背負うのをやめること。それも、ゆとりの、ひとつの形なのかもしれないな、と思っています。

最後に

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