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「マネジメント ≠ 管理すること」マネジメントってそんな冷たい言葉じゃないですよ。

「管理」が苦手でした。
管理する側としても、管理される側としても。

僕は広告代理店に入社してからコピーライターとして働き、途中からクリエイティブディレクターになり、チームを預かる立場にもなりました。当然、管理業務はもれなくついてきます。
数字の管理、プロジェクトの進捗管理、労務管理……。責任感を持って、ちゃんとやってはいました。 でも、管理画面を見ると、どうしても気が重くなる。

いつも、心のどこかで、
(あぁ、これ、苦手だなぁ)
と思いながらやってました。

だから僕は、長いあいだ自分のことを「マネジメントに向いていない人間」だと思っていました。もっと言えば、こっそり劣等感を抱えていた。

でも、管理職としてコツコツカチカチ管理画面と睨めっこする日々をしばらく送った後、ちょっと違うかもしれないと思うようになったんです。
きっかけは、Management という言葉のルーツでした。

manus、つまり「手」

Management を、あなたなら何と訳しますか。
マネジメント=管理すること。マネージャー=管理者。 はい、僕もそう訳してきました。20数年間、一度も疑わずに。

数字を見て、進捗を確認し、計画から外れたところを整える。組織が安定して前に進むために、その役割は確かに必要でした。

で、ある日ふと気になって、この言葉の出どころを調べてみたんです。

英語の manage は、イタリア語の maneggiare(手で扱う、操作する)から来ています。その maneggiare は mano(手)から生まれ、さらにさかのぼると、ラテン語の manus に行き着くんだそうです。
manus。意味は、「手」。

……手?

しかも maneggiare には、「馬を扱う」「馬を調教する」という意味がありました。名詞形の maneggio は、馬の調教そのものを指す言葉です。
馬です。馬。

馬を「扱う」という言葉が、やがて人や組織を「manageする」という言葉になっていった。ここから先は僕の解釈ですけど、この語源、めちゃくちゃ象徴的だと思うんです。

だって馬って、力ずくでは動かないでしょう。手綱を強く引けば、余計に反発する。 だから、手のひらに伝わってくる張りや緩みから、いまこの馬がどういう状態なのかを読み取るしかない。緊張してるのか、疲れてるのか、もう走りたくてうずうずしてるのか。 それを感じ取ったうえで、力が自然に出る方向へ、そっと促していく。
命令して動かすことじゃない。手を尽くすこと。手触りで状況を感じ取りながら関わること。 少なくとも僕には、この言葉のルーツに、そういう温度の気配が残っているように思えます。

で、そこまで調べて、思わず声が出ました。

(え、僕が苦手だったの、マネジメントじゃなくて「管理」のほうじゃない?)

「管理」という日本語が背負っているもの

日本語では、management は長く「管理」と訳されてきました。もちろん文脈によっては「経営」とも「運営」とも訳されます。
それでも、会社の中で僕たちが毎日使っているのは、圧倒的に「管理職」「管理者」のほうです。

そして「管理」という日本語には、どうしても統制と監督のにおいがつきまとう。
管理する側と、される側。見る人と、見られる人。 言葉が二つの立場をつくって、僕たちはその中に、当たり前みたいに配置されていく。

僕には、こう見えています。

長いあいだ「管理される側」に置かれ続けると、人は少しずつ、自分の内側のセンサーを使わなくなる。
「自分はどうしたいか」より先に、「どう評価されるか」を考えるようになる。 やりたいかどうかじゃなく、怒られないかどうかで動くようになる。 そうやって何十年か経ったある日、ふと立ち止まって、こう言うんです。

「で、俺、何がしたいんだっけ」

僕がずっと書いている他人軸症候群は、その人が弱いから起きるものじゃないと思っています。 「管理」という言葉が組織の中でぐるぐる回り続けた、その長い時間の副産物でもあるんじゃないか。

管理されるのが苦手だった僕の感覚は、たぶん、そんなに間違ってなかった。 苦手でよかった、とまでは言いませんけど。

AIは速い。速いんだけど。

そしていま、僕たちはAIという、とんでもなく優秀な相棒と一緒に働いています。
膨大な情報をもとに、もっともらしい答えと有力な選択肢を、こちらが瞬きしているあいだに並べてくれる。判断材料を揃えるのも、選択肢を比べるのも、リスクを洗い出すのも、人間より速い領域がどんどん増えていく。

でも、だからこそ、ですよ。
マネジメントが「答えを出す仕事」であり続けるなら、その多くはAIと分け合えるようになる。じゃあ、人の側に残るマネジメントって、何なんでしょう。

僕は、こういうことになっていく気がしています。

すぐに答えを出さなくてもいい時間を、つくること。
迷いや葛藤を抱えたままの状態に、一緒に留まっていられること。
数字にも言葉にもなっていない違和感や兆しに気づいて、そっと手を伸ばすこと。


AIは、有力な答えを差し出してくれます。 でも、その答えを引き受けられるか、納得して進めるかという部分は、少なくとも今のところ、人間の側に残っている。僕はそう思います。

マネジメントとは、決断を下す人になることじゃなく、 決断が自然に生まれる状態を整えること。
そっちに移っていくんじゃないでしょうか。
……ん、待てよ。それって。

手を、真ん中に戻す

マネジメントは、役職や権限よりも、日々の態度に表れます。
人を動かす技術ではなく、人が自然に動ける状態をつくること。 少なくとも僕には、その原点が、言葉のルーツである「手」の中に残っているように思えます。

管理は、今も苦手です。たぶん一生うまくならない。
でも、manus のほうなら。

思い返せば、クリエイティブディレクターの仕事は、ほとんどそれでした。
若手が持ってきたコピーを見て、僕が最初に聞くのは、だいたい同じでした。

「これ、どういう気持ちで書いた?」 「で、狙いはどこ?」

上手いか下手かの話は、そのあとです。先に、本人の中で何が起きているのかを聞く。すると、しゃべっているうちに、僕じゃなく本人のほうが「あ」って言い出すことがある。あの瞬間を待っている時間が、いちばん長かった気がします。
守りに入っているなと感じた日は、コピーの話をいったんやめて、全然関係ない話をする。チームの空気が重ければ、打ち合わせを早めに切り上げる。

進捗表にも工数表にも出てこないことばかりを、手触りで決めていました。 正解なんて、どこにもなかった。全部、手探りでした。手探りだったんです。
なんだ。あれもマネジメントだったのか。

私は、manus ——「手」を、もう一度マネジメントの真ん中に戻したいと考えています。
管理される時間が長かった人ほど、自分の軸を取り戻すのには時間がかかります。 だからこそ、手を伸ばす側の人が要る。
AIと共に進む時代だからこそ、人の迷いや、揺れや、成長を大切にしながら、 一人ひとりの力が活きる場を、これからも一緒につくっていけたらなぁと思っています。

〜終わリ〜

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