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「キャリア」って言葉が、ずっと苦手だった〜意外と知られていない「キャリア」の語源〜

突然ですが、僕は「キャリア」という言葉が、長いあいだ苦手でした。

初対面の人に「これまでのキャリアは?」と聞かれると、なぜか急に背筋が伸びる。声がワントーン下がる。なんだか条件反射的に、自分が「値踏み」をされているような落ち着きのなさを感じてしまうのです。

「そうですね、24年ほど広告の仕事を…」なんて、自分でも聞いたことのない落ち着いた声が出る。そして頭の中で、勝手に自分のハイライト映像が流れはじめる。 うまくいった仕事。任された役割。それらしい肩書き。
嘘はついていません。全部、事実です。 

ただ、あれは映画の予告編みないなもんなんですよ。
いいところだけを2分にまとめた、あれ。

本編のほうには、もっと地味な時間が延々と入っています。
企画が通らなかった夜。 自信をなくして、日曜の夕方から気が重かった時期。 本当にやりたいことが分からなくなって、悶えまくった数年間。
正直に言えば、僕を今の形にしたのは、あきらかにそっちです。
なのに「キャリアは?」と聞かれて、そっちを話す人はいない。僕も話さない。

つまり「キャリア」という言葉を使った瞬間、 人生のいちばん長い部分が、編集で落とされる気がする・・・
僕が苦手だったのは、たぶんそこです。

語源を調べたら、ちょっと救われた

先日、ふとした流れで改めて「キャリア」の語源を調べました。 (ちなみにこの「調べもの逃避」、締切前の僕の得意技です。原稿は1行も進まないのに、ラテン語にはやたら詳しくなる)

キャリアの語源は、ラテン語の carraria
意味は、「馬車道」。そして「轍(わだち)」。
車輪が通ったあとに、地面に残る、あの溝です。
そこから「馬車が通る道」や「競技場のコース」を指すようになり、転じて、人が人生で歩む「道筋」や「経歴」「足跡」を意味するようになったようです。

つまり本来のキャリアは、「上を目指すための立派なもの」じゃない。 走ったあとに、地面に残ってしまった跡のこと。

これを知ったとき、正直、ちょっと救われました。
だって轍って、まっすぐじゃないんですよ。 ぬかるめば深くなるし、避けて通ればぐにゃっと曲がる。

そして、ここが大事なんですが、いちばん深く残るのは、止まっていた場所です。
動けなかった時間ほど、地面に深く食い込んでいる。 昇進でも肩書きでもなく、あの立ち止まった数ヶ月が、いちばん濃い轍になっている。
そういうことなんじゃないかと、僕は思っています。

「キャリア自律」が、ちょっと冷たく聞こえる件

ここ数年、やたら聞くようになった言葉があります。
「キャリア自律」。
僕が初めてこの言葉を聞いたときの、正直な感想はこうです。

(……それ、「会社はもう面倒は見ないので、あとはご自身でよろしく」を、感じよく言い換えただけでは?)

自立じゃなくて、自律。言葉としては、まったく正しい。 正しいんだけど、40代50代の耳には、ちょっと突き放された音として届く。少なくとも僕には届きました。

でも、これも調べてみたんです。(また調べてる)
自律の本来の意味は、「孤立」ではありませんでした。
自分の人生を、会社や誰かに丸投げしないこと。 そのうえで、まわりの人と対話しながら道を選んでいくこと。
つまり「ひとりで背負え」ではなく、むしろ逆。 「ちゃんと人に話せ」という意味だった。

ひとりで抱えて黙っているのは、自律じゃない。ただの孤立です。 これは私自身、何度も間違えてきたので、はっきり言えます。

履歴書は他人軸、轍は自分軸

仕事柄、ミドルシニアの方と「これからどう生きたいか」を考える時間を持つことがあります。そこでよく起きるのが、みなさん最初、履歴書を読み上げるように自分を語るということ。
無理もない。僕らは30年、そう語るよう訓練されてきたので。

でも、履歴書は他人に見せるために書くものです。つまり、あの予告編。だから、どうしても他人軸になる。
一方で轍は、自分が歩いたから残ったものです。誰に見せるためでもない。本編そのものです。
遠回りした道も。 何度も引き返した道も。 しばらく動けなくて、地面が凹んだままの場所も。
全部ひっくるめて、あなただけの轍です。

心の中の俺が言います。
遠回り、上等じゃねえか。轍が深いやつのほうが、話は絶対面白い。
あくまでも仮説ですが。本気の仮説です。

で、次に気になるのは、たぶんこういうことだと思うんです。 「じゃあ、その凸凹の轍のどこに、これから進むための火種が埋まってるの?」
そこは、また次回書きます。

読んでくれて、ありがとうございます。 今週も、無理せずいきましょう。

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